47.振り飛車&穴熊のお市
天文二十一年九月二十一日
月初め、俺は那古野城より熱田神宮に戻ると、祭の準備を楓らに丸投げした。
楓らも驚いたが、収支の補佐に俺の文官六人と中根家の文官六人を貸し出し、全体の補佐に右筆見習いの岡本-良勝と村上-小善を付けた。 また、それぞれの種目が得意な者も補佐に送った。
楓ら六人は必死に引き留めようとした。
補佐を増やしても俺と千代女の穴が埋まる訳がないからだ。
そこで祭が終わる新嘗祭まで加藤の特訓を免除すると宣言すると、俄然やる気が出たようだった。
千代女曰く、休んだ分は十二月にたっぷりと追加の特訓が待っていると言ったが、あえて伝えていない。最後に「詐欺だ」と叫ばれそうだ。
城に戻ると、信長兄ぃから頼まれた補充の常備兵の手配と空いた穴を埋める作業工程の見直しを同じく右筆見習いの白井-胤治に丸投げした。
胤治は土木作業の秘訣を盗もうと長く監督になるのを拒みながら補佐を務めた。織田家が秘匿する技術を隠しながら、新たに雇う作業員の作業配置を上手くやってくれると信じた。
丸投げは最高だ。
五日から通常業務に戻った。
七日から三日間は那古野に戻って中間では捌ききれない帳簿と今後の予定のチェックをした。
那古野では裏方だ。
影武者のお祭り巡業もあるので俺は黒頭巾を被って移動し、津島、熱田や勝幡の酒造などを巡り、それ以外は城に引き籠もった。
九月二十一日、 “囲碁・将棋”の一次予選を見学に向かう。
玄関で馬に乗ろうとすると、馬と一緒に仕立てがしっかりした籠が二つあった。
籠は、大名が乗る豪華な「大名籠」、身分が高いことを示す「乗物」、村長や商人が利用する「辻籠」、山道などで利用する「山籠」がある。
用意されていたのは“乗物”であった。
「魯坊丸、おはよう」
「母上、どうして」
「母も里と一緒に囲碁と将棋の観戦です。楽しみだわ」
「囲碁や将棋ができる里はわかりますが、母上はわからないでしょう」
「わからなくてもいいのよ。お市様とお栄様の応援に行くだけですもの」
「お市、お栄」
俺ははっとして千代女の方を見た。
千代女が事実だと告げた。
囲碁・将棋の大会を知った三十郎兄上が参加させろとうるさかったので中根家の枠で推薦した。
囲碁枠も中根家の古参の囲碁好きに決まった。
「お市とお栄は自由参加ですか」
「いいえ、護衛もしっかりできない場所に連れて行ける訳がないでしょう。大宮司様にお頼みしました。花があった方が盛り上がるとおっしゃって、二つ返事で引き受けて下さいました」
「あぁ、大宮司様ですか」
熱田神宮にも囲碁・将棋好きがいた。
しかし、神官の出場は禁止だ。
大会を開催しても囲碁・将棋のルールすら知らない庶民に大盤を設置して解説する役割が与えられた。
会場は熱田神宮の参道の脇に建てられた運動会で見かける集会用テントのような仮設の東屋である。
その八つの東屋に三十二人ずつが囲碁・将棋に分かれて配置される。
東屋の周りに縄を掛け、縄に沿って中を覗く。
人数が減ってくれば見えるようになるが、十六盤のすべてが見えるわけもない。
そこで三十二人の内、一番注目される対戦を大盤で神官が庶民に解説するわけだ。
対戦が終わった棋譜は、すべて大きな文字で張り出される。
対戦の合間は、庶民に小盤を使って解説するサービスも提供する。
もちろん、囲碁・将棋の駒と盤の販売をしている。
名主などには、来年から十五歳以下の少年・少女に限定した大会を開き、優勝者は賞金以外にも中根学校の推薦が得られるというご褒美を付けた。
囲碁・将棋の駒と盤が売れるといいな。
熱田神宮が賑わっていた。
楽しみが少ないので催しに目のない輩、参加した者も最後まで残って見届けようとする人が多かった。思っていたより賑わっていた。
「楓、大成功みたいだな」
「成功ですが、予想外のことも起こっております」
「何があった」
「宿代がない者が野宿して治安が悪くなっております」
「野宿だと」
まさか、コンサート前日のようなことになるのは想定外だ。
酒を飲んで暴れ、所構わず焚き火をはじめる。
自警団も手が回らぬほどの混乱だと楓が報告し、対処を聞かれても困った。
まだ、予選初日だぞ。
各城から人手で借りて警備に当たろう。
「楓、乗馬広場は使えるな」
「私も考えました。この囲碁・将棋の次に乗馬大会になります。綺麗に手入れした砂地を荒らされるのは避けたいのですが・・・・・・」
「背に腹は変えられん。野宿場所をそこに限定し、それ以外で寝泊まりする奴らは取り締まれ」
「わかりました」
里は急に「兄上、あそこにお市ちゃんの名前が書かれています」と声を上げた。
正門を入って右手に第一会場があり、その前の大盤が設置されていた。その大盤の両端に招木板が置かれ、その板に織田-市と書かれていた。
招木板とは、落語小屋の前に飾られた名前が書かれた看板のことだ。
大盤は将棋の盤を大きくし、それを斜めに寝かせて再現しており、マスごとに駒を支える板が付いていた。
将棋好きの神官がお市と対戦者の一手一手を再現しながら対局のようすを語っていた。
「兄上、お市ちゃんは兄上が好きな“四間飛車の穴熊”です」
「別に好きな訳ではないぞ」
「そうなのですか」
「三人とも強くなってきた。兄として負ける訳にいかんので、負けにくい策を採用している」
「負けにくいとは」
「振り飛車の穴熊は攻める駒から一番遠い所に王将をおく。じっくりと構えて戦えるからだ」
「持久戦ですか。でも、私も振り飛車にすれば、玉を狙えますよ」
「それは振り飛車の手筋を知っている者にしか使えん。いい案だが、里は無理攻めをするから、すぐに負ける」
「お市ちゃんも同じなのに・・・・・・」
「お市は引くときはさっと引く天性の勘があるからな。こっちが緩慢な手を打つと、攻めに切り変えてくるのが怖い」
「うぅぅぅぅ、狡いです」
里は不満そうに唸った。
里とお栄は考えて駒を進めるが、お市はなんとなくの直感で進める。
長期戦を嫌って、普通に指すお市だ。
そのお市が俺の勝ち筋を真似た。
最初はジワジワと推されていたが、一瞬で逆転すると、敵の駒を次々と奪った。
勝ったな。
里の応援に振り向く余裕まで見せた。
母上が移動しようと言い出した。
「お市様だけ応援する訳に行きません。お栄様は応援しなくていいのかしら」
「そうだ。お栄ちゃんも応援しなきゃ」
「では、移動しましょう。魯坊丸も付いてらっしゃい」
護衛が少ないので別行動が難しかった。
お栄は東門近くの会場で戦っており、俺達が行ったときは一回戦を勝利してお茶を啜っていた。
里が抱き付いて喜んだ。
三十郎兄上も勝ったらしいが、お栄と一緒に、途中でお市を拾って千秋邸に戻ってお昼とした。
お昼から二回戦だ。
一回戦はお市の試合を観戦したので、二回戦はお栄の囲碁を観戦する。
「お栄、一緒に勝って本戦に進むのじゃ」
「はい、お市姉上」
「わらわは勝つのじゃ」
「私も勝ちます」
互いに勝ちを宣言して、お栄がお市を送り出した。
お市もお栄も会場の変更はない。
また、大盤の招木板に“織田-市”の名が上がっていた。
そして、第五会場の囲碁マスの大盤の横に“織田-栄”の名があった。
この一回戦は事実上の決勝戦と呼ばれ、信長兄を師事する沢彦-宗恩と、美濃は崇福寺の高僧で快川-紹喜の一戦だった。
大物同士だった為に大盤解説はお栄ではなく、この二人だった。
そして、お栄の二回戦の相手は沢彦-宗恩であった。
沢彦-宗恩は織田の姫ということで最初はかなり緩い手を打っていた。
対して、後手を引いたお栄はかなり強引に攻めて失敗した。
俺らの対戦は先手六目半のコミを採用しているが、この時代にハンディは存在しない。
後手となったお栄は六目半以上の勝ちを取らないと負けてしまう。
そう考えたお栄は無理な手を打った。
だが、そんな無理を通してくれるほど、沢彦-宗恩は弱くなかった。
先手二目差で負けた。
沢彦-宗恩はお栄を褒めているが、お栄の耳に届かない。
盤を見つめたままで、しばらく動かなかった。
沢彦-宗恩が俺にあいさつをすると、快川-紹喜と一緒に会場を後にした。
日が暮れて、お市が勝ったと喜んで報告にくる頃、お栄がポツリと話した。
「魯坊丸兄上、悔しいです」
「そうだな」
「無理をせずに確実に打っていけば、最後まで互角に戦えていました」
「うむ。和尚はお前の力量を知りたいと、緩い手を打っていた。六目半はそれで帳消しになっていた」
「確実に勝とうと焦りました。相手の力量を舐めてしまいました」
「お栄は、俺やお市らの身内しか打ってこなかった。つまり、力量を知る者同士でしか打っていない。それが敗因だ」
「はい、そうです」
「お栄の敵はわらわが討つのじゃ」
「お市姉上、任せました」
「任されたのじゃ」
本戦三十二人に残ったのはお市のみだった。
三十郎兄上も二回戦で敗退した。
なお、翌日、信長兄ぃが沢彦-宗恩の紹介で快川-紹喜と囲碁と将棋の勝負を挑んだ。
二十三日、信長兄ぃはお市とお栄を那古野に呼び出し、将棋と囲碁を一局ずつ打った。
そして、お栄は沢彦-宗恩とリベンジマッチに臨み、先手一目差で勝利した。
沢彦-宗恩がどこまで本気なのかは知らないけどね。
そんな話をずっと後に聞かされる。
その二十三日に札売りが締め切られて、お市は織田の姫様人気で二番目に札が売れた。
人気は眉唾物だが、上々の売り上げに満足した。




