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魯坊丸日記 ~魯坊人外伝 第三章「魯坊丸の日記は母上の楽しみ」~  作者: 牛一・冬星明


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43.萱津の戦い(3)

 天文二十一年八月十七日

 萱津の戦いの見学を終えて中根南城に戻ると、鳴海に入った楓から定時連絡が入っていないと知った。定期連絡がないだと?

 こんなことははじめてだった。

 楓が戻ってきたのは、翌日の深夜、もう起床時間近くであった。

 眠りが浅かったので、隣の騒ぎに気づけた。

 俺は寝たままで何があったと聞くと、寝ずの侍女が楓らの帰参を教えてくれた。

 俺はさっと着替えさせて貰うと、本殿の裏口に向かった。

 中根南城の奥屋敷の出入り口は本館(本丸)に繋がる渡り廊下であり、使用人は裏口を使う。

 昼間なら廊下の側から報告するが、夜は俺に声が届くのを憚った。

 俺は楓が無事をこの目で確かめたかった。

 鳴海方面に今川の間者が多く入ったと聞いたが、後続の者も戻ってこない。

 嫌な予感が過っていた。

 玄関や裏口の出入り口には神聖さを醸し出すために白い砂利を敷き詰めている。

 千代女が玄関口に膝を折って中腰になり、その床に楓がいた。

 真っ白い石の上に血だらけの楓がふらふらしていた。

 その姿が江戸時代の“お白洲(裁判場)”で奉行に裁かれる罪人のように見えた。


「楓、大丈夫か」

「若様。無事に戻って来られました」

「無事……って、その血だらけに見えるが」

「全部、返り血です。私は怪我一つしていません。ですが、もう疲れてこの場で倒れてしまいたくらいです」

「楓、若様の御前で倒れれば、あとでお仕置きだ」

「そんな、千代女様」

 

 茶目っ気たっぷりの楓だった。

 頭から真っ黒になった血と黒装束が相まって、妖怪がふらふらしているようにも見える。

 楓は力の声で説明してくれた。

 いつものように相生山から侵入すると偵察の伊賀者に接触し、追撃している間に取り囲まれ、脱出するのに苦心したらしい。

 何というのか、殺気の檻に放り込まれた状況。

 誘われているのに気付きながら、敵の思惑に乗るしかない。

 そして、敵に思うように沓掛の北側を東に追い込まれ、山を出た先に地侍衆が待ち受けていた。

 死闘だったらしい。

 楓らが二十人。

 対する地侍は八十から百人近く、その周囲を伊賀者が囲み、逃げ道を塞いだ。


「突破しても、突破しても、次の地侍が待っており、もう帰れない。と、何度も諦めかけました」

「よく帰って来られたな」

「知立の地侍が加勢してくれました」

「あぁ、知立の奴らか」

「知立の者も五十人近くは討ち取られたと思います。何人、生き残ったか。そのお陰で三河方面に脱出でき、飯田街道を迂回して戻って来られました」


 飯田街道には反今川の地侍が多くいる。

 地侍の多くは元三河領主であり、奪われた領地を奪還するために活動している。

 織田家は彼らに兵糧と銭の支援を行っていた。

 もちろん、地侍には銭に雇われ今川方へ組みする者らもいる。

 今回、敵に回ったのはそういう連中だった。

 加藤に匹敵するような殺気を放つ集団に取り囲まれるとか、絶望しかない。

 だが、唯一の活路が“伊賀者も損失を恐れた”という事実だ。

 加藤らとガチでぶつかれば、こちらの損害も大きいが、藤林伊賀衆も替えの利かない手練れを失う。それは敵も避けたかった。

 それを悟って、加藤は難関の地侍を突破するという進路を選んだ。

 だが、こちらが弱った所でトドメを刺しにくる。

 それをわかった上で、敵の予想を超える神速で突破して包囲陣を抜ける策を取った。

 俺が護衛侍女の安全を優先しろと命令したからだ。

 知立地侍の加勢なければ、全滅したかも知れない。

 鶴が腹を刺されて重体と聞いた。

 俺は「そうか」としか答えられなかった。

 昼頃、元気な楓が復活した。


「じゃじゃん。楓ちゃん、復活」


 俺に報告をしていた千代女がジロリと睨んだ。


「楓。元気が有り余っているならば、報告を書け」

「今日はお休みという約束ですが」

「疲れているだろうから寝ておけという意味だ。元気ならば報告くらいは書けるであろう」

「そんな、若様を見て元気を養おうと思っただけですよ」

「そうか。ならば、私の机を貸してやる。思う存分に若様を眺めながら仕事に励め」


 雉も鳴かずば撃たれまい。

 大人しく部屋で寝ていればいいのに、空元気で顔を出すからそうなるんだ。

 千代女の報告は鶴の状態だった。

 腹を刺されたが貫通しておらず、主要な臓器の破損もなかった。

 腸が引き割かれたので、欠損した部分を切り取って正常な部分を繋ぎ合わせた。


「若様の知識と曲直瀬殿の技術を伝授されていなけば、腹から腐って絶命していただろうと申しておりました」

「臓器が無事でよかった」

「しばらく固形物を食べさせることができません。一ヶ月は鶴を診療所に預けることになりました」

  

 食べたものが漏れる。散った食べカスが腹で腐敗するなど、縫合の失敗、洗浄の取りこぼしなど、手術が巧くいかなければ、何度か手術を繰り返すことになる。

 そういうことにならないように祈ろう。

 血も減っており、鶴の体力が落ちているのも心配な要因だった。


 夕方、加藤が謝罪にやってきた。

 楓らを城に届けると、再び相生山から侵入して逆襲してきたらしい。

 地中に身を潜める。殺した敵に変装して紛れる。弱い箇所を強行突破する。

 今川の包囲など、加藤らのみならば無に等しい。

 俺との約束を守ってくれた。

 加藤らの護衛侍女に手足を縛られたに過ぎない。

 もちろん、やってきた藤林伊賀者の中にも強者がおり、その者と対峙すれば、勝敗は定かでないと笑いながら言う。


「今回は某の慢心が起こした失態でございます」

「加藤に慢心があったのか」

「藤林家の人材にも限りがございます。駿河を手薄にしてこちらに派遣すると思っておりませんでした」

「今川勢が撤退をはじめているが、入ってきた藤林の忍びを去ると見てよいか」

「おそらく」


 俺は尾張甲賀衆十人、銭で雇った小者二十八人を失った。

 甲賀衆の十人の中には侍女付きも含まれる。

 また、無関係の行商人にも被害がでており、沓掛や緒川を相手にしている行商だった。

 俺等も行商人や僧侶に化けさせて忍ばせている。

 今川の割符を持っていない者はすべて始末され、今川の割符を持っていた俺の草は無事だったので知ることができた。

 加藤の推測では、藤林の伊賀者百人が動員された。

 楓らが生きて戻れたのは、何も相生山を中心に活動している忍びのみを狙ったのではなかったからだ。

 南の大高水野家の伏兵で大きな被害を出した。

 荒尾家の物見にも被害が出た。

 緒川水野家に至っては投入した物見が一人も帰って来ない。

 千代女が報告書を捲りながら言う。


「こちらの被害は合わせて百人以上になりそうです」

「二ヶ月掛けて敵の物見を減らした数を一日で取り戻されたか」

「若様の被害は軽微ですが、織田方を全体で見るとそうなります」

「ままならん」

「藤林-長門守も同じことを思っているのでないでしょうか」

「同じだと」

「織田方の間者を百人討ち取っても藤林家の伊賀者は戻ってきません。山口や近藤に仕えていた物見も返ってきません。どちらも補充することになります。百地殿の話では、甲賀の藤林本家から織田家に恭順したいという一族も現れております。長門守は補充に苦労することになるでしょう」

「長門守は藤林家の棟梁だな」

「棟梁と言っても合議制です。すべての家が長門守に従っている訳ではありません」

「そういうことか」

「若様。藤林家の恭順を認め、荒尾家に貸し出すのはどうでしょうか」

「藤林の駿河伊賀者を藤林の甲賀伊賀者で抑える気か」

「いけませんか」

「千代も悪いことを考えるようになったな」

「若様の影響です」

「では、荒尾殿に頼んで荒尾にも忍びの里を作るとするか」

「それが宜しいと思います」


 駿河と甲賀で違うと言っても藤林家の者を信用するのは無理だ。

 だが、手駒にするのがありだ。

 少し信用に足りない者も雇ってゆき、荒尾に配置する。

 銭はこちらは用意すると言えば、文句もいうまい。

 知多の防衛拠点の一つとして忍び村を作り、数で情報戦を制する。

 知略戦は駄目だ。

 今川-義元は“東海一の弓取り”と呼ばれるだけある。

 騙し合いで一方的にボコれない。

 やはり数と武器で勝負だ。

 敵の三倍の戦力を揃えれば、まず負けない。

 運用は丸投げだ。

 専門は専門家に任せる。

 そうだな、忍びの選別は元締めに任せ、運用は加藤に任せよう。

 俺は銭を稼ぐ。

 それしかないと悟った。


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