41.萱津の戦い(1)
天文二十一年八月十三日
昨日の夕方、さくらの報告を聞いて耳を疑った。
さくらが「清須が矢をあさっております。再度、確認いたしましたが、間違いありません」と言ったからだ。狩人(伊賀者)が仕留めた鹿を河原者に卸したときに清須の侍らしい者が箆(矢の付いていない本体部分)を買い漁っていったという話を聞いた。
周辺の河原者らの集落に人をやって確認すると、他の集落にも買い漁った形跡があった。箆に矢じりを付けると矢になり、清須勢は急いで戦準備をはじめたのがわかった。
俺は何ともいえない違和感を覚えた。
さくらは自慢顔で「若様の言った通りになりました」と拳を握って鼻息を荒くした。
確かに、俺は稲刈りが終わった直後に攻めてくるとは言っていた。
守護又代で清州の家老である坂井-大膳と繋がっており、今川が動けば、清州も動くと言っていた。そして、清須が動くならば、稲刈りが終わった後とも……。
熱田の早植えの稲刈りを終えたばかりだった。
普通に植えた田んぼの稲はこれから刈りをはじめる。
今年の長雨のために成長が悪く、梅雨明け以降にやっと育ち出したためだった。
皆、天候のリスクを減らすために、早植え、普通植え、遅植えに分散している。
その中でも温室で発芽させる熱田はどこよりも早植えの刈り取りが早い。
那古野周辺はやっと早植えの稲刈りがはじまったばかりであり、蝮土を使用していない稲穂はまだ早過ぎると思えた。ゆえにまだ一ヶ月ほどの余裕があると考えていた。
言葉に出して、さくらと話していると、その違和感に気付いた。
そうなのだ。“箆”の大量注文ではなく、買い漁っているのが違和感の正体だ。
すぐに戦をする気のように聞こえた。
千代女に清須のようすを念入りに調べるように命じたが、俺の違和感は翌日。つまり、今朝の三河からの一報で解消した。
「昨日、駿河館から西遠江、および、東三河の領主へ、兵糧を供出せよという命が届いたそうです」
「それだ」
「何がそれですか?」
「尾張と違って東海は長雨の影響が少なく、すでに稲刈りがはじまっている」
「はい。遠江と東三河では早刈りで稲刈りを終わらせている地域もござます。あっ」
紅葉も気付いた。
尾張は稲刈り前で動き辛く、駿河・遠江・東三河は稲刈りが終って動き易い。
この機会を今川-義元が見逃すはずがなった
自分の甘さを呪った。
「千代、今川と清須の交流を遮断できないか」
「物流を止めるのは無理でございます。信長様に清須の兵糧攻めを進言なさいますか」
「まだしたくない」
「今川も多くの草を尾張に忍ばせております。手練れほど見つかりません。加藤にも依頼しておきますが、期待なさらない方が宜しいと思います」
「だな」
俺が今川領へ草を送れるように、義元も尾張へ草を放っている。
他にも公家や僧侶が行き交い、手紙や口頭で伝えることもできる。
兵糧攻めで蟻の一匹も出入りを許さないという厳しい処置を取らねば、遮断するのが難しい。
否、兵糧攻めで出入りを閉じても、どこかに穴があるものだ。
「信長兄ぃ、信光叔父上、信実叔父上に手紙を書く。届けてくれ」
「手配します」
「できれば、どう対処するか聞いてきてほしい。それと師匠を呼んでくれ」
「畏まりました」
そう言って千代女が部屋から出ていった。
すぐに師匠、右筆の岡本-定季を連れて戻ってきた。
師匠は髭もさすりながら俺の横に腰掛けた。
「義元は抜け目ないというか、こちらが嫌がる所を攻めてきますな」
「まったくです」
「しかし、切れる御仁だからこそ魯坊丸様の意図が読めている。大軍を連れて出陣はしないでしょう」
「はい、甲相駿の三国同盟は完成していません。ここで全軍を上げて出陣し、万が一、撤退することになれば、義元の信頼が失われて同盟が流れます」
「今川と組むより、織田家と組んで今川を攻めた方に利がある。ですな」
「ですから義元は危険な賭けにでないと読みます」
「今回は尾張守護代である織田-信友殿の要請で出陣したという形を取り、あわよくば織田弾正忠家の一角を崩したい」
「俺は駿河に兵を残すので二万に達することはなく、多くとも一万五千と読みます」
「某も同じく、そう読みますな」
「ですが、どのような手を取るかが読めません」
「そうですな」
師匠の読みは主に三つだった。
基本は清須勢と今川勢による挟撃であり、同時に日時を合わせて攻めてくる。次に、今川勢が那古野勢を引き付けて背後から清須勢が襲い掛かる。最後に、清須勢が那古野勢を引っ張り出し、背後の今川勢が攻め掛かる。
「今川が兵を二つに割って笠寺と岩崎に置けば、こちらの兵力を分散するのが目的です」
「無防備に近い笠寺へ送る兵糧を狙えば、空き家の那古野を清須勢が狙うですか」
「さよう。岩崎に入った今川勢は丹羽家にも兵を出させ、東と北と南からも攻めてくるでしょう」
「俺ならば、さらに三方に分け、平針街道、岩崎街道、守山方面から攻めます」
「各関所で織田の兵を引き付け、本命は清須の信友殿に譲る策でございますな。某もその策が一番有効と考えますが、有能な将が足りますまい。最低でも四人は状況を見て、兵の運用をせねばなりません。腕自慢の馬鹿にはできますまい」
「なるほど。笠寺と清須の両面で攻勢を掛けてくると」
「はい。某ならば、そう動きます」
「ですが、井戸田の渡しを渡河できる時間が限られます」
「清須が攻める時間を限定し、ゆるりと真綿で締めるように那古野勢の疲労を誘うのが上策でしょう」
「師匠のような者が清須にいると厄介なことになります」
「さて、清須に兵を統率し、時世を見られる者がいたかどうか。某は存知ませんが、人材というのは中々尽きんものです。油断でできません」
「わかりました。こちらの予想を信長兄ぃに伝えてましょう」
「あとは信長様次第ですな。まぁ、負けることはございませんが、清須勢は信長様の留守を狙って、村や田畑に火を放たれると甚大な被害額となるでしょう」
「奪う時間もないので火を掛けて一旦退くですか」
「それを潮が引く毎に繰り返す」
「最悪です」
「那古野勢を熱田に呼ばず、熱田勢のみで今川勢に対応するしかございません」
「防げると思いますか?」
「魯坊丸様の手札を何枚か切らねば拙いことになるでしょう」
手札を切れば、次に義元は対応の策を考える。
信長兄ぃならば、すべて切って甲相駿の三国同盟を崩壊させろとか言いそうだ。
成功すれば、最高だ。
しかし、織田弾正忠家を脅威に思って三国が共同して攻めてくる可能性を示唆していない。
史実で起こる“織田包囲網”だ。
強すぎる力には、拒絶感を生み出し、団結して倒そうと動き出す。
それを跳ね返す力がいる。
つまり、強すぎる力は災いを呼ぶが、その力が絶望に至れば恭順を選ぶ。
まだ圧倒的な力を得ていない。
臥薪嘗胆、今は耐え忍ぶのが一番であり、力を付けるまで爪を隠す。
義元には、尾張より三河平定が先と思わせたい。
手札は切りたくない。
「手札を切らぬと申されるならば、那古野まで引き付ける事案も考える必要がございますな」
「稲刈りだけでも終わらせるか」
「三日ほどしか猶予がございませんぞ」
「河川工事を止め、商人らにも助けを求める」
「大事ですな」
「仕方ない。村は動かせぬが米だけでも確保したい」
方針が決まると、千代女が具体的な手筈を立案した。
稲刈りだ。




