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38.山崎城の戦いのその後

 天文二十一年七月十九日。

 暑い、これまでもジメジメと蒸し暑かったが、今度は滅茶苦茶に日差しが照りつける暑さになった。そして、俺は日陰の軒下で倒れていた。

着物で袖を撒くって廊下の板に体をくっつけるとひんやりとして嬉しい。

猫になった気分だ。

 暑さの為か、足を入れている氷入りだったたらいもぬるくなってしまった。


「う~~~ん、冷たくて甘いのじゃ」

「美味しいです」

「ねぇ、こっちの方がよかったでしょう」

「里は最高なのじゃ」

「里ちゃん、教えてくれてありがとう」


 お市、お栄、里の三人も軒下でかき氷のシロップ掛けを食べている。

 足につけている水は井戸水で我慢して、割り当てられた氷をかき氷にして食べていた。

それにしても元気そうだな~。

俺のようにもう動けないという感じではない。

なぜ、遊戯道(ゆうぎどう)(アスレチック)を十周もして元気でいられるのか?

 俺だって毎朝の練習を欠かしていない。

なのに……この差はなんだ?


「魯兄じゃはだらしないのぉ」

「お市は元気過ぎるだけだ」

「やっと雨が上がっていっぱい里らと遊べる。魯兄じゃも三十郎兄じゃを見習うべきなのじゃ」

「かき氷を食べた直後に素振りをはじめる筋肉馬鹿になれん」

「筋肉馬鹿なのかや、将棋は割と強いのじゃ」

「そろばんの練習から逃げているだろう」

「なるほどなのじゃ。でも、喜蔵兄じゃよりマシなので許してやるのじゃ」

「お市の許しなどいらん」

「喜蔵兄じゃは運動不足なのじゃのぉ」


 三十郎兄上は遊戯道を十周した後にかき氷をあっという間に食い尽くすと木刀を持って素振りをはじめた。

一方、後ろを走っていた喜蔵は熱中症で倒れた。部屋の涼しいところで氷を撒いたタオルを首に置かれて寝かされている。

 午前はこれでおしまいだ。このあとは昼食を取り、昼寝のあとにもう十周する予定になっている。

 俺の体力が持つのだろうか?


 最近、お市らの来る回数が増えている。

 三十郎兄上と喜蔵、彦七郎、喜六郎、半左衛門と他の兄弟も来ているそうだ。

飯を食べ、土産にオカズを貰って帰ってゆくらしい。

たまに見かけるが、本館に来ないので頻度は把握していない。

 問題はお市とお栄だ。

 里の部屋で遊ぶことも多く、また母上の舞の稽古にも呼ばれ、もう勝手知ったる本館だ。

ちょくちょく俺の政務室も顔出す。

 朝寝か、昼寝している俺を見つけて遊びを強請る。

 その程度は問題ない。

疲れていれば断る……が、今回は忙しい俺のために仕事を手伝うと言ってくれた。

 マジで猫の手も借りたい。

 忙しいというのに加藤-三郎左衛門が護衛侍女から六人を選んで物見狩りの実習を続けている。

 鳴海・大高を制圧する絶好の機会と三郎左衛門が強調する。

 その意見もわかる。

今川方の伊賀者や山口の物見を好きにさせないことが重要だ。

 伏兵で信長兄ぃが討ち取られるとか最悪であり、情報が奇襲の命綱となる。

だが、戦後処理の忙しいときに人を取られるのは辛い。

 お市とお栄の提案は素晴らしい。

ありがたいのだが、猫の手を借りると書類が引き千切られるので邪魔でしかなかった。

俺が手伝うメリットと三人を排除するメリットが比べられ、千代女に“若様、こちらは何とかなりますので、お市様らと遊んできてください”と三人の世話係を命じられた。 

人身御供だ。

はっきり言って那古野や末森に知れると拙いことがある。

 それを隠す手がいる。

 お市とお栄についている侍女は末森のスパイとなり得る。

 だが、里の侍女二人と女中四人、お市とお栄に連れそう侍女二人ずつは魅力的だ。

 里、お市、お栄が手伝いをはじめると、侍女や女中も手伝うしかない。

 十人近い手伝いが増える。

 末森の者に中根南城の手伝いをさせるのは拙い。また、熱田屋や望月衆の裏商売などは論外だ。

 そこで俺が個人的に商っている葛根湯の生産、水飴の生産、うどん・そばなどの屋台、作業所の飯場(はんば)業、茶店の経営、野菜や果物の派遣業などはどうだろうか。

 俺の事業は尾張に流れてくる商人、農地を失った流民、助けを求めてやってくる河原者の職業斡旋が目的であり、儲けより尾張の生活改善に重きを置いている。

葛根湯や水飴を薄利多売で売っているのは、病人を減らして民草の栄養改善を狙っている。

 もちろん、俺が善人だからではない。

 物を作っても人がいなければ誰も買わないし、労働力なしに国の発展はない。

 俺は未来の労働者と購買者を育てている。

 お市とお栄が手伝いたいと言ってくれているのだ。

 忙しさの山場を越え、暇ができた女中に仕事を教えるように言っておこう。


「魯兄じゃ。戦はどうなったのじゃ」

「お市は聞いていないのか」

「末森でも小競り合いを信兄じゃが勝ったとか言っておった」

「小競り合いか」


 確かに、小競り合いだ。

 あながち間違いではない。しかし、味方を鼓舞するには十分過ぎる戦果だ。

 信勝兄上は和睦が破れたことを気にしている。

末森では、幕府に申し出て和睦を求められるかが議論となっている。

一方、那古野衆は“今川、何するものぞ”と信長兄ぃの強さを鼓舞していた。

 もう勝った気だ。

戦勝気分は構わないが、今川が弱い訳でもない。

 それを理解できていない。

 戦国の武将らは単純でご都合主義な意見が多すぎる。

 山崎の戦いで岡部-元信と三浦-義就が負傷した。すぐに葛山-長嘉が撤退を決めたので被害は小さい。後詰の浅井政敏と飯尾乗連が味方の退路を作った。

 連携が見事だったらしい。

 また、戸部-政直もしたたかだった。

 敵の左翼を担った政直はもっと損害を出してもおかしくなかったが、今川勢が攻撃を受けると一歩引いて、左翼から右翼への移動を試みた。

 信長兄ぃが山崎城跡を制して突撃してきた頃には一歩後退しており、森隊の直撃を避けた。

 大きな被害を出したのは山口-教継であった。

 特に山崎城跡の復旧を担っていた新屋敷(あらやしき)西城主、山口(やまぐち)-新太郎(しんたろう)とその重臣の多くが討ち死にした。

 新屋敷西城に残った武将は城代のみ、あとは元服したばかりの若武者と元服前の嫡子のみ。そんな惨状となり、大高城を一時的に預かっていた山口(やまぐち)-左馬允(さまのじょう)-明長(あきなが)という者が城主に選ばれ、新屋敷西城に入ったとか。

 その都合で戸部-政直が大高城へ前倒しで移動した。

 今川方の先陣を切った鳥栖城主だった成田(なりた)-弥左衛門(やざえもん)も討ち死。

 嫡子の市左衛門(いちざえもん)が跡を継いだが、一緒に出陣していた一族が軒並み討ち死したので、このままでは今川家に成田家が摺り潰されると懸念した。

市左衛門の弟と妹が家臣に連れられ夜寒の渡しを超えてやってきたので、丁寧に迎えて平針の分家に送ってたった。

 なお、鳥栖城ごと成田家を織田方が保護してくれるならば、織田方に寝返ってもよいそうだ。

 俺は“土地を捨てて織田方にくるならばお迎えします”と返事を出しておく。

 鎌倉武士は“御恩と奉公”を旨とし、主人より与えられた土地を守るのに心意気を見せる。

 古い武士ほど、土地を捨てることに抵抗する。

 市左衛門は隠居したご老体が復帰して支えているので土地を捨てるのは無理そうだ。


 土地を捨てたと言えば、市場城主の山口(やまぐち)-左近太夫(さこんだゆう)-安盛(やすもり)である。

 山口本家が織田家に反旗を翻した時も参加せず、山口-教継ほど親父に臣従していなかった。

 教継が今川方へ寝返った後も中立を続けた。

しかし、戸部-政直が寝返って中立も保てなくなり、今川方へ臣従した。

 その教継が山崎城の戦いに負けたことで今川を見限り、二度目の戦いでは自ら遊撃を願い出た。

 山崎城跡の西の海岸をぐるりと回って信長本隊の背後を突く。

 決死の一撃で信長兄ぃの本隊を狙うと宣言して出陣し、その手前で足を止めた。

 安盛は信長兄ぃの前で膝を付いて降伏した。

 実は市場城から奥方や息子らが残った家臣らに連れられて逃げ出しており、舟で熱田湊を目指した。何も聞かされていない家臣らは焦った。

 寝耳に水だ。

 重臣の一部は急いで舟で市場城へ戻り、家族を避難させるという困難なミッションが行われたらしい。確かに相談すれば反対されるので秘密裡に進めたとか。

 安盛は古い武士をばさりと切り捨てた。


「そんな事がおこっていたのかや」

「お市、戦は戦場だけで起こっているわけではない。はじまる前から戦ははじまっているのだ」

「魯坊丸兄上。もっと聞きたいです」

「お栄も聞きたいのか」

「私は畿内や西国の話が聞きたいです」

「お栄は他国のことか。里は何かあるか」

「船で運ばれる。甘いお菓子の話が聞きたい」

「里は甘味か」


 俺は本棚から日の本の地図を持ってこさせた。

 隣国で戦っている駿河の今川、背後の甲斐武田と相模北条の関係を教えた。

 午前で語り尽くせない。

 昼から畿内は京、湊がある堺周辺、西国は毛利の国、四国の一条、薩摩の島津、琉球と南蛮の話をした。

 各国の敵対関係、その国で買える品物、珍しい果物の話が盛りだくさんだった。

 三人は遊戯道に戻るのも忘れて話に夢中になった。


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