36.山崎城の戦い(2)
天文二十一年七月十二日。
四、五、六日と雨だったが六日の夜に上がり、七日朝に起こった『山崎城の戦い』は朝の内に終わった。しかし、昼からまた雨が降ってきた。
八日、信長兄ぃは帰蝶義姉上を連れて戦勝祝いの参拝をすると、夜の迎賓館では熱田商人の主催で主だった武将を呼んで軽い宴席が開かれた。
予想通り、噂の舞いの話が信長兄ぃの耳に入ると、皆の熱烈なラブコールで舞う羽目になった。
見損ねていたさくらが鼻血を出して喜んだ。
そこはもうよいのだ。
予想通りというか、半ば諦めていたからヤケクソで舞った。
信長兄ぃも対抗して女踊りを披露した。
戦で勝利したのが久方ぶりであった信長兄ぃはずっと上機嫌であった。
九、十日と雨が続き、山崎に舞い戻った山口勢が山崎城の修復を再開した。
大勝利と言っても被害を出したのは山口勢のみだ。
今川の武将が命じれば、山口-教継は逆らえない。
無傷で残った今川武将が押し返してくるのは予想できたので問題ない。
十日の夜、雨が上がったので反撃を開始する。
陣容は前回とほぼ一緒であり、山口勢が三百人ほど少ない。
信長方:一千八百人
・那古野勢 三百人
・那古野の常備兵 一千人
・熱田勢 三百人。
・中根八事勢と黒鍬衆 二百人
※荷駄衆として、鍬衆三百人と農民百人
今川方:二千二百人
・鳴海勢一千三百人、
・桜中村百人
・今川方五百人
・戸部勢二百人
熱田勢に千秋-季忠の兵が加わり、俺も中根南城に戻ったので警備の兵も投入したので総勢が二百人ほど増えた。
敵は山口勢が減った為に兵力が均衡したように見える。
前回のように闇雲に突っ込まない。
まず、山口勢の半数が穴熊のように山崎城跡へ入った。そして、敵の本隊と距離を開けて様子見であった。
不用意に近づけば、敵の本隊と山崎城跡の兵に挟撃される。
信長兄ぃはまず山崎城跡の兵を片付ける事にした。
大盾を前に出してゆっくり丘を登り、催涙弾の射程距離まで近づいた。
それらの指示は俺の名代として、右筆であり師匠でもある岡本-定季が取ってくれた。
実際に指示を出しているのは息子の良勝らであった。
定季が「そろそろ実戦も経験させねば」と言って、右筆見習いを全員連れだしたのだ。
風が東南から南南東へ変わっていった。
東から攻めているので問題ないが、師匠はそろそろ本隊が動くと言って、良勝らを急かしたらしい。
敵は動かないのではない。
風が南風になるのを待っていると師匠は読んでいた。
催涙弾が山崎城跡へ放たれると、信長兄ぃが猛将の森-可行の隊を先頭に那古野勢が突っ込んだ。
風が強いので前回ほどの効果はない。
しかし、前回の恐怖を知る山口勢が脆くも崩壊し、兵が逃げ出すと十数の武将首が飛んだ。
「首は討ち捨てよ。持ち帰った者は厳罰に処す」
信長兄ぃの声が那古野勢の兵に轟いた。
常備兵は徹底して合理的な戦い方を叩き込み、敵将の首すら取るという無駄な動きを禁じた。
首を取るには倒れている敵に覆いかぶさる。
味方の援護がなければ、後ろから刺されて命を失う。
援護は最低二人が必要だ。
そうなると、首一つ取る為に三人の兵の手が止まる。
敵の大将首ならばともかく、一般の兜首程度では行軍の邪魔でしかない。
大将首以外は討ち捨て。
これが俺の方針であり、合理主義の信長兄ぃも同意した。
しかし、那古野勢の兵は出陣前に聞いていても理解できなかった。
転がっている首狩りに夢中になる。
「首は討ち捨てよ。持ち帰った者は厳罰に処す」
信長兄ぃが声を荒げても聞く者はいない。
苛立っている信長兄ぃの下に良勝が父の伝言を告げた。
「信長、敵の本隊がそろそろ動きます。頃合いを見て、丘から挟撃をお願い致します」
「敵が動いたのか」
「いいえ、まだ動いておりません。しかし、父が動くと言ったのです。必ず動きます。凡将の首など目にくれず、ここで今川武将の首を狙って頂きたいと申しております」
「であるな。確かに凡将の首はいらん。任せろ」
街道には伊丹-康直の常備兵が配置されていた。
信長兄ぃが山崎城跡を攻める横から敵兵が迫ってくるのを防ぐ為であった。
師匠は康直にも使者を出し、敵が迫ってきたら整然と撤退を願った。
交渉に当たったのは、直近に右筆見習いに抜擢された白井-胤治であった。千葉-利胤・親胤親子に二代に渡って仕えた白井家であったが、不遇の扱いに胤治は出奔した。
織田家の治水を学ぶ為にずっと見学をしていたが、師匠がやっと説得して右筆見習いに加えた。
師匠、期待の星だ。
老いた自分の代わりに、俺の軍師として育てたいと言っている。
師匠は老いたと言っているが、五十代だ。
あと三十年は仕えて欲しい。
胤治の要請に伊丹-康直が難色を示したらしい。
「信長がここを死守せよと命じられた。勝手に持ち場を離れるわけにいかぬ」
「すでに信長様の山崎城跡への攻撃は半ば終わっております」
「信長様へも使者を遣わしました。しかし、信長様の命を待っていては好機を逃します」
「好機だと」
「風が東から南へと変わりました。本隊が動きます。ここで伊丹隊を熱田隊の所まで下げれば、右翼に信長様、中央に伊丹隊、左翼に黒鍬衆と中根隊と包囲殲滅の好機となります」
「なるほど」
「他の兵ならば押し上げて包囲殲滅する所ですが、伊丹隊ならば後方の馬房柵を苦なく通ることができます。敵が馬房柵で足を止めた瞬間に、催涙弾の雨を降らせ、怯む今川勢を三方から押し込めば、殲滅も可能と存じます。この好機を逃しますか」
伊丹・康直はしばらく考えると同意した。
但し、信長様の勝利が確信に変わり、敵が動き出す直前までここに留まると言った。
胤治もその条件を呑んだ。
胤治が戻った直後、山崎城跡の兵が逃げはじめ、信長の勝利を確信した康直は、動き出した本隊を見定めた。
師匠の予想通り、敵の本隊は風が追い風になるタイミングを待っていた。
だが、一呼吸遅い。
近づく今川勢に対して、伊丹隊が後退した。
街道を中央に八の字を幾重にも広げた馬防柵が置かれ、その柵が三重に配置されていた。
伊丹隊は十人組に分裂して、一糸乱れぬ見事な集団行進をした。
馬防柵という障害物をものともせず、見事なジグザク走行で後退を完遂した。
伊丹隊を追う山口勢と戸部勢が勢いを増す。
しかし、馬防柵の隙間を抜けようと兵が密集すると混雑が起こり、後続の圧力で馬防柵へ突進した。簡易移動式の馬防柵は四方を長い鉄の杭で止めた代物であった。
牛の突進程度は食い止める。
先端はトゲトゲの木の槍状になっており、たっぷりとトリカブト毒が塗られていた。
ぐさっと刺さった瞬間に泡を吹いて死亡する。
手に傷を負うだけでも致命傷だ。
裸では危ないので移動の際は油紙と布を掛けて移動するのだ。
敵の足が止まった所で伊丹隊が反転して攻勢に転じた。
熱田勢は東へ迂回を開始した。
前が詰まり、今川衆は足が止まった。
その瞬間を待って、黒鍬衆が催涙弾を今川衆へ放り込み、催涙弾の煙が散った頃合いを見計らって信長兄ぃが森隊を率いて丘から降ってきた。
『すわ、かかれ』
信長兄ぃの勢いは凄まじかったらしい。
但し、駿河勢の被害は軽微だった。
催涙弾と一緒に投げた鉄球が岡部-元信の頭に命中し、馬上から落ちて負傷した。それを見た葛山-長嘉が撤退を決め、他の今川武将を引き出した。
武将の首は三十を超えたが、今川の将はいない。
十二日の昼過ぎ、織田勢の勝鬨が響いた。
その日のうちに兵はすべて熱田神宮の境内に撤退し、盛大な戦勝祝いが行われた。
大宮司千秋季忠が熱田明神の生まれ代わり、俺の舞いが勝利を呼んだと触れ回った。
いつもの調子だ。
信長兄ぃが戦勝祝いの舞を所望し、季忠の使者が中根南城にやってきた。
養父と義兄の手紙も添えられていた。
母上も喜んだ。
何に対して喜んだのか聞けない。
俺は母上と一緒に中根南城から酒の差し入れとして運び、結局、戦勝の舞を舞った。
一度あることは二度、三度とあるらしい。
でも、四度目はないぞ。
そうだ。千秋季忠に言っておこう。
俺を意のままに操れると思うならば、手痛い仕返しが待っていますよと。
なお、俺が千秋季忠をキツく叱ると、神官らが誤解した。
日照りで祈ると雨が降り、雨よ鎮まれと言えば雨が止む。祈願の舞で信長を勝利に導く、見た者は邪気が払われ、寿命も延びると噂されていた。
神や仏をマジで信じる神官らは疑わない。
神儀を軽々しく望むものではないと大宮司を戒めたと広まった。
以後、俺に舞って貰う為に、神官らが悩み続けることになったのを知るのはずっと後のことであった。
だって、俺に神力なんてものはないからね。




