32.弓隊、中野又兵衛尉
天文二十一年六月十六日。
十二日、信長兄ぃが大高の奇襲を終えて織田領に入ってきた頃から雲が張り出し、夜中に風が強くなって雨となった。翌十三日の笠寺への奇襲が延期となった。
雨天中止だ。
十三日は土砂降りの雨となり、鳴海・大高の貯め池は氾濫寸前と報告を受けた。
危険を冒して土手を破壊せずとも決壊を待つ手もあったが、千代女が「やりましょう」と言い切った。
十四日は小雨が降り続き、雷の轟きと共に藤川、扇川、大高川の三川が決壊した。
雨の中、火薬筒が入った箱の導火線に火を付け、時間内に土手の下に配置して避難する。
配置の為に土手の下まで運んでいる時、土手が決壊すれば、あるいは、配置に手間取っても全滅する。そんな危険なミッションを千代女らは見事に三度も遂行して帰還した。
十五日の昼にやっと雨が上がると、信長兄ぃが明日は決行すると言ってきた。
もちろん、認めなかった。
川の水位が下がらないと兵の移動は難しいからだ。
物見が帰ってくると状況も見えてきた。
河川に近い村が流され、下流域の田畑が全滅した。
もう十分な戦果だ。
山口-教継が青ざめているだろう。
十六日夕方、岩室-長門守が使者になってやってきた。
「魯坊丸様、信長様が出陣を願っております」
「俺は報告したぞ。鳴海と大高で氾濫が起き、兵の移動が難しいと」
「それは承知しております。しかし、信長様は諦めておりません」
「どうするつもりだ」
「笠寺を襲います」
「復興の為に鳴海の兵を村々に帰してからの方が楽だと思うぞ」
「信長様は城の兵を村に帰さない方が兵糧攻めに効果的ではないかと申しております」
確かに一理ある。
復興に兵力を割けないとなると、秋の収穫は絶望的になる。
今、信長兄ぃが動けば、山口-教継は兵を解散できない。
悪くはない
「具体的にはどうされるつもりです」
「島田・平針から兵を出して頂き、野並を攻めると見せます。こちらが動けば、鳴海城の兵を差し向けてくるでしょう」
「なるほど、藤川を挟んで睨み合い。敵が動き出せば兵を引く。そんなところでよろしいか」
「はい。可能ならば潮が引く時間を見て睨み合って頂きたい」
「読めました。桜中村の山口勢、笠寺の今川勢を鳴海に呼び込み、戻れない頃合いを見計らって、井戸田の渡しから信長兄ぃが笠寺へ進撃するのですな」
「その通りです」
「承知致しました。天候が変わらないならば、そのように動きましょう。島田の牧様、平針の加藤様は顔見知りですので、こちらからも声をかけさせていただきましょう」
「それは助かります」
長門守は俺との交渉を終えると島田と平針へ走った。
俺も手紙を書いて楓を走らせた。
紅葉は甲賀衆と伊賀衆の頭を集め、明日の陽動策を練り出した。
ポツンと残されたさくらに俺は話し掛けた。
「さくら、信長兄ぃの常備兵の様子を聞いているか」
「はい、もちろんです」
「どんな感じだ」
「信長様はすでに弓が引ける者を除くと、弓の鍛錬をせずに近接戦闘に特化した兵として鍛えるつもりのようです」
「弓は鍛えんか」
「その代わりに家臣や村から人を募り、弓隊と鉄砲隊を編成するようです」
「弓隊と鉄砲隊か」
「すでに中野-又兵衛尉を隊長に任命し、百人ほどの弓隊を編成しております」
「中野-又兵衛尉……どこかで聞いたような」
「小豆坂の戦いの七人の一人です。弓の使いで、熱田より西に領地を持っております」
「思い出した」
前田家と隣接する領地を持ち、熱田の塩村の隣で養豚所〔土佐のアグー豚(黒豚)を飼育する牧場〕の管理を委託した家だ。
又兵衛尉(中野-一安)は小豆様の七本槍の一人であり、弓の名手だ。
どういう経緯か知らんが、那古野城から逃げてきた今川-氏豊の娘を匿い、そのまま妻にしたという珍しい経緯を持つ武将だった。
父の今川-氏豊は京に避難しており、義元の庇護を受けていた。
義元の母方実家である中御門家を中心に、今川家に那古野と熱田の返還運動を朝廷に訴えている。
要するに義元が尾張を攻める大義名分に使われていた。
「その奥方は今川家と連絡は取っていないのか」
「知りません。楓が戻ったら聞いておきます」
「頼む。津島方面はどうだ」
「今の所は問題ありません。しかし、川の水位が上がり、どこかの土手が切れないかを心配しており、若様の護岸工事を津島方面でもはじめて欲しいと要望が日に日に強くなっていますね」
「この季節の恒例になってきたな」
「勝幡城を起点に進めておりますが、津島周辺には時間が掛かりますね」
津島商人は自分ら銭を出し、土木作業と常備兵を兼ねた兵を雇って護岸工事を独自に進めている。
芯の部分だけがローマンコンクリートという簡易バージョンだが、それでも強度は十分にある。
津島と津島神社がある土地の堤ですべて覆われた。
津島周辺の領主の土地は手付かずだ。
まだ五年は掛かりそうだ。
楓が戻ってくると、又兵衛尉の妻は駿河とは連絡を取っていないことが分かった。
手紙は京の氏豊のみだ。
氏豊は京で不自由のない暮らしをしているが、贅を尽くすほどの援助はない。
しかし、雅な京の公家と付き合いをすれば、それなりに銭が掛かる。
娘に京の櫛や着物を贈り、「物入りなので十貫ほど貸して欲しい」などの手紙が舞い込む。
中野家も楽な生活ではない。
しかし、仕送りが続く。
そうなのだ。親父は氏豊に対して後ろめたさもあってか、その娘を気遣っていた。
次に氏豊から手紙が届くと、信長兄ぃか、俺の下に中野家の奥方からお願い状が届くかもしれない。
なるほど、那古野城を追い出された氏豊が親父を悪く罵らない訳だ。




