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30.上機嫌な信長と不機嫌な利家

 天文二十一年六月十一日。

 その日、俺は那古野城に呼び出された。

 昨日は信長兄ぃが“鳴海に出陣するから”と言い訳にして舞いの稽古を延期して貰った。

 母上が“信長様に文句言ってやる”と鼻息を荒くしたのを宥めてから城を出た。

 俺は侍女二十四人のフルスペックで登城すると那古野の政務室に突撃した。

 那古野在住の中間から事務の遅れを指摘されており、政務を預かっている帰蝶義姉上の許可を貰い、溜まった書類を片付けさせた。

 俺の侍女は優秀なのだ。

 処理を侍女らに任せて、千代女のみを連れて奥の信長兄ぃの部屋へ向かった。


「魯坊丸。見事な段取りであった」

「お褒めの言葉、ありがとうございます」

「で、次はどうする」


 そう言うと思った。

 俺は簡略化した鳴海と大高の地図を広げた。

 土砂崩れで川を堰き止めており、川沿いを避けたルートを示した。


「次は熱田水軍の舟で移動し、扇川の南から上陸致します。鳴海城より四半里(1キロ)もありませんので視認されます」

「討って出てくるかを試させるのか」

「いいえ、討って出てくるでしょう。城から見える青山の田畑を砲火するのです。黙って見過ごせば、兵が山口-教継を見限ります」

「あははは、であるな」


 そこから常滑街道に沿って南下し、鷲津山(後に鷲津砦のある場所)の山道に突入する。

 鳴海城を出陣した山口勢は扇川の渡河に中島(後に中島砦がある場所)まで迂回せねばならない。中島から鷲津山は山影に入るので織田勢を見失う。

 一方、大高城の兵も織田勢の舟を見つけるかも知れないが、鷲津山に遮られている。

 丸根山(後の丸根砦がある場所)の裏手から大高街道の藤塚に出られる。

 藤塚から再び山道を通って殿山へ抜ける。


「大高城の東にある村は襲わんのか。大した距離ではあるまい」

「襲いません。大高川は水嵩が低くなっており、渡河は用意ですが、上流の大根山付近で土砂崩れが起こり、大きな池が出ております。その土手が決壊すれば、こちらの被害はタダで済みません。危険を冒して渡河する必要を感じません」

「そうか?」

「絶対に渡河しないで下さい。絶対です。守らなければ、二度と協力致しません」

「判った。此度は従おう」


 小さな村の田畑を放火しながら桶狭間を通過し、大将ヶ根から間米(中京競馬場付近)を抜ける。

その先は鎌倉街道だ。

 ここから先は相手次第となるが、基本は街道を跨いで北へ進み、滝ノ水を迂回して野並へ向かう。


「相手次第とはどういう事だ」

「言葉の儘です。こちらの意図を察して鎌倉街道にも多くの兵を配置した場合は山道ですので突破が難しくなり、相手に集結する時間を与えてしまいます」

「食いちぎってやるわ」

「移動重視の兵装です。被害が出れば、次の作戦に支障がでます」

「では、どうするつもりだ」

「相手の配置を確かめ、手薄な場所を突破するつもりです。そのときは手腕を期待しております」

「任せろ」


 俺の予想では、鳴海勢は大高勢と合流し、桶狭間方面に物見の報告を待って足を止めていると想像している。そして、教継が知恵を巡らせても沓掛城へ使者を走らせ、織田勢の襲来を伝える程度だと見ている。最悪は教継が田畑を放火して兵糧攻めに気付いている場合だ。偶発的な遭遇戦で戦に時間を取られないようにお願いした。


「明日の出陣はこんな感じとなります」

「相判った」

「雨天中止です。そのことは心得て下さい」

「駄目か」

「駄目です。舟の転覆、視界が悪くなり、足元は最悪となります。遭遇戦となれば乱戦となります」

「勝てばよい」

「田畑の火が消えます。何の為に出陣するのかを忘れないで下さい」


 俺が信長兄ぃを叱ると、「無礼な」と側近らが声を上げた。

 帰蝶義姉上が「黙っていられないならば、追い出します」と言って止めてくれた。

 唯々諾々と命令に従う側近ばかりであり、信長兄ぃを叱るように命令口調の俺が気に要らない。

 前田-利家などはいつも殺気を撒いていたが、いつも以上に暴言が酷かった。

 帰蝶義姉上が利家を止めた。


「戦が怖いならば、母親の乳でも啜って怯えておけばよい」

「利家、黙って見ていられないならば出てゆきなさい」

「初陣も知らん小僧が偉そうにしているのです。帰蝶様は腹が立ちませんか」

「魯坊丸様は戦場に出ずとも戦っておられます」

「どこぞの誰かに言われた儘に話していると、皆が言っております」

「皆とは誰ですか」

「皆は皆です。そう言えば、後ろの女の言いなりとも聞いておりますぞ。織田家を乗っ取るつもりだろう。この目狐め」


 うん、俺が流したデマであり、信じてくれて助かる。しかし、千代女への暴言が許せない。

 俺がチラリと後ろを見ると、千代女は軽く首を横に振った。

 自分への暴言など構わないと言う。

 利家の暴言が酷くなる一方なので、お灸を据えることにした。


「信長兄ぃ、今日の話は以上でございます。最後に余興は如何でしょうか」

「何を企む」

「いいえ、大したことではありません。私への暴言は構わないのですが、家臣への暴言は許せません。キャンキャンと吠える犬を少しばかり調教したいと思います」

「ふふふ、好きにしろ」

「千代、相手をしてやりなさい」


 千代女が頭を下げて、「承知しました」と言った。

 庭が見える部屋に移動した。

千代女が短い木刀を持ち、利家が自慢の槍を構えた。

 別に利家がズルをした訳ではない。

 信長兄ぃが刀、槍、薙刀等々の武器を用意した中から短い木刀を選んだのは千代女自身であった。

 利家が「負けたときの言い訳か」と怒鳴っていた。

 千代女は何を言い返さずににっこりと微笑みを返すだけであった。

 信長兄ぃの「はじめ」と言う声で調教がはじまった。

 俺の横に座った帰蝶義姉上が耳元で囁いた。


「申し訳ございません。昨日、殿が前田-慶次郎殿の活躍が報告を聞き、慶次郎殿に家督を譲らせて魯坊丸様の与力にするかと言われたのです」

「慶次郎を?」


戦勝の祝いの席の報告であった。

 その祝いの席に慶次郎はいなかったが、陽動部隊を指揮した慶次郎の代わりに前田家当主の前田(まえだ)-利春(としはる)が呼ばれた。

 信長兄ぃの戯れ事だった。

 留守居役の林-秀貞は賛同し、利春が信長兄ぃの元で働きたいと返答したので実現しなかった。

 だが、慶次郎の初陣を褒められたのは、前田家として名誉なことだった。

 慶次郎は何も考えない利家を嫌う。

 小馬鹿にされた利家も慶次郎を嫌っており、その慶次郎が先に初陣を果たしたことが悔しいそうだ。その慶次郎を使う俺にも腹を立てていた。

 馬鹿らしい。


 どりゃあぁぁぁ、利家は大きな声を上げて千代女へ槍をふるった。

 利家は六尺(180cm)の長身であり、四尺二寸の千代女や慶次郎に比べると大柄だ。その大柄の利家が長さ三間半(6.5m)という長槍を振るう。

 上から叩きつけても、横に払っても脅威である。

 但し、慶次郎に比べると遅い。

 慶次郎の槍は二間半(4.5m)と普通の長さだが、その速度が異常に速く、千代女でも捌くのに苦労する。

 対して、利家の槍は蝿が泊まっているように見えていた。

 千代女は後ろ、右、左へと軽々と躱す。

 三度ほど攻撃を躱した後に「もう終わりですか。では、こちらから反撃してゆきます」と挑発してから反撃を開始した。

 まず、突き出した槍の手を叩き、さらに肩に一撃を加えた。

 やせ我慢をした利家がそのまま槍を薙ぎ払った。

 刹那、千代女の手が槍の上に置かれて、その手を基点にくるりと宙返りすると、頭、胸、太ももに斬撃を入れてから距離を取った。

 利家の顔が歪んでいた。

 互いに鎧を身に着けておらず、モロに入った三撃だった。

 胸の肋骨一本は折れたと見た。

 千代女は一度下がって利家の様子を伺う。

 やる気らしい。

 利家は痛みを根性で耐えて、斜め上から槍を振り下ろして千代女を襲う

 千代女は避けずに前へ飛び出す。

 否、槍が振り下ろされる前に懐に入って、肋骨を折った反対側の脇腹へ強打を入れて通り抜けた。

 利家がくの字になってその場に倒れた。

 倒れた利家だが、意識は飛んでおらず、無理にでも立ち上がろうともがく。


「根性だけ見事なものです。慶次郎に見習わせたいものです」

「慶次郎……だと」

「付け入る隙のない槍捌きで倒すのに苦労します。もう少し学ぶ気があれば、すぐに追いつかれそうなのですが、本人はまるでやる気がない」

「慶次郎に劣るだと」

「比べる必要もない鈍重な槍でした」

「糞ぉ」

「無理に立ち上がるのはお止めなさい。折れた肋骨が肺に刺さって死にます」

「俺は負けていない」

「若様への暴言を止めれば、いつでも座興に付き合ってあげましょう。ですが、再び若様への暴言を吐けば、その命を絶たせて頂きます。怪我を直して出直しなさい」

 

 千代女の言葉を待って、信長兄ぃが「それまで」と幕を閉じた。

 信長兄ぃの側近らは千代女の強さに言葉を失っていた。

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