25.森可行、桜中村への奇襲
天文二十一年六月一日。
前日(三十日)の夕方、さくらは同僚の鶴と一緒に熱田神宮の宿泊所に移動した。
宿泊所は境内の外にあるのだが、さくらを禰宜が出迎えた。
俺が熱田神宮に到着すると、禰宜か、権宮司が出迎える。
しかし、従者に過ぎないさくらを出迎える者はいないのが普通だったので、さくらは首を傾げた。
「さくら殿。宿泊所をお貸しするのは吝かではございませんが、時間を守るのと、境内を荒らすのを止めるように言って下され」
「禰宜様。何の事でしょうか」
「あれをご覧下さい。砂利がひっくり返った無残な姿を」
綺麗に敷きしめられた境内が茶色い土とごちゃまぜになり、穴ぼこの無残な姿に変わり果てていた。訓練所でもスクラムを組んでラクビーのように盾を先頭に互いに押し合うと地面が抉れたのを思い出した。
信長兄ぃは大盾を好まないので常備兵にリュックサイズの中盾も持たせた。
移動時は背負子のように背負える。
上半身を盾で隠し、最前列が敵に体当たりする。
二列目、三列目の槍隊が背中から押して敵を突破する戦術の一つだ。
特に馬上の武士ごと押し倒すと爽快だ。
一千人が十人組に別れて互いに押し合うと光景は豪快だったが、その後は踏み込んだ穴ぼこだらけになってしまう。
それを境内でやっていたようだ。
さくらは禰宜に謝った。
本心は信長兄ぃか、やらせた森-可行に“直接に言ってくれ”と心の中で叫んだ。
宿泊所に入ると、待ちくたびれたように可行が寄ってきた。
「お待ちしましたぞ」
「今日の夕方以降と連絡を入れた筈ですが」
「待ち切れませんでした」
「そうですか」
「さくら殿とは決着も付けたい。どうですか?」
「無駄に体力を削りたくなりません」
「確かに。それとは別ですが、お一人と聞きましたが間違いございませんか。息子の嫁になりませんか」
「はい?」
突然の嫁取りに、さくらも慌てた。
指名された可成も慌てた。
何故ならば、嫡男の傅兵衛(可隆)が生まれたばかりであり、すでに妻がいた。だが、可行は「一人でも、二人でも変わらん」と豪語する。
若くないが、自分の嫁でもよいと言うくらいだ。
さくらは「私は若様に身を心も捧げております」と断ったが、諦めていない。
随分と可行に気に入られたらしい。
さくらは手短く同僚と、信長兄ぃの道案内をする尾張甲賀衆の二人を紹介した。
そして、禰宜からの苦情を言うと、今後、境内での訓練を禁じた。
森隊は計三百二十人だ。
可行が信長に仕えたと聞くと、人柄の良さと忠義心の熱さから可行を頼って武将が集まり、述べ三百人の兵がやってきた。しかし、実際に使えたのは五十人ほどであった。
信長兄ぃは常備兵二百七十人を与えて森隊を編成した。
もう一人の伊丹-康直が連れてきた家臣はすぐに使えず、那古野の訓練所に鍛え直していた。
常備兵一千人は使えるが、それを率いる武将が足りない。
すぐに使える家臣がいる森家が優秀だと判る。
さくらが作戦を説明した。
「本日の夜に我ら甲賀衆は陽動で鳴海城に火を放ちます。敵が鳴海城に目が向いた隙を突き、松巨島の西浜から舟で上陸し、山口-教継の拠点である桜中村城を攻めます」
「田畑に火を放つと、信長様から窺いましたが?」
「間違いありません。こちらが用意しました火炎壺〔火炎瓶のようなもの〕を三つずつ持って頂きます。城を軽く攻めるのは、我らの目的を知らせぬ為です」
「知らせぬですか」
「すぐに気付くでしょうが、今は知らせません。まず、桜中村城に火炎壺を一ずつ投げ入れて撤退します。追ってきた敵の一撃を受け、もう一つの火炎壺を投げ込み、最後に田畑にも投げ込んで撤退します。どれも一撃離脱でお願います」
「一撃離脱ですな」
「はい。隊を三つに割り、一ツは敵の一撃を受ける隊、残り二隊は火炎壺を放つ隊です」
「さくら殿、判り申した。可成、討って出てきた桜中村の兵に一撃を入れる隊を任せる」
「親父殿。承知しました」
「儂は残る二隊の指揮を取る」
打ち合わせたが終わる頃に海鮮をたっぷり使用した夕餉が運ばれ、早めに仮眠を取った。
夜中に起き出し、空がわずかに白くなる頃に熱田水軍の小早に乗り込んだ。
そこに黒染めの小早が入港し、千代女が降りてきた。
千代女はさくらに「抜かるな」とだけ告げた。
さくらは元気に「出港」と叫んだ。
熱田湊から松巨島の西浜まで一里(4キロ)しかなく、半刻(1時間)で到着する。
西浜から上陸し、稲荷山長楽寺の横を通って雑木林の丘を越えた。
長楽寺から桜中村城まで十町(1090メートル)であり、一瞬であった。
桜中村城は半町(50メートル)四方の城であり、丘の上に建てられた。
城に横に南北に走る塩付街道があり、東に進むと野並の渡しへ続いており、交通の要所であった。
東からの攻撃にはめっぽう強いが、西側の丘から攻撃には普通の平城となる。
鳴海城の火災でこちらを警戒していたらしく、城の兵が西門へ集まってきた。
可成が盾を構えさせて攻め寄せ、弓が打てる者は矢を射た。
相手の応戦もはじめる。
可成隊の後ろに十人隊が四組並び、火炎壺をグルグルと回して門へ目掛け投げると、北へ移動を開始し、四組が次々と途切れなく続けた。
最後の組が投げ終わると可行が「先に行くぞ」と叫び、可成が「撤収」と叫んだ。
塩付街道を北へ駆ける。
桜中村城の北東六町(600m)に鳥栖城があり、その二町(200m)先に新屋敷西城があった。
どちらも山口重臣の城であった。
挟撃される危険があるが、道案内は街道を北上するように誘導する。
鳥栖城の成田家、新屋敷西城の山口分家は共に桜中村城に兵を出しており、城を守る城兵しかいないと尾張伊賀衆から連絡を受けていたからだ。
しかも山口-教継は百人以上の兵を率いて鳴海に向かった。
すべての兵が桜中村城に集まっていた。
桜中村城から北へ四町(400m)ほどが行った所が上り頂点となり、可行は敵から見え難い街道の脇に兵を二つに割って待ち受けた。
可成は上りの頂点で兵を反転して代々的な攻撃に転じた。
敵の兵が森隊より多いと言っても倍の数が残っている訳ではなく、長く延びた隊列の先を突けば、あっという間に瓦解した。
続く二陣、三陣と可成隊とぶつかった。
だが、膠着したと思った瞬間に、可行が二十人の旧家臣を率いて横から突撃を敢行した。
さくらはいつの間に移動したのか気付かなかった。
敵を崩し、指揮官らしい者を槍の一突きで刺し殺した。
さくらも驚いた。
“あの爺さん、戦になった方が滅茶苦茶に強い”
無手の一対一で互角だったが、馬上で槍を振ると無双している。
しかも横槍を当てた瞬間に可成隊が撤退し、可行も先頭を割って逃げ出した。
一瞬の攻防に敵に足が止まっていた。
燃えさかる西門を放棄して、敵兵が北門から討って出てきた。
可成は少数を率いて反転すると、追撃に一撃を入れて反転する。
それを可行の家臣が見逃さず、身を屈めていた兵が火炎壺を一斉に投じられ、先陣を切った敵百兵が火の海に包まれた。
阿鼻叫喚の地獄絵となり、後続は追撃の足を止めた。
最後に指定された畑に火炎壺を投げ込むと、畑が勢いよく燃え広がった。
夜の内に伊賀者に油を背負わせ、田畑に流し入れていたからだ。
「流石に燃えすぎではないか」
「可行様。燃えるのは当然です。こちらの手の者が田んぼに油を投じておきました」
「それならば、我らがここで火を放つ意味がなかろう」
「いいえ、我らは黒子です。可行様や信長様が火を放つことに意味があるのです」
「我らが火を放つことに……どういう意味だ」
「兵糧攻めしていることを今川方に知らしめ、今川の兵を引き寄せる。兵を入れた今川方は兵の食う兵糧を補う為に負担を強いられる」
「なるほど」
「ですが、それは序章に過ぎません。負担を強いられた今川-義元は織田家との決戦を望んで、この地に誘い出される。それこそが若様の広大な計画なのです」
「さくら、しゃべり過ぎ!」
さくらの雄弁を同僚の鶴が制止した。
調子に乗ったさくらがしゃべり過ぎたのだ。
鶴が「報告します」というと、さくらが慌てた。
鶴は可行に口止めを願った。
「申し訳ございませんが、今の話は聞かなかったことにして下さい」
「別に悪い話ではなかろう」
「織田家中で広がれば、どこから今川方へ漏れるやも知れません。そうなるとすべてが無に帰してしまいます」
「織田家中に敵が潜んでいると」
「家臣ではなく、召し抱えている者かも知れません。こちらも気を付けていますが、すべて調べるなど無理なのです」
「信長様にも言ってはならんのか」
「若様が頃合いを見て話されます。信長様に清須を取って貰わねばなりません。今川-義元の事を考えるのは早過ぎると思われます」
「それが其方の意見か」
「いいえ、若様の判断です。できれば、若様のことは人形か、傀儡と噂して下さい」
「これほどの兵を整え、さくら殿や貴殿のような者が慕う者が傀儡である訳がなかろう」
「若様の判断でございます。協力して頂けるとありがたいと思っております」
「相判った。信長様も大したお方であったが、もう一人いるのか。織田家は安泰だな」
「はい」
「当然です。若様は最高なのです」
鶴がさくらに「黙っていて下さい」と言った。
策略以外はさくらも優秀なのだが、策略はからっきしであった。
俺は森一家を侮っていた。
はじめて常備兵を完璧に運用した。
失敗に備えて尾張伊賀衆を大目に集めたが意味がなかった。
そのまま夜寒の渡りを渡って戻ってきた。
徒歩で渡るには井戸田の渡しほど渡り易くないが、干潮ならば楽に渡れる。
俺は中根南城で酒を用意して出迎えた。
〔さくらの業務日誌を中心に抜粋〕




