22.せっかちな信長
天文二十一年五月二十七日。
第一回の足軽募集が終わって七日目、再び呼び出されて那古野城にやってきた。
後ろには千代女が控えていた。
神々しいほど透き通った笑顔に俺は冷や汗を流す。
その美しさは三月人形の能面のようだ。
わぁ、怒っている。
信長兄ぃは全然気付いていないが、俺は二人の顔色を比べながら心臓をバクバクとさせた。
「魯坊丸、常備兵は使えるぞ。儂が欲しかった兵だ」
「それは宜しゅうございました。しかし、指導したさくらに聞けば、まだ弓が不揃いの上に、各自の判断ができず、百人長の上に武将を据えなければ、思うように動かせぬと窺っております」
「であるな。しかし、問題ない。森-可行と伊丹-康直の家臣を百人長の横に据えることで自在に動くと判断した。半分は指揮官不足で動かせが、すぐに指揮官を発掘する。すでに森隊の四百人は自在に使える。伊丹隊の三百人も半月後になんとすると言っておる」
「森様にはよい家臣が多いのですね」
「息子の可成もかなり使える。その他の家臣も有能だ。良い買い物をした」
「それは宜しゅうございます」
「で、魯坊丸、いつになったら始めるのだ」
「今まさに那古野の行政改革を進行中ですが……」
「政務の話ではない。山口を兵糧攻めにする話だ」
「兵の訓練も終わっていないでしょう」
「可行が、すぐに使えると豪語しておった」
「すぐに使える兵をお譲りしました。ですが、馬術や弓は一、二日で習得できないでしょう」
「そんなものは追々でよい。すぐに攻めるぞ」
「七月に入る前からでも十分に間に合います。向こうの動きを見ながらで宜しいかと」
「それでは遅い。『赤塚の戦い』から間を空けずに襲う事に意味がある」
「まだ、笠寺の住民が残っております。戸部城の戸部-政直も抵抗しております。慌てずとも笠寺は落ち着いておりません」
「だからこそ、こちらも動き易いのではないか」
おっ、戸部-政直の件を否定しなかった。
甲賀衆と伊賀衆で情報を共有していないのか、あるいは、元締めの所で止めているか、そのどちらかだろう。
そうなると、これ以上の話し合いは無駄な。
俺は千代女の方を向くと、できるか否かを聞いた。
「そうですね。加藤とも相談が必要なので十日ほどお待ち下さい」
「まだ十日も掛かるのか?」
「信長様が出陣しないのでしたら、三日で用意致します。信長様の安全を考えるならば、十日は必要です」
「判った。守鬼に譲る。準備致せ」
「守鬼とは誰でございます。」「土岐家の守り鬼と呼ばれた森-可行以外におるまい」
あぁ、土岐家を最後まで守っていた鬼武者だから守鬼か。
森家と守りを掛け合わせたのか。
通名の小太郎か、俗官位の越後守と呼べば判るのに……信長兄ぃは変な渾名を付けたがる。
中根南城に戻ると、護衛侍女を集めて聞いてみた。
「まず千代。よく我慢してくれた」
「当然です。信長様と言い合いをしても若様を困らせるだけです。益のないことは致しません」
「三日後で段取りは付くのか」
「知りません。ですが、笠寺、鳴海、大高、沓掛に徘徊する今川の伊賀者を排除して欲しいと、加藤殿に頼みましょう。若様が困っていると言えば、頑張ってくれると思います」
「そうしよう」
「それより若様が引き受けたのが不思議でした。昨日の策は中止でしょうか」
「逆だ。戸部の件も知っていない信長兄ぃと話しても無駄と感じた。元締めに伝えたか」
「はい。常に共有しております」
「信長兄ぃは那古野を守護する伊賀者を利用されていない。問われて秘密にする必要もない。問われていないことを伝えていない。そんな所だな」
「その通りです」
やはりそうだったか。
千代女と元締め、そして、各城を守護する頭目までは情報を共有している。
今は口約束であるが、駿河から姫が到着すれば明らかになる。
その前に動きがあるかも知れない。
いずれにしろ、信長兄ぃに知れる事ので、戸部の件は些細な事だ。
問題は情報が共有できていない。
同じ土台に立っていない者と議論を詰めるのは無意味だと判断した。
「信長兄ぃには派手に動いて貰おう。今年は雨が多い。雨の時期に火計を仕掛けても効果は知れている。しかし、今川方はその動きに目を囚われる」
「よい策と思います」
「千代もそう思うか。加藤殿が今川の伊賀者を始末した後ならば、我々も動き易くなります」
「使用するのは雨の日に限る。雷と思わせ、すべて天の配剤と諦めさせる」
「では、熱田明神を怒らせた為に起こったと噂を流しましょう。それならば、度々に起こる災害も神が怒っていると納得してくれるでしょう」
「あまり俺を祀り上げないでくれ」
「それは無理でございます」
千代女が笑い、皆も笑った。
俺が「他に意見がないか」と聞くと、滝家の菊が聞いてきた。
「若様。鳴海城の倉庫には周辺から集めた兵糧があります。放置で宜しいのですか」
「そう言えば、今川の援軍を迎える為に強引に集めていたな」
「はい。去年の秋は米が高値でした。軍費を調達する為に山口-教継は熱田に大量の米を売っております」
「そうであった」
「大殿が亡くなり、寝返って今川の援軍を迎えましたが足りない米を周辺の村々から集め、鳴海城に入れております」
「千代。どう思う」
「やりましょう。先陣は尾張甲賀衆にお命じ下さい。信長様から一番手柄を最初に奪ってやります」
「無理をするな」
「今回は私が指揮を取ります。問題ございません」
千代女が出るとか、問題だらけだよ。
信長兄ぃに対して、怒っている千代女を止める術はない。
秋に米を放出し、少ない在庫を埋める為に村々から徴収した。
その米が燃えれば、米は一気に尽きる。
鳴海の兵糧を燃やせば、兵糧攻めは“詰み”となる。
そこに信長兄ぃが田畑を放火し、天災がトドメを刺し、秋の収穫に期待できない。
六年も前倒しで兵糧攻めが決まるのか。
絶好のタイミングだが複雑だ。
【参考資料】、
■天文二十一年、五月・六月の天候
日付(旧暦)天候・災害
5月1日雨連日雨
5月2日雨・くもり
5月3日雨強し
5月4日雨断続
5月5日雨(終日)
5月6日雨 → 曇
5月7日曇
5月8日小雨
5月9日雨
5月10日雷雨
5月11日雨強し
5月12日曇 → 晴
5月13日晴
5月14日曇
5月15日雨(局地的雷)
5月16日曇時々晴
5月17日晴
5月18日晴
5月19日曇 → 小雨
5月20日雨
5月21日雨
5月22日雨強し
5月23日曇 → 晴
5月24日晴
5月25日晴
5月26日曇
5月27日雨
5月28日雨(多聞院も一致)
5月29日雨 → 曇
5月30日晴
6月1日雨
6月2日雨 → 曇
6月3日曇
6月4日小雨
6月5日晴
6月6日曇
6月7日雨(多聞院に雷記事あり)
6月8日雨強し
6月9日雨 → 曇
6月10日晴
6月11日晴
6月12日曇 → 雨
6月13日雨
6月14日雨強し(多聞院に雷記事あり)
6月15日曇
6月16日晴
6月17日晴
6月18日曇
6月19日雨
6月20日雨 → 曇
6月21日曇
6月22日晴
6月23日晴
6月24日曇
6月25日雨
6月26日雨
6月27日曇
6月28日雨(多聞院に雷記事あり)
6月29日小雨
6月30日晴
尚、七月中旬に梅雨が明け、日照りとなる。
〔言継卿記より抜粋〕
『長楽寺年代記』上野国 天文21年6月、長雨
「是月、雨降続、諸事不成行」
『円福寺文書』上野国(沼田)
天文二十一年 六月「山々水湧出シ、田畠ニ入ル」
『中禅寺文書』下野国(日光)“五月雨の候”“雷多し”
天文廿一年 六月「雷電頻ニ至ル」
『妙法寺記』武蔵国(秩父)天文21年前後に “雨続き” “麦刈り難渋”
「五月中、天気不順、麦刈遅々」
『上野原寺社』洪水・土砂流
『鎌倉大日記』
天文廿一年 六月頃「此月、風波荒立、江辺ノ舟多覆没ス」
■平井城(上野)とその後の北条家
平井城主 関東管領・上杉憲政)は退去し、越後の長尾景虎を頼る。
長尾景虎も出陣するが、限定的であった。
■ 武田晴信の軍事行動
春:川中島周辺の諸城(茶臼山・旭山など)に兵を動かし、けん制。高井郡・更級郡の国衆(高梨氏・大日方氏)を調略する。
初夏(5〜6月):北信(善光寺平)で武田軍の陣替えがあった。
8月:小岩嶽城を攻撃して落城




