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19.端午の節句と兄妹の戯れ

 天文二十一年五月五日。

 城にあちらこちらに旗が棚引いていた。

 今日は端午の節句だ。

 邪気や病気を避ける日であり、武具に菖蒲を飾り、城に旗を並べ、無病息災を祈る。

 京の下鴨神社では、流鏑馬(やぶさめ)神事が行われていたが、“応仁の乱”以降は途切れているらしい。熱田神宮で復活させてはどうかと提案したが、準備が間に合わず、来年から実施することになった。

 作法や儀式を下鴨神社に問い合わせるらしい。

 もちろん、タダではない。

 俺名義で寄付がなされ、日の本の安寧を願い、流鏑馬神事の復興を望まれているという売名行為を忘れない。

 千秋季忠の指示で熱田屋から伊勢や長島など神社や寺に五穀豊穣の田植え祭や釈迦の生誕を祝う花祭、あるいは、春の彼岸祭にも俺の名で米や銭を三十貫文ほど寄付していた。

 下鴨神社にもどう程度だろう。

 もしかすると、これを気に下鴨神社でも復活するかも知れない。

 そのときは寄付を募って使節団を送ってきそうだ。

 今年は例年通りに無病息災の祈祷と境内で水飴を混ぜた甘い菖蒲湯を配っている。

 河内-親忠が取り仕切っている行事は極力参加しない。

 一方、格式の高い特別祭と大祭は千秋季忠が取り仕切るので強制参加となる。

 前回は祈年祭で二月だった。

 次は“あつた祭”であり、六月五日、ちょうど一ヵ月後となる。

 朝食を終えると、お市が飛び込んでいた。


「魯兄じゃ。遊びにきたのじゃ」

「市、五日は決算の日で忙しいと言っているだろう」

「そうなのけ?」

「そうだ」

「千代女から遊戯道の改修が終わったから遊びにいらっしゃいと手紙を貰ったのじゃ」


 俺は千代女の方を振り向いた。

 先月、城の文官に任せた為に方々から苦情が相次ぎ、予算の分捕り合いで揉めたばかりだ。

 文官らは青い顔で修正を余儀なくされた。


「若様の偉大さを城の文官らも思い知ったことでしょう」

「ワザとか」

「はい。如何に彼らが自分の担当しか見ていなかったと反省しました」

「夕食の報告会を聞いていれば判るだろうに」

「同じ顔ぶれが揃った以前と違います。数が増えましたので。報告に来られる回数は月に一度か二度です。それを全部記憶して、頭の中で整理できているのは若様、わたしく、紅葉、(岡本(おかもと)定季(さだすえ)殿くらいです」

「全員が聞いているのだ。もっといるだろう」

 

 俺は障子の向こうで書類に向き合っている侍女らを見ると、一斉に首を横に振った。

 護衛という本欄の仕事を熟しつつ、配膳などの侍女の仕事をする。

 その上で聞き耳を立てて報告を覚えて、頭の中で全体を掌握しておく。

 無理、無理、無理という声が上がった。

 護衛でない侍女も“自分の仕事で失敗をしないようにするのが精一杯です”という。


「そうなると、今月も揉めるぞ」

「宜しいではありませんか。今月こそ失敗しないように、各部署の監督らに連絡を入れ、数字ではなく、関連する部署の仕事を把握しようと頑張っております」

「文官らの鍛え直しか」

「若様の簿記にも慣れてきました。次は仕事の把握をして貰おうと思います。定季殿、我らに同行する文官を見繕って頂けますか」

「承知した。右筆見習いにも一通り経験させた方がよいだろう」

「判りました。そのように手配します」


 千代女と師匠が通じ合っているように話を進める。

 俺がキョトンとしたいたのか、師匠が説明してくれた。


「魯坊丸様はこれから那古野へ登城することが増えます。信長様が戦場へ出ろといえば、出陣することをあります。千代女殿らは魯坊丸様の護衛です。この城から全員がいなくなります」

「今まで通りに半分で良いだろう」

「そうは参りません。魯坊丸様のお命が一番です。彼女らはその為にここにいます」

「俺が不在の時の準備か」

「はい。魯坊丸様が居らずとも、中根南城と尾張が回るように準備せねばなりません。そこで何人かめぼしい者がおります。その者らは仕官を申し出ておりませんが、織田家の秘密に興味を持っております。口説いて頂けませんか」

「判った。やるだけやってみよう」


という訳で、今月も決算報告は予算配分が終わってから呼びにくることになった。

 お市に連れられて、里の部屋を訪ね、別邸へ移った。

 何故か、三十郎兄ぃと喜六郎もいた。


「何故、三十郎兄ぃがいるのですか」

「お市が朝早くからそわそわと城を出ていったので見て、残っている侍女を問い詰めた。何やら新しい玩具ができたらしいな」

「お市にとって玩具ですが、あれを玩具というか」


 遊戯道アスレチック

 縄を使って登る。丸太渡り。綱渡り。すべり台。ロープにつかまって滑走。迷路などを複合した運動器具だった。しかし、お市には簡単過ぎ、忍びらが少しずつ難度を上げていった。

 今では甲賀や伊賀の山奥で修行と同じレベルになり、宛ら“スパルタンレース”となっていた。

 やって貰う方が早い。

 俺は壁登りに連れていった。

 突起物を頼りに壁を登る“ロッククライミング”だ。

 お栄や里が使うコースは六十度であり、足場を失うと滑り台のように落ちる。

 俺のコースは八十度であり、見た目が垂直と変わらず、掴み損なうと落ちる。

 お市のコースは八十度から百十度と反り返っていた。

 三十郎兄ぃが試したが、剃り返している部分で、ドカっと落ちてきた。


「魯坊丸、これは何だ。こんなものが登れるか」

「簡単なのじゃ」

「市に聞いた訳じゃない」

「よく見るのじゃ」


 そう言ってお市が猿のように登っていった。

 剃り返しを苦ともしない。

 胸を張って自慢するお市を、さくらが「そうではありません」と言って壁を登った。

 お市より俄然早く無駄がない。


「魯坊丸。お前の侍女は猿か、妖怪か。剣術でも誰も勝たせて貰えん」

「俺の侍女はそんな感じです」

「前回、お前より少しだけ大きい小柄な侍女にも負けた。あり得ん」


 俺より少し大きいのは紅葉かな?

 三十郎兄ぃが爪を噛みながらブツブツと「あり得ん」を何度も呟いた。

 三十郎兄ぃの複雑な気持ちが判るが諦めが肝要だ。

 俺はお市と張り合うのは諦めた。

 責めて、兄の威厳を保つ為にお栄や里に負けないくらいに頑張っている。

 俺は帰るかと奨めたが、参加するらしい。


「市。走る道は譲るが、競争には勝たせて貰う」

「受けて立つのじゃ」

「三十郎兄ぃ、お市と競わない方がよいと思います」

「黙れ。勝負を諦める負け犬は黙っておれ」


 三コースを同時スタートで十周する。

 三十郎兄ぃは俺と同じコースを走り、喜六郎はお栄、里と同じコースを走る。

 コースに幅がないので俺は三十郎兄ぃの後ろからスタートした。

 三十郎兄ぃはお市に張り合って同じ速度を走ってゆく。

 俺はマイペースだ。

 十周も走れば、五キロになる……と思っていたが、ロープにつかまって滑走が三百メートルバックになって走破距離が八百メートルに延びていた。

 後半の最大の難所となる壁登りの前に“泥歩き”が待っており、力任せに走るとスタミナが尽きる。

 三十郎兄ぃは藁靴を履くと強引にズッポズッポと走った。

 泥の上はピッチ走法というか、重心を前に置く“江戸走り”、“忍者走り”、“早飛躍走り”と呼ばれる走り方でないと駄目だ。

 足が泥にはまる前に摺り足でもう一方の足を前に進める。

 さらに進化して“水蜘蛛”という大きな藁靴を履くと、水の上も歩けるとか?

 やらないよ。

 お市と三十郎兄ぃが壁登り、綱で一気に降りると、最終障害が“縄くぐり”だった。

 輪っかになった縄トンネルが上下右左へ、鈴鹿サーキットのようなグネグネとしたコースをくぐり終えると、最終直線を走って一周目が終わる。

 三十郎兄ぃは必死な形相で走っており、お市は俺の方をチラチラと見ていた。

 俺にラストスパートで差を詰める余裕ない。

 十周走るペース配分だ……というか、この縄くぐりがキツい。

 前方に下りながら左右に曲がるので前屈みで腕立てをしながら進んでいる。

 地味に堪える。

 体を鍛えているだけあって、五周目まで三十郎兄ぃはお市に付いていった。

 だが、そこからスピードが一気に落ちた。

 どこかで見た景色、デジャブーだ。

 七周目ゴール直前で俺は三十郎兄ぃを抜くと、お市は目をキラキラとさせた。

 変な期待をするな。

 俺はラストスパートしないぞ。

 そんな余力もない。

 喜六郎がおれより先行しており、お栄と里もすぐ後ろでこっちも必死だった。

 そのまま順位は変わらずに十周目をゴールした。

 お市が勝利を喜んで、ピョンピョンと跳ねていた。

 俺達が寛いでいると、やっと三十郎兄ぃがゼイゼイと息を切らしてゴールした。


「このあと、少し早めに昼を取り。昼寝の後に、もう十周の予定です」

「本気か、はぁ、はぁ」

「俺が決めた訳じゃありません」

「はぁ、はぁ、はぁ、糞ぉ、やってやる」


 因みに、二回目はペースを守った三十郎兄ぃが俺より先着した。

 だがしかし、喜六郎に負けた腹いせで三十郎兄ぃが剣術の稽古を付けてやると言って、喜六郎を苛めたらしい。

 俺が千代女に呼び出された後の話だ。


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