第一話 せっかちな信長
〔天文二十一年 (一五五二年)五月中旬〕
第一回の足軽募集が終わって七日目。
那古野城に登城して政務を営んでいると、信長兄ぃがやってきた。
俺の前にどかっと座った。
「魯坊丸、いつになったら始めるのだ」
「今まさに那古野の行政改革を進行中ですが……」
「政務の話ではない。常備軍の話だ。山口を兵糧攻めにする話だ」
「兄ぃ~、兵の訓練も終わっていないでしょう」
「新たに召し抱えた森-可行に託してみたが、すぐに使えると豪語しておった」
「そりゃ、すぐに使える兵をお譲りしました。当然ですが、馬術や弓は一、二日で習得できないでしょう」
「そんなものは追々でよい。すぐに攻めるぞ」
「七月に入る前でも十分に間に合うと思います。向こうの動きを見ながらで宜しいのでないですか」
「それでは遅い。もうすぐ『赤塚の戦い』から一月も空けずに襲う事に意味がある。まだ、笠寺の住民が残っております。戸部城の戸部-政直も抵抗しております。慌てずとも笠寺は落ち着いておりません」
「だからこそ、こちらも動き易いのではないか」
どこまで話しても並行線だと悟った。
俺の前で山積みの帳簿を書き写している千代女に聞いた。
「そうですね。加藤とも相談が必要なので十日ほどお待ち下さい」
「何だと。まだ十日も掛かるのか?」
「信長様が出陣しないのでしたら、三日で用意致します。信長様の安全を考えるならば、十日は必要です」
「う~~~~~~~~ん、判った。最初は守鬼に譲る。準備致せ」
「守鬼とは誰でございます。土岐家の守り鬼と呼ばれた森-可行以外におるまい」
あぁ、土岐家を最後まで守っていた鬼武者だから守鬼か。
森家と守りを掛け合わせたのか。
通名の小太郎か、俗官位の越後守と呼べば判るのに……変な渾名を付けたがる。
しかし、三日か……と思いながら中根南城に戻ると、さくら達が吠えた。
「若様。三日で笠寺、鳴海、大高の領民に田畑を焼く事を知らせるのですか?」
「そうだ。土地を捨て織田家にきた民には同様の田畑を与える。この文章を写し、村々に放り投げて来い。割り当ては一人百部だ」
「若様。村に投げ入れるのは判りましたが、このようなお触れで民が逃げてくれますか?」
「楓の意見はもっともだ。しかし、今回は逃がすのが目的ではなく、知らせるのが目的だ。二度目以降は田畑を守る為に村人が応戦すると考えている」
「村人と戦うつもりですか?」
「夜の間に油を撒き、最後の仕上げのみ信長兄ぃらにやって貰う。火の投下は油壺に火を乗せた『火炎壺』方式だ。村人の頭を越して投擲すれば戦にならん」
「あれを使う気ですか」
油の入った小さな壺に火を付けた布を乗せ、縄でグルグルと回して遠心力で遠くに飛ばす。
六十間 (100メートル)は飛ぶ。
近づいて、さっと油壺を放り投げると撤退し、別の日に別の田畑を放火する。
気の長い戦いになる。
収穫が近く、夏の日照りの後くらいが一番効果的だ。
しかし、信長兄ぃが待ってくれない。
燃えない田畑を燃えやすくするには、夜中の間に油を撒いておく必要がある。
「紅葉、大量の油を調達する計画と立ててくれ」
「はい」
「楓、忍び村の訓練で夜中の油撒きを加えるように手配してくれ」
「はいはい、判りました」
「両方の予定を元に今後の予定を組む」
「さくら、三郎左衛門に笠寺、鳴海、大高に徘徊する敵の忍びの排除を依頼してきてくれ」
「敵の排除ですか」
「夜中にゾロゾロと動けば、敵の忍びに知れるだろう。それを敵方に知らされれば、どこを襲うかがバレてしまう。こちらが動き易いように害虫駆除を頼むのだ」
「私では駄目ですか?」
「さくらの腕は信用しているが、向こうも藤林の伊賀者が相手だ。強敵がいる。あるいは、増援で駆け付ける。さくらを失う訳にはいかん」
「仕方なりません。若様がそういうなら三郎左衛門さんに譲ります」
「最初は三日後。準備に丸一日しかないと思え」
手の空いている者にも写しを手伝わせると、その夜に非番の者が散ら紙を配りに走った。
投げ入れる油壺を準備し、夜中に運ぶ油壺と分けておく。
三郎左衛門の指揮下の愚連隊の方々は仕事ができて喜んだが、信長兄ぃの無茶ぶりに他の皆は悲鳴を上げた。