17.ブートキャンプ
天文二十一年四月二十七日。
那古野デビューの日だ。
俺は自ら熱田大宮司千秋-季忠の傀儡、あるいは、近江六角重臣の望月家の息女、その操り人形という噂を広げ、黒子に徹していた。
俺はまだ七歳(満6歳)だ。
見た目が麗しく、『尾張の虎』の息子は熱田明神に愛された神童であり、大人の言われる儘に動く子供と思われる方が自然だ。
奇妙な珍獣と思われて警戒されるより、間抜けな傀儡と油断してくれる方が都合よかった。
信長兄ぃと帰蝶義姉上の婚儀では、信光叔父上から事前交渉を任された。
美濃の蝮(斎藤-利政)は策士なので敢えて傀儡らしくない行動を取った。
蝮殿から大宮司に『飼い主殿』という手紙が送られ、騙されたとも、騙された振りをしているとも取れる反応に悩んだ。
蝮殿の娘である帰蝶義姉上は季節毎に熱田神宮に参拝し、俺との面会を求めた。
どうやら俺の演技が下手だったらしく、蝮殿に見透かされていた事を知った。
仕方ないので腹を割った手紙を書いた。
今では、織田家に関係する相談窓口として利用されている。
だが、手紙の宛先は『飼い主殿』なので、俺の擬態に付き合って貰っていた。
そんな涙ぐましい努力も今日で終わりだ。
信長兄ぃを怒鳴りつけて立場を教えるというちゃぶ台返しで大無しにしてしまった。
俺は阿呆だ。
那古野城では、帰蝶義姉上が出迎えてくれた。
帰蝶義姉上は屋敷に入ると表座敷から主殿へ歩き出した。
大広間で家臣を集め、常備兵の必要性を俺に説明されるつもりと察した。
が……その手前で間借り、奥の寝殿に足が向く。
俺の脳裡に電光石火が走り、千代女の“若様を取り込むつもりでしょう”という言葉が蘇る。
俺を取り込む。俺と親しくなる。
つまり、“男愛人”にする。
そんな馬鹿な!
そう思う人がいるかも知れない。
戦国時代、変な女から病気を貰うのを避ける為に親が男の愛妾を息子に付ける。
信長兄ぃは小柄で元服したばかりの小姓佐脇-良之を愛人にしている。
信勝兄上の男愛人は美青年の津々木-蔵人だ。
男愛人になる一ランク上に見られ、側近に過ぎない蔵人が重臣に意見できる。
重臣以上、家老以下という立場だ。
もちろん、男愛人の地位は主の寵愛に左右され、佐脇-良之は小姓の中で頭一つ抜けているだけであり、その地位は重臣どころか、奉行にも及ばない。
俺が信長兄ぃの男愛人になった瞬間から那古野における地位が確立する。
寵愛を受けた俺に逆らうのは、信長兄ぃに逆らうのと同じ。
俺の好き勝手に誰も文句は言わない。
だって、信長兄ぃは、年上の女性と元服間もない少年好きという事実は隠せない。
七歳の俺はセーフと思っていたがヤバいかも。
信長兄ぃは母上の元に通ったくらいだ。
母上似の俺はストライキゾーン。
ヤバい、ヤバい、ヤバい、ヤバ過ぎる。
“嫌だ。男同士で愛し合うなんて無理”
もちろん、愛のありかを否定するつもりはない。
同性愛が好きな方は勝手にやって下さい。
俺は無理です。
だが、問題は俺の味方がいるかどうかだ。
帰蝶義姉上は頼りになるか?
否、戦国武将の娘である。男愛人は主従関係を深くする一手と割り切っている。
佐脇-良之を側から遠ざけよとか言っていない。
席を外せと言われれば、席を外すだろう。
千代女は味方か?
否、確実ではない。
俺は普段から信長兄ぃを傀儡に仕立てて、城で“ゴロゴロしたい”と言っている。
信長兄ぃから傀儡を希望したなら喜ぶかも知れない。
ゴロゴロしたいのは本音。
信長兄ぃを傀儡にしたいのも本音。
でも、男同士で愛し合うは無理。
止めて、操を奪われたくない。
そんな葛藤をしながら廊下を歩き、襖が開いた瞬間にすっと熱が冷めた。
貞操の危機は去った。
信長兄ぃの側近と小姓から俺を殺したいという殺気が襲い掛かってきたからだ。
俺が信長兄ぃを罵倒したことに怒っているらしい。
負け犬の殺気など怖くもない。
むしろ、俺に飛び掛かって瞬間に天井や床下に忍んでいる俺の護衛に惨殺される未来しかない。
間違っても飛び掛かってくるなよと思いつつ会談が始まった。
家臣がいる広間ではなく、寝殿にしたのは信光叔父上の所為だった。
今川義元を倒す秘策を聞き出す為に家臣らを排除したのだ。
愉快犯め、信光叔父上は碌なことをしない。
俺は人払いを要求し、予定通りに要求のみを突き付けた。
卵を知らないものに、目玉焼きを教えられない。
「判らないことは貸し出している中間にお聞き下さい。中根家で教えている教育課程を解禁しておきます」
「待て、今川義元に対抗する作を教えておらんぞ」
「すぐに使いたがる信長兄ぃに教えられません」
「それでは困る」
「今回準備できるのは、常備兵の段取りと、那古野の財政健全化のみです」
「話せ。すべて話せ」
俺は戦艦・大砲・鉄砲・爆薬の秘密兵器を外し、対今川の策のみ教えた。
尾張を半ば統一した信長が鳴海城と大高城に付け城を築いて兵糧攻めにした策のアレンジだ。
常に攻め続けることで鳴海と大高の生産力を奪い、兵糧入れという今川本国の負担を強いる。
本国の兵糧が減る。また、兵糧入れに今川方の兵の負担も増す。
日帰りで攻める織田方と、十日以上も兵を拘束する今川方の距離の差である。
地味に今川方を嫌がらせ、今川義元を戦場に一本釣りする。
仮に今川方が二万五千人の兵を動員したとする。
物資を運ぶ為に列車やトラクターは存在せず、二万五千人に一日十合の米を用意する。
十合で米1.5キロとして、1日37.5トンだ。
一俵(30キロ)で1,250俵の米が消費される。
人が二俵を背負うと、615人が必要となり、十日で6,150人となる。
必要な物資は米だけはないので、後方支援として総勢五万人以上の人に負担を強いる。
今川方の石高から見て、兵数は二万五千人が限界だ。
この二万五千人を鳴海、大高、本陣の三つに分けると、一つ八千人となる。
攻め方を多くするので、本陣は五千人程度となる。
一方、織田方は石高六十石として、一万五千人を動員できる。
各城に兵を残すと半分に減り、東尾張方面に兵を残すと、実働部隊は三千人程度に減る。
二万五千 VS 三千
今川方は周辺と同盟を結んで全軍を投入できるのに対して、四方を敵に回した織田方は兵力を一点集中できない。
今川と織田の兵力差はそこに生まれた。
俺は那古野と熱田で百万人の都市を目指している。
百万人の都市なら、那古野と熱田のみで二万五千人の兵を保持できる。
二万五千人の精鋭を持つ織田家に挑む馬鹿が居なくなる。
そんな先の話はしなかった。
俺は兵糧攻めで今川方に負担を強いて、今川方を追い詰めて“桶狭間”周辺に今川-義元をおびき出す作戦のみを伝えた。
付け城なって面倒なことはしない。
笠寺、鳴海、大高の土地を焼いて、作物が育たない土地にする。
兵糧を運び込む今川方の米を焼ければ、尚のことよし。
年貢の負担が増えれば、内乱が起こる。
内乱で今川が自滅するのが最良であり、内乱が起こる前に織田と決着を付けようとする。
これが俺のビジョンであり、先延ばしするほど織田が有利になる。
兵糧攻めの策のみ披露した。
火炎壺は解禁だ。
鉄砲、大砲、軍監の製造は隠した。
さらりと信長兄ぃの要望を躱して中根南城へ帰参した。
帰り道の途中、信光叔父上の思惑通りに動かされていることに気付いた。




