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15.那古野、登城命令

 天文二十一年四月二十六日。

 その日は部屋で缶詰となったので風呂に入る前に素振りをした。

 ゴロゴロしても余計なことを考えてしまいそうだったので無心に木刀を振る。

 俺は紅葉に親父が死んだ日に“西国と東国の情報を集めろ”と命じた。

 その情報が集まり、確認だけで一日を費やした。

 去年、武田(たけだ)-晴信(はるのぶ)の嫡男義信(よしのぶ)に今川-義元の娘が嫁いだ。今年は北条(ほうじょう)-氏康(うじちか)の嫡男氏親(うじちか)に晴信の娘が嫁ぐ準備が整った。婚儀が終わると来年に氏康の娘が義元の嫡男氏真(うじざね)に嫁ぐ予定だ。

 だが、去年の内に氏康の子である助五郎(北条ほうじょう-氏規うじのり)が人質として差し出されているので、晴信の娘が北条家に嫁いだ時点で三国同盟はほぼ確実となる。

 北条勢は関東管領上杉(うえすぎ)-憲政(のりまさ)の居城である平井城を攻略中だ。

 武田勢は信濃の佐久を奪い、上野国に侵攻できるようになった。関東管領と組めば、北条家と全面戦争となる。一方、北条家と組めば、上野国を分割できる。

 北条家は今川家や武田家と揉めたくない。

 三国同盟の成立は確定だった。

 しかし、ここにきて氏親の周辺が慌ただしくなっている、

 俺の記憶では、次の当主は氏政だった。

 氏親に何かがあれば、婚儀が延期されて三国同盟の成立が遅れる。

 ここに我々も介入するかどうかが、一つの焦点となった。

 良い案が思い付かない。

 突然、俺の素振りを見てくれていた乙子(おとこ)姉さんが謝った。


「先日は若い者が無理を申し、ご迷惑を掛けました。叱っておきました。二度とあのような失態はさせません」

「今更だな」

「申し訳ございません。昨日まで学校で新兵器の指導を行っておりました。何見(かみ)に聞くまで知りませんでした」

何見(かみ)姉さんはなんといっている」

「若様と若い者の戯れだ。たまにはよいでしょう。などとほざきました。何見は甘い」


 何見姉さんと乙子姉さんは侍女長代という立場だ。

 事務仕事ができないわけではないが、二人が事務仕事を手伝うことはない。

 千代女が俺の補佐役に徹せるように、専門の護衛侍女として望月-出雲守が送ってくれた。

 千代女を育てた二人だから、千代女も頭が上がらない。

 何見姉さんは二児の母であり、落ち着いた感じの美人さんだ。

 乙子姉さんは筋肉むきむきなマッチョで頼もしい。でも、未婚の乙女だ。

 二人は甲賀の忍び衆を率いて城の防備と俺の護衛を受け持っている。

 そして、開発された新兵器を尾張中の忍びらに指導する仕事を受け持ってくれた。

 火炎壺やカプサイシン系の武器の使用方法とか、いろいろである。

 特に塩素系の武器を室内で使用すると、自分もダメージを受けるから要注意だ。

 毒も使い方で薬となる。

 毒に詳しいのが忍びであり、毒を専門に扱ってきた忍びに依頼している。

 化学式を用いて、彼らは薬草や毒草から物質を抽出する。

 そこから薬の製造を依頼しているのだが、何故か毒系の武器が次々と開発される。

 二人の姉さんが幹部を集めて、毎月のように更新された武器の指導をする。

 そんな構図が確立していた。


 廊下を歩いてきた千代女が神妙な顔つきで俺の前で膝をついた。

 乙子姉さんが横にいるから、今日は柔らかい笑みを見せない。

 千代女を余程キツく叱ったのだろう。


「信長様から登城命令が届きました」

「はぁ、早過ぎるだろう」

「間違いございません。確認を取りました」

「信勝兄上と和睦できたのか?」

 

 信長兄ぃは信勝兄上と家督をめぐって争っている。

 信光叔父上は信長兄ぃの対応のまずさ、信勝兄上の未熟さに腹を立てて守山に籠もった。

 簡単に解決する問題ではない。

 俺も林-秀貞に一度だけ那古野に登城してくれと、信長兄ぃに塩を贈った。


「若様におのれの立場を知らぬ愚か者めと罵られ、怒りに任せて暴れるかと思っておりましたが、意外なこと、冷静に大橋(おおはし)-重長(しげなが)を呼んで確認しました」

「熱田を敵にすれば、津島も手を引くと言ったところか」

「おそらく」

「信長兄ぃは慌てただろうな」

「若様を真の敵と見定め、家督の件を放り投げ、若様に親しい者を呼んで、若様のことを根掘り葉掘りと聞いております」

「流石に警戒されたか」

「はい。信長様にとって絶対に取り込まなければいけない弟君と認識したようです」


 俺を取り込んで、すべてを奪った後にばっさりとやるパターンだろ。

 信長という武将は、武田信玄に敵わないと感じれば、贈り物を贈って取り込もうとした。

 強い相手には下手に出る。

 だが、上回った瞬間から置き去りな態度を採って破綻した。

 信長兄ぃも。おそらくそういう性格だ。


「決断した信長様の行動力は素晴らしい。若様が一目置くのが分かりました」

「信長兄ぃは何をした」

「信光様に手紙を出し、信勝様と末森で対面する段取りを頼みました。そして、末森に登城した信長様は家督を放棄されて、信勝様に臣下の礼を取ったのです」

「思い切ったな」

「それに気分をよくされた信光様は信長様と一緒に那古野に入ったそうです」

「信光叔父上を納得させたか」

「先程、信長様の使者がやってきました。登城せよと」

「塩を送る必要もなかったな」

「いいえ、それは違います。若様が動かずとも、林様を訪ねたことでしょう。むしろ、林様を若様の味方にしたことが大きいと思います」

「塩を送らずとも日付は変わらず、先手を打って林-秀貞を味方にしたのが幸いか」

「そうなります。信長様に林様との仲介をとった恩も売れております」


 千代女の中で丸く収まったか。

 那古野への登城を阻止する方法はない。

 もう取り戻せない。

 空は暗くなり、わずかに見える星を俺は見上げた。


“神は天にいまし すべて世は事もなし”


 何故か、その一節が頭を過ぎった。


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