プロローグ
魯坊丸は母上に楽しみを守る為に不定期ですが、日記を書き続ける事になりました。
〔天文二十一年 (一五五二年)五月初旬〕
四月初め、鳴海城の山口-教継が今川方へ寝返った。
その教継の調略で沓掛城の近藤-景春は調略に応じ、応じなかった大高城の水野-忠守は城を奪われた。教継は奪われていた笠寺を取り返し、信濃方面の塩販売を独占できると喜んでいる事だろう。
そうは問屋が卸さない。
都合のよい勝手読みであり、すでに熱田西に流下式塩田が完成しており、いつから操業させるのかと待ちわびていた。
経済制裁だ。
大量にできる格安の塩の攻撃に屈するが良い。
今川義元は葛山長嘉・岡部元信・三浦義就・飯尾乗連・浅井政敏をわずか五百人のみ送ってきた。兵の数より直参のみを伴わせ、速度を重視したようだ。
だが、遅い。すでに経済制裁が発動した。
俺としては膠着状態でも良いのだが、笠寺を奪われた千秋季忠の面子も考えて、朝廷、幕府、信長兄ぃ、信勝兄上に訴えさせた。
信勝兄上の末森は誰が味方で、誰が敵なのか判らずに混乱している。
決断力の早い信長兄ぃは兵を送ってきて、そのまま『赤塚の戦い』が起こった。
戦が終わると、俺の黒鍬衆が叩かなかったと文句をいう。
言い掛かりであった。
最初は付き合ったが長々と質問に俺は切れて、信長兄ぃの不手際を罵倒した。
那古野城に呼び付けられ、土木作業員から常備兵を信長兄ぃに譲る事になった。
今回は仕方ない。
五月初め、藤の木川の南に藤森の森があり、森を切り裂いた広場で信長兄ぃに兵の引き渡しが執り行われた。建前上、信長兄ぃが那古野で兵を募り、そこにここにいる者が集う事になっている。
藤森の広場は織田の長城を造る為に作業員が寝泊まりする宿舎を作った跡地だ。
資材置き場を兼ねていたのでかなり広い。
今はローマンコンクリートを繋ぎ材とした石垣を積み上げており、織田家が秘匿する技術なので一般の作業員は下流に移した。
朝駆けでやってきた信長兄ぃを出迎えて、俺が育てた作業員を紹介する。
「ここにいる作業員一千人が常備兵となります。俺の下で四年近く作業に従事した者らです。土木作業を一通り行い、盾、槍、刀、投石が扱えます」
「であるか。馬と弓はどうだ」
「まだ扱えません。そちらで教えて下さい。作業の合間に鍛えたのです。体力があり、一通り戦えるだけで感謝して下さい」
「ぬかせ。儂が何も知らんと思っているのか。お前の精鋭を儂に寄こす気はないのかと聞いておる」
「黒鍬衆ですか?」
「そうだ。お前が持つ精鋭らしいな」
「お断ります。信長兄ぃが自分で育てるならば、この者らも黒鍬衆の下部である鍬衆に加える予定です。雇いますか、止めますか。少し鍛えるだけで戦える兵です。感謝して欲しいです」
「渡せぬか」
「俺が目指す最強の兵は武器を自在に操れる者です。信長兄ぃが目指す最強の兵は敵に立ち向かえる兵です。互いの理想が違いますから、黒鍬衆は信長兄ぃにとって最強の兵となりません」
「仕方ない。諦めるか」
一般の作業員は六日一度の休養日がある。
家で寝ていても誰も咎めないが、家にいると飯代がかかる。懇親会と称する行進と組み立て体操の訓練に参加すると飯が出る。
また、剣術や棒術の催しを定期的に催しており、出場するだけでも賞金を貰える。
賞金目当てで自主的に訓練に励む。
この懇親会に参加した者は、夕方に酒も振る舞われるので参加者が多い。
一年掛けて間者を荒い出し、基本的な動作を教え込む。
行進は軍隊の基本中の基本だ。
それでいて、軍事訓練と思われない。
それ二年目以降、技量に合わせて戦闘員に向く者と、技術者に向く者を振り分けてゆく。
現在、命令を実行できる作業員は二千人しかいない。
その内、優秀な一千人を信長兄ぃに譲るのだ。
減った人員を補充し、一から育て直す手間を考えて欲しい。
作業員は一列行進から亀の陣、矢の陣、雁の陣、鶴の陣と一つの生き物のように動いた。
騎馬合戦のようなお遊戯は何度も訓練させた。
祭の日の見世物の一つだ。
彼らの欠点は実戦がない事だった。
「信長兄ぃ。どうですか」
「見事だ。これだけ動ければ、すぐに使い物になるな」
「馬、弓は信長兄ぃの方で教えて下さい。鉄砲隊は別に用意した方がよいと思われます」
「であるか」
「装備はどうしますか。頭に鉄を仕込んだ鉢金、同じく急所に鉄を填めた軽装、その下に槢帷子を着せております。手籠手、足籠手に熱田草鞋を使用しております」
「熱田草鞋か」
「一日で履き潰れず、どんな行軍であっても四、五日は持ちます。値段は高く付きます」
「安くならんか」
「格安で提供しますが、限度という者がございます。移動の速さを考えるならば、必需品です」
「仕方ない」
信長兄ぃは値段を聞いて不満そうだ。
こちらも商売だ。赤字で売れない。
三日後、那古野の南に足軽長屋が完成し、信長兄ぃが兵を集った。
信長兄ぃは常備兵の一番大将に乳兄弟の池田-恒興を据えるつもりだったが、集まった者らが農民、流民、河原者が多いと聞いて断った。
今回の作業員は天白川の工事から参加した者が多い。
食いっぱぐれた武士が日銭を稼ぐ為に出稼ぎにくるようになったのはずっと後だ。
今の作業員には元侍も多い。
その分、信用もならず、正規の作業員になれない。
臨時と正規に賃金の差がなく、こちら側が区別しているだけである。
正規になると、織田家が秘匿する技術に触れる。
織田家の特殊な技術に触れていない作業員にとって、毎日の作業は単調で詰まらなかったのだろう。那古野で足軽を募集すると飛び付き、足軽の数は四百人を軽く越えた。
募集数が一千人でないのは、まだ那古野の長屋は四百人分しか完成していないからだ。
随時、募集して一千人にする。
俺の目には怪しくうつる奴も、信長兄ぃの目から見るとめぼしい人材がいた。
他家で感状を貰っている元侍は貴重な戦力だ。
腕っ節のよい侍は先駆けとして貴重だった。
だから、予定の四百人を大幅に超えて雇う事になり、四百人枠を越えた者は各城や砦に分散したらしい。
無駄遣いで予算を超えた額を帰蝶姉上が帳簿をいじって予算を捻出した。
「こんな所か。さくら、これを母上に渡してくれ」
「日記でございますか」
「那古野城への通いも減ってきたし、作業員の引き渡しも終わった。少しだけ暇ができたので書いてみた」
「四枚のみで宜しいので」
「一冊分が貯まるまで待ってはいつになるか判らん」
「判りました。奥方に届けてきます」
端書きの日記だったが、母上は喜んでくれた。
最初の話は、常備兵の体制が一千人からでなかった。
そんな、どうでもよい話です。