5 膝枕 ひざまくら
膝枕 ひざまくら
とてもたくさんの桜の花びらが舞っています。
とても美しく。
とても、儚く。
「とっても綺麗ですね」
「はい。本当に綺麗です」
小咲姫は藍に膝枕をしていました。
藍は気持ちよさそうに、白湯家の縁側の床の上で横になっています。
どこかで小鳥の鳴いている声が聞こえてきます。
とても美しい声です。
「まるで夢を見ているようです。もしかしたら本当に夢を見ているのかもしれません」
藍は言いました。
「夢を、ですか?」
小咲姫は言いました。
「はい。とっても、とっても長い夢をです」
小咲姫の美しい瞳を覗き込むようにして、見て藍は言いました。
それから二人は少しの間、風に揺れているたくさんの白い桜の花びらの舞う風景を眺めていました。
「東の地にくるときに、坂を越えました。西と東をわけている境の地にある、坂です。その坂を越えたときに、まるで夢の中に迷い込んでしまったかのように僕は思いました」
「ここは藍様にとっては夢の土地なのですね」
と優しい声で、藍のさらさらとした黒髪を撫でながら小咲姫は言いました。
「でも、今は違います。今は僕はこの土地で生きている。夢から覚めたのです。きっと、小咲姫。あなたのおかげで」
と小咲姫の手に自分の手を重ねるようにしながら、藍は言いました。
「私はなにもしていませんよ。藍様が勝手にお目覚めになったのです」
にっこりと笑って(藍の手を自分の両手で包み込むようにして)小咲姫は言いました。藍もそんな小咲姫の顔を見て、にっこりと幸せそうな顔で笑いました。
「不思議ですね。今はまるで、都で暮らしていた日々のことが、夢であったかのように思えます」
あるときから夢の世界だと思っていた世界が、藍にとっても現実になりました。(そして現実だと思っていた世界が、遠い夢のような世界になったのでした)
ある決定的なできごとが人生をわけることがある。
歌との出会い。藍は歌を知る前の自分と知ったあとの自分は、違う自分のような、そんな不思議な感じがしていました。あるいは、あのときから藍は夢の中の世界に迷い込んでしまったのかもしれないと思いました。そのときの懐かしい気持ちを藍は久しぶりに思い出していました。
「藍様。ここは夢の中ではありませんよ。私はちゃんとここにいます。四季姫もいますし、都には紅様もいます。そして、もちろん、藍様もここにいる。私のお膝の上に」
とくすくすと笑いながら、小咲姫は童のような子供っぽい声で言いました。
やがてそんなお二人のところに四季姫がやってきました。
四季姫はお菓子を持っています。
とても綺麗な細工がされている、花のお菓子でした。
「お兄様。小咲姫。お菓子をみんなでわけて食べましょう」
とわくわくした顔で四季姫は言いました。
みんなで食べたその花のお菓子は本当に美味しかったようです。みんなが笑顔になりました。
「美味しい」
と思わず藍は笑顔で言いました。
すると四季姫はにっこりと嬉しそうな顔で笑って、「はい。本当に美味しいです。きっとお兄様と小咲姫と、こうしてみんなで一緒に食べているから、とっても美味しいのだと思います」と藍を見て、小咲姫を見て、四季姫は自信満々の顔で、そう言いました。(口元にお菓子のかけらをつけながら。もぐもぐと口を動かしながら)
そんな四季姫を見て、藍と小咲姫はまた幸せそうに笑いました。
歌人 うたびと 終わり