悪役令嬢は噂の堅物王子様に執着される
気まぐれで書いたゆるゆる設定の話なので、暇つぶし程度に読んでいただければ幸いです。
「あら、あの方じゃない?噂の悪女というのは」
「まあ、本当だわ。確かにお美しいですけど、何を考えているのでしょうね?」
「さあ?男のことばかり考えているのではなくて?」
「何て汚らわしい。先日婚約破棄されたばかりだというのに」
「本当ですわ。侯爵様に婚約を破棄されたからといって他の男に手を出すだなんて信じられませんわ」
一方、噂の当人――イザベルは、我関せずといった風にツンと澄ました表情をその美しい顔に浮かべていた。濡れ羽色の、目を見張るほど艷やかな黒髪に、温度のない冷徹さを宿した桃色の瞳。そして何より異様なまでに白い肌が、彼女の容姿を人間離れさせていた。
(陰口ばかりなら来なければ良かったわ)
うんざりしながら、不満げな顔を漆黒の扇で隠す。華やかな女性たちが歓談する中、イザベルだけが異質な存在だ。だが、イザベルはさして気に留める様子もなく、パーティーの主役――国王とその后に視線を向けていた。
両陛下の入場から時間が経ったので、挨拶に伺う貴族も途絶えた頃合いだ。
(そろそろ、ご挨拶しに行こうかしら)
イザベルが足を踏み出すと、丁度皇后と視線が交わった。イザベルに微笑みかけると、手を上下に動かす。こちらへ来なさい、という意味なのだろう。
イザベルは、ぱたんと扇を閉じて優雅に足を進める。彼女を見た者は一様に興味をそそられたように道を開け、噂話を始める。
だが、やはりイザベルは無表情のままだ。しかし、彼女自身も気づかぬくらいに僅かに歪んだ口の端が、彼女の機嫌を表しているようだった。
そうして、玉座の前まで辿り着いたイザベルは落ち着いた様子でカーテシーを取る。
「国王陛下、皇后陛下にお目にかかります。本日は夜会にお呼びいただき、ありがとうございます」
イザベルの言葉に、国王は鷹揚に頷く。
「礼は良い。それより、楽しめているか?」
「はい」
不満を微塵も感じさせずにイザベルは頷く。だが、皇后はイザベルの心境を見透かしたように、口を開く。
「そうだわ、夜会は続くけれど、もうすぐ部屋に戻ろうと思っているの。一緒にお酒でも飲まない?あなた、何も飲んでないでしょう?」
イザベルはギクリとする。
(まさか、見られていたの)
イザベルは、大の酒好きだ。そして、酒に強い。本日の夜会で、酒は出されていたが、何を噂されるのか分からないので、慎んでいたのだ。
(美味しそうなお酒があったのよね……でも)
「お誘いはとても嬉しいのですが、本日は王太子殿下との約束もありますので、これにて失礼させていただます」
その言葉に、皇后は残念そうにしながらも、話を止めない。
「いつも息子が迷惑かけてごめんなさいねぇ」
「いえ、そんなお気になさらないでください。それに、私は王太子殿下に気にかけていただけてとても嬉しいですわ」
イザベルはそう言いながらも、当の本人に聞かれていないか不安になる。
(テオに聞かれていないかしら。こんなこと聞かれたら揶揄われるに決まってるわ)
「あら、まぁ。テオは良い親友を持ったのですね。ねえ、陛下」
「あぁ、そうだな。私からも感謝する」
皇后の問い掛けに、今まで黙ってイザベルを見ていた国王も重々しく口を開き答えた。
「こちらこそ、ありがとうございます」
イザベルは深々とお辞儀し、頭上から聞こえてきた言葉に固まった。
「……ところで、いつまでこのようなやり取りを続けるのだ?」
不満げに声を上げたのは、先程まで国王たる威厳に満ちていた国王陛下だ。
その、娘の反抗期に悩む父親のような表情にも、イザベルが顔色を変えることはない。もとより、国王がイザベルに対して実の子と変わらぬ愛を注いでいることを自分自身、わかっていたからだ。わかっていた。わかっていたのだが――
「国王陛下、ここは人目が多いので」
まさかこのような衆目の場でもそのようなことを言われはと思っておらず、動揺する。
「そんなこと気にしなくていいのよ。あなたはわたくしのもう一人の子どものような存在なのですから」
「そうだぞ。いつも通りにしてくれ」
国王と、皇后のその姿に、イザベルの無表情に段々困惑が滲み出す。緊張からだけではない。2人が、イザベルを引き止めようとして、話を止めようとしないからだ。
(どうしましょう。テオを待たせるとなかなかに面倒だけれど、この2人をあしらうのも大変だわ)
どう切り抜けようかイザベルが考えていると、国王陛下がぴたりと動きを止める。次いで皇后陛下もまずい、といったような表情をしたので、イザベルは顔を動かさず、2人の視線を辿る。
そこには、着飾った人々の中でも一際目立つ銀髪碧眼の青年が怖いくらいににこやかな笑みを浮かべてつかつかとこちらに歩み寄る姿が視界に映った。
彼は多くの令嬢を虜にしながら、しかし彼女らを気にすることなく玉座の目の前まで来ると、イザベルの隣に並び立つ。
「――父上、母上。ベリータを引き留めないでくれませんか?」
そう、彼こそイザベルと先に約束を取り付けていた王太子、テオドールであった。
「テオドール。別に私はそんなつもりは……」
「そうよ。久しぶりに会ったのだから、これくらい普通――」
皇后が笑顔で諭すのを、テオドールもまた笑顔で返す。しかし、目が笑っていない。
「知ってますよ。僕よりベリータと会っていることぐらい」
テオドールの言葉に、両陛下はわかりやすく目を泳がせる。
「……な、何のことだろうか」
「そんなことは……」
尚も言い募ろうとする2人に、テオドールは笑みを深くさせると、有無を言わせぬ声色で告げた。
「とにかく、良いですね?」
そんなテオドールに逆らうことなど出来ず。
「……あぁ」
「わかったわよ……」
結局、イザベルは国王と皇后の羨まし気な視線を感じながら、テオドールに引っ張られて退場するのであった。
◇
「全く、あんな風にしなくても良かったじゃない」
王太子専用の応接室へと案内されたイザベルは、ワイン片手にソファに背を預けながら不満げに呟やく。
「だが、父上と母上のしつこさに呆れていただろう?」
「国王陛下と皇后陛下に対してしつこいだなんて失礼よ」
「そうか?てか、思ってたことは否定しないんだな」
「……」
これだから、お互いを熟知しすぎた幼馴染というのは困るのだ。
「……年々、あの人たちが私に対して執着していくのを知ってるでしょう?」
「そうだな。俺よりも大事にされてる気がする」
意外な言葉に、思わずイザベルは少し考え込む。
「……そうかしら?愛情の形が違うだけじゃないかしら」
「愛情の形、ねぇ」
深々とため息をつくテオドールに、いつもと何かが違うと思ったイザベルは眉を上げる。
「どうかしたの?いつにもなく感傷的だけど」
「いや、母上が結婚にうるさくてな」
「それはそうでしょう。一人息子なのだから」
「そうは言ってもな……」
何やら深刻そうな表情のテオドールに、冗談半分にイザベルは口を開く。
「何、性格を隠さないければいけないとでも思ってるの?」
「当たり前だろ。普段は品行方正でやってるが、私生活でも貫くほど俺は強くないぞ?」
真面目な顔で放たれる我儘な本音に、イザベルは思わず笑う。
「あははっ。そんなことを気にしてるなんて。ま、頑張れー」
「まるで他人事だな」
「幼馴染事ですが?」
ジト目のテオドールにさらりとそう告げ、言い包める。
すると、反撃のつもりなのか、テオドールは突拍子もないことを言い出す。あまりにも突然の話に、イザベルは飲んでいたワインを吹き出しそうになる。
「その点、お前が妻だったら良いのになぁ」
「……!?なっ、冗談言わないで。私はただの親友でしょ」
動揺してしまったことが恥ずかしく、イザベルは思わずテオドールを睨みつける。
「ていうか、それ以前に私は愛人の子で悪女だし」
ツンと澄ました表情をすると、またもテオドールはジト目になる。
「悪女なのは噂だけだろ」
「……あら、それは、あなたも同じじゃないかしら?堅物王子殿?」
言い当てられたのが悔しく、揶揄うように、イザベルがにこっと笑ってみれば、
「……そうだが」
とテオドールは苦々しげに言った。
テオドールが堅物王子と云われているのは、彼が立太子してから社交界で囁かれる噂だった。歴代の王子の中には、女遊びに耽る者は何人もいた。また、そこまでいかなくとも、婚約者との関わりを持つものがほとんどだ。
しかし、テオドールは女性との付き合いを一切してこなかった。そもそも、彼には婚約者がいない。その姿が、人々に堅物という印象を植え付けたのだった。
「私以外で、婚約者くらい、決めてしまえば良いというのに」
「……そっちこそ」
言い募られるテオドールは細やかな反撃を試みるも、敢えなくイザベルに正論を突きつけられる。
「知ってるでしょ。私は破棄されるのが目に見えているってこと」
その言葉に、深い意味は無い。仕方がないことだと自分でもわかっているし、だからといって不都合はない。それなのに、この幼馴染様はそんな些細なことも気に掛ける。
「辛くないのか」
「……何が?」
わかっていながら、敢えて強気な態度をとると、テオドールはイザベルの意思を察して素直に引き下がる。
「いや、何でもない」
(……こんなときだけ妙に鋭いの、やめてよ)
「それにしても、テオは私に心配掛けっぱなしよね」
「いきなり何だ」
「だからさ、早く安心させてよね」
「……それが、俺の結婚なのか」
話を読んだように、うんざりとした表情でテオドールは言う。
「そうよ。私はあなたが結婚してくれれば、この国に未練はないんだけどなぁ。そうだ、紹介しよっか?」
「お前、この国を出るのか?……てか、お前紹介出来るほどの人脈ないだろ」
さり気なく言われたその言葉が意外とイザベルの心にささり、一瞬言葉を詰まらせる。
「悪い?……ま、この国を出るつもりなのは確かね。ここに居ても疲れるだけだし。いっそ、他国で平民として生きたほうが……」
「駄目だ。ベリータでは平民としてやっていけない」
「……何でテオが言い切るのよ」
食い気味に否定され、イザベルは不満げに唇を尖らせる。
「俺は……」
言うべきことを探しているようだったが、結局相応しい言葉が見つからなかったのか、テオドールは言葉を呑んだ。
「いや、すまない。……気に障ったか?」
「別に、今更これくらいじゃ怒らないわよ」
イザベルはわざとらしく肩を竦める。だが、テオドールの瞳に真剣な色が宿っているのを見て、姿勢を正す。だが、それはそれで癪で、何となく手の内のワイングラスを揺らす。僅かに残った液面にイザベルの顔が映り、揺らめく。
「――ベリータ。真剣に答えてくれ。俺と結婚するのは嫌か?」
ワイングラスに視線を向けたまま、黙りこむイザベルを見て、テオドールは言葉を重ねる。
「……父上も母上も本当に親子になれると喜んでいたが」
「……」
あの2人なら言いかねない、とイザベルは何とも言えない表情をする。
「……なぁ、また俺の幸せがどうとか言うのか?」
「だって、それは……」
「俺の幸せは、ベリータと共に居ることだ」
思わず顔を上げ、しかしテオドールの、見たことのない直向きな視線を真っ直ぐ見つめ返すことができず、何とか言葉を絞り出す。
「……考えておくわ」
それだけ言うと、用は済んだとばかりにイザベルはソファから立ち上がり、部屋を出ていった。テオドールは、イザベルのその態度に眉を上げたが、引き止めることはしなかった。
「……諦めがわるいのも困ったものだわ……」
王宮の通路でヒールを鳴らしながら、イザベルは一人呟く。その声は、誰の耳に届くこともなく消えていった。
そしてイザベルは、自分があの幼馴染様に絆されてしまうのも直ぐ先の未来だと他人事のように思った。