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「雨の中」

作者: 並木沙知子

あぁ、雨の滴が気持ちいい。

このまま、ずっとこうしていられればいいのに。

でも、きっとそれはできないだろう。

人間の私は、このままこうしているときっと風邪を引く。

それか、肺炎にでもなってしまうだろうから。


一人の少女は、一時間程大雨の中独りで立ちつくしていた。


「  」


あれ。

聞こえないはずの声が聞こえる。

おかしいな。


何で聞こえるんだろう。

風邪を引く前に、気が狂ったのかな。

それとも、ただの幻聴なのかな。


「  」


なんだ、記憶の中の声か。

無意識に引き出した昔の記憶が、再現されようとしてるのか。


「  」


優しく私を呼ぶ声はもう聞こえない。



あれ。

目の前にある自分の手が、血に染まってる…






本音で話した記憶が、まずない。

それは友達との場面でも親との場面でも絶対になかったもの。

小学生の時からか。

本音を人に話すことを嫌悪するようになったのは事実だ。


本音を話すのが怖かった。

周りの人たちが中傷してきそうで。

だから仮面をかぶることを覚えた。

だって、見破られたくなかったから。


にこにこと張り付いた仮面。

それはなかなか取れるものじゃなくて。

友達が一人でもいるとき、私の仮面ははがれることはなかった。


嘘を貫き通すために吐く嘘なんて厭わない。

嘘を吐くことに理由なんていらない。

理由なんてあっちゃ、いけないんだ…


にこにこ。にこにこ。


「人形みたい」

そういわれたこともある。

笑ってるだけの人形。笑い顔から泣き顔を作れない人形。


「気味が悪い」

私にとって、これよりも気味が悪いのは集団の中ですから。

あなたの方が私にとって数倍気味悪いですけど、何か。


「大丈夫?」

心配そうに顔をのぞき込んだのは由美子だった。

小学5年生の幼顔が私を下からのぞき込んで、私に一瞬でも素の笑顔を灯させた。

今の私の唯一の“親友”、そう呼べる存在。

由美子は優しいから。

だから切り捨てられない。その優しさに一瞬でも助けられたことがないとは言い切れないから。

“親友”だよ。

でも、由美子は私の本性を知らない。

知らせるつもりもなかったし、知らせちゃいけない気もしたし。

だから、私は知らせないようにした。

…知ったとき、きっと由美子は私と距離を置くだろうから。


つまらない塾の授業。

会話のない食事。

眠れない夜。

それの中に少し組み込まれた“子供らしい会話”。

まあ、楽しかった。

子供らしくいるのも疲れるけど。

でも大切だった。それは事実。


でもなんでだろうな。

私は大切なものほど失いやすいタチらしい-…



「志織…っ!」

怯える視線が、私を突き刺す。…痛、い。

「由美子…どうしたの?」


フラッシュバックした記憶が頭の中で流れる。

嫌だ嫌だ嫌だ…!


“由美子は志織のこと嫌いなんだって。それに一番悪口言うこと多いよね”

体育で怪我した由美子より先についた教室の、滅多に話さないクラスメートの会話。

ミーハーなクラスメートと根暗な私。

どう考えても性格が合うはずもなく、すれ違うたび睨むあの視線が嫌いだった。

“志織って馬鹿だよね!勉強はできるけどさー…”

“そーそー!いい加減気づけよって感じ!”

生まれて初めて、カッとなった。

もう何も考えられない。考えたくもない。


教室には入らなかった。

踵を返して、向かったのは-



「…志織、」

保健室特有の臭いが鼻を刺激する。

腕に包帯を巻いた由美子が目に入る。


「どうしたの?…何で戻ってきたの?」

いつも通りの口調。

それがなおさら白々しい感じがした。

いつも結構気に入っていたあの優しい物言いが。

今は、憎む材料にしかならない。


目の前に、切れ味の良さそうなはさみが目に入る。

咄嗟に手に握る。由美子を見る。


「ねえ、あたしのこと嫌ってたんでしょ?」


「…何、言ってんの?そんなわけ…」

「“そんなわけない”って?…冗談も程々にしなさいよ。」


はさみを振り上げる。

由美子が小さな悲鳴を上げる。


「…きゃっ!」


高いソプラノの声が。

耳に響いてむかつく。

どうしてそんなに高い声なの?

どうしてあんな奴らと話せたの?

そう思った瞬間、頭の片隅で解った。

私はきっと由美子に嫉妬してたのかな。


「ね、答えてよ。」


一歩ずつ確実に歩み寄る。

背に壁が当たり、それ以上後退できない由美子を見て私は一度鼻で笑った。


「こうやって、私を嘲笑っていたんでしょ?」


由美子の目に、怒りが浮かんだ。ような気がした。

初めて見る表情。

目には涙がたまっていた。


「えーそうよ!何が悪いの!?志織だって私に一度も本音なんて話さなかったくせに。」


開き直った由美子の表情を私はもう見れなかった。




はさみを振り上げる。

突き刺す。



手が赤く染まった。由美子の包帯も赤く染まる。




白黒の、何の変哲もない私の世界。

それは、これからも変わらず訪れ続けるはずだったのに。

私が突き刺したその瞬間…


セカイが赤く染まりました。





雨の中、取れない赤を私は纏って歩き続ける。

怖いけど、これ以上進みたくないけど。

もう一度思い返した記憶の中で、気づいてしまったから。

私は取り返しもつかない罪を犯してしまったことに…


「由美子…」


ごめん、と言おうとした瞬間。

響くサイレンの音に怯え、走り出した。

雨粒を感じたくて脱いだ靴下と革靴のせいで直に感じる公園の地面のぬかるみ具合が気持ち悪い。

そう思った瞬間、私は転んだ。

ビタン!

そんな効果音が似合いそうなほど、派手に。


体中の感覚が戻ってくる。

体が氷のように冷たい。

それに、転んで付いた傷が痛くて。

全てが嫌になる。


普段より荒いかもしれない呼吸を繰り返し、苦しいことに気がつく。

息を吐き出す度、肺が悲鳴を上げる。



意識がゆっくりと暗転して。

暗闇の中感じた痛みと寒さと苦しさは。

一生、私の中からは消えることがないのだろう。

それ程、鮮明に私の記憶には刻まれていく気がして。



そのまま、私は意識を手放した。

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