第一章 キーランドと薬術院の君4
「……リシュさん、……このトリスタン含め、ハルピュイアの者たちは、ルリエルが決めたことなら、文句は言いません。しばらくここに滞在されるのもいいでしょう。ただ、もし……もしルリエルに迷惑のかかるようなことをしたら、その時は……」
「ああ、いや、そんなつもりはないけどな。……その時は?」
「……裏庭に、虫の死骸を根元に植えてやるときれいに咲く、黒バラがあるのですが。そこの地中にあなたを」
「トリスタンは脅し文句がリアルで怖いのよッ!? ちょっと具合悪い男の子を、介抱してあげるだけでしょ!? 殺伐としないッ!」
リシュがソファから立ち上がった。
「いや、おれ、本当にルリエルには感謝しているよ。あそこで助けてもらえなかったら、今頃どんな目に遭っていたかも分からない。本当に助かった」
「うんうん。あいつら、最近あの山近辺の街道に現れては、女の人をさらって売り飛ばしてるって結構評判になってきてたのよ。ここらへんで一度痛い目見せておこうと思ったんだよね」
「でもあいつら、特に賞金がついてたわけでもないんだろう? わざわざそれを、退治しに行ったのか?」
「うん。私の、一番のやりがいでもあるから」
「やりがい?」
「そ。私の目標は、このベルリ大陸で、苦しんでいる女の人を、一人でも少しでも楽にしてあげること」
リシュが、なにかを考えて、しばらく口をつぐんだ。
彼の中でのなにかしらの答が出る前に、私のほうから話を続ける。
「この大陸には、この大陸の歴史と文化があると思うよ。私だって、それを否定はしない。悪魔との戦いや国同士の争いで、肉体的に協力で頑健な男性のほうが優位な社会になるっていうのも、分かる。でもその上で、味わわないでいい苦痛を味わっている女の人はいるでしょ。私は、その人たちを助けたいの」
「……女を」
「まあ、男の人も、できる範囲でならついでに」
「ついでに」
この世界に転生した時のことを思い出す。
なにがきっかけで転生したのかは覚えていない。ただ、地球の日本で、ひどく恐ろしいことが私の身に起きたような気だけはする。
まるで違う世界に来たことを理解していくと、次に気になったのは、女の人の立場の弱さだった。
たとえば、結婚している男女――婚姻制度も地球と大差なかった――の男性が奥さんに暴力を振るっても、それをとがめる文化も、罰する法律もない。それに、現代日本なんかよりもベルリ大陸のほうが男女の対格差が圧倒的で、逆に女が男を痛めつけるようなことはほとんどない。
社会的な保護からも、女の人が半ば公然と締め出されているような国もいくつかあった。ザンヴァルザンはそうした国々よりはずっとましだけど、女性が女性であるという理由で理不尽に苦しめられている様子は、転生した直後からずっと私の目についていた。
私は私で生きるのに必死だったから、まず手に職をつけようとして、東大陸でいくつかのお店で働いた。その折にも、私が女だからという理由で味わった屈辱がいくつもあった。
これは自分で自分の身を守れる程度には強くならなくてはいけない、と思って格闘術を習った。でも私の筋力や骨格では基礎的な素養が完全に不足していたので、早めに諦めた。
あの時、魔法使いを、それも攻撃魔法を扱う魔道士を目指したのは、必然だったと思う。
東大陸有数の大魔道士だという人に弟子入りして、私なりに必死で頑張った。どうしても強くなりたかった。
そうしたら、どうも私には、過去に例がないほどの魔法の素質があったらしい。まあ、日本ではそんな才能があっても発揮される余地がないので、気がつかなくても仕方ないだろう。
修行の途中、何度も死にかけたけど、その度に私は魔法のコツをつかんで、強力に成長していった。
修行していた時期は、トータル一年半。期間としては短いような気もするけど、濃密さは半端じゃなかった。半死半生状態から命拾いすること、その間で実に百回弱。
別に強力なモンスターと戦ったとかじゃなく、師匠との日常的なトレーニングで、日常的に私は死にかけていた。
つらいこともたくさんあったけれど、最後には私は、「七つの封印」と呼ばれるだけの力を手にして、修行の地を後にした。
それから西大陸へ渡り、ザンヴァルザンの首都ヴァルジに腰を落ち着けて、もうじき一年になる。
「そういえば、キールとも会ってから一年くらい経つんだね」
私は、コーヒーのお代わりを入れてくれているキールのほうへ顔を向けた。
「そうですね。私がチェルシーズの騎士団長をやっていた頃からですから、もうそれくらいになりますね」
「チェルシーズ!?」と声を上げたのは、リシュだった。「あの、北方の蒼き剣士王国!? それも騎士団長!? ……聞いたことはあるぞ、先代の騎士団長は、異例の若さで就任したって……あ」
キールが、にっこりと微笑んだ。
「どうかなさいましたか?」
「そうだ……その若い騎士団長は、若さのために王妃に手を出して、……王殺しを計画して、失脚したって。そうだよ、処刑されたはずだ。なんだよ、あんた、今の話は……」
「では、その騎士団長は死亡したのでしょう。不届き者もいたものですね」
私は、「……キール」と言いながら、立ち上がって、キールから新しいコーヒーを受け取った。
「ふふ、失言でしたね。隠しているわけではありませんから、構わないのですが。おしゃべりが過ぎました。おや、……あれは」
事務室の窓の向こうに、人影が見えた。
丘を越えてやってきたのは、女性のようだ。大きな帽子、夕方が近い中での日傘、たっぷりと広がったスカート。
近くまでは馬車で来たのだと思う。そろそろと淑女らしい歩き方で、ゆっくりとこちらに向かって来る。下級貴族の奥方か、娘かもしれない。
「ルリエル、あの方が私の予約のお客様のようですね。時間より少し早くお着きだ。ダンテ、トリスタン、片づけを頼んでもよろしいですか」
うなずく二人に、キールが、襟や裾を整えて出迎えに向かう。私も後へ続いた。
事務室を出る前に、リシュに声をかける。
「リシュ、体の具合はどんな感じ?」
「少し痛めたところもあるが、全治まではそうかからないと思う」
「リシュの治癒魔術って、自分の体は治せないんだ?」
「ああ。魔術師にはいくつかの流派があるけど、おれが学んだ魔術は、自分で自分の傷は治せないんだ。……しばらく、迷惑をかけてもいいか?」
「もっちろん。私が吹っ飛ばしたせいなんだし!」
私は手を振って、キールと共に事務室を出た。
燭台に火が灯された、やや幅広の廊下を並んで歩く。
ここは裏方用のスペースだけど、お客様が通るところには、トリスタンが色とりどりの花を据えていてくれる。切り花はあまりなく、ほとんどが鉢植えだった。庭から選定したものを持ってきては、配置や量を巧みに調整して、一見さんには目を引き、常連さんには飽きさせないように工夫がされている。
そうして欲しいとお願いしたのは私なんだけど、トリスタンはかなり生花について勉強してくれたようだった。
「……キール。リシュの、今の話なんだけどさ」
「ええ。彼は、嘘をついていますね」
「だよね。治癒魔術は、治す対象の体の構成や組成物質を正確に理解しないと施せないから、みんなまず自分の体で試すもんね。それができないなんて、どんな流派だろうとありえないよ……」
「ただ、私たちに悪意があるかどうかは分かりません。……気になるのは、彼の持っている知識はところどころ、一般階級のそれではないように思える点です」
「貴族か……王族? どこかの国の? ますます、なんであんな山にいて、なんであんな目に――」
「しっ。もう玄関です。お客様がお着きですよ」
その時、ドアのベルが鳴った。
私は身を隠して、キールだけが歩み出ていく。今回のお客様は、男子のみとの邂逅をお望みだと、予約の時に希望されていたのだ。
うちの予約は地球でいう伝書鳩のように、鳥の足にくくりつける手紙でやり取りする書筒便を使う。これは、この世界では人力の郵便と並んで一般的な手紙のやり取りなのだ。
「あ、あの、私、予約した者です……。初めてなんですけど、こ、ここでよろしいでしょうか。わ、わあ、凄いお花……」
今日はトリスタンが、ピオニアという、ピンクの芍薬に似た、花びらの大きな花で玄関を飾っている。
「ようこそおいでくださいました、マリューシー・トロア様。お好きな色、香り、しつらえ、いずれも書筒便でうかがっております。さあ、お手をどうぞ。二階のお部屋へ、ご案内いたします」
多分偽名なんだろう。でも、これ以上見聞きするのは野暮ってものだ。私は来た道を戻った。