第三章 リシュとザンヴァルザン妃王の君12
「格下が強者に挑む戦法っていうのはね、泥仕合って相場が決まってんのよ。爆ぜろ、――」
「おの、れぇ……おのれぇ!」
「爆炎よッ!」
どがあっ!
私たちの足元で、新たな火柱が上がる。釘代わりの二本の剣だけは、砕けないように気をつけなくてはいけない。それ以外の意識は、魔力の威力と制御に全て向けた。
もう一発、立て続けに魔道を放つ。
新たな衝撃。新たな激痛。新たな熱。
どれもこれも、悪魔を倒すためなら、まるで苦にならない。
カニシュカンドが滅びた時、リシュを守るため、武器を取って馬車を降り、悪魔に立ち向かった女性たちのことを思い出した。
どんなに怖かっただろう。まだ若かったというのに、恐怖を払いのけ、守るべきもののためにその命を投げ打つことを選んだ。
会ったこともないのに、彼女たちの失った生命のことを考えると、怒りと勇気が湧いてくる。
カニシュカンド陥落の時に奪われた命は、その何倍だろう。
なにも苦にならない。仇に突き刺さる魔法の刃が、自分にも突き立てられても、そこには苦痛ではなく悦びさえ生まれる。
「ルリエル! ――癒しよ!」
リシュが飛ばしてくる治癒魔術と、
「逆巻け、渦炎よッ!」
悪魔に無距離で炸裂する私の魔道。
ひたすら、その繰り返し。
事態は、好転し続けている。
この、ヒューリーの体にとりついているという悪魔が、人間の肉体を捨てて悪魔本来の姿となって立ち向かってくるのが、一番の懸念だった。
こいつは、リシュの従者の、首と心臓を噛み破ったと言っていた。
氷雪の魔女と呼ばれるスノウ・アーチローダーだけど、本来どんな姿をしているのかを私は知らない。牙や爪があるのなら、素手で殴って集中を乱してやるなんてことはできないんだから、こうはいかない。
でも、ここまで必死になって体の再生をしようとしているところを見ると、少なくとも今はこの体から悪魔として分離はできないのだ。
この体さえ破壊してしまえば、今のこいつなら、恐らく倒せる。
これは一つの賭けだった。そして、勝った。このまま、勝負にも勝つ!
「スノウ! あんた、リシュの女従者たちを死なせたって言ってたわよねッ! ――爆炎よッ!」
ごばおんッ!
「ぐ、お……それがぁ、どうし……」
「その後、リシュを追っかけるのを諦めたわけでしょ! さっきも言ったけど、もう一度言ってやるわ! 圧勝したような口振りだったけど、本当は死ぬ寸前まで痛めつけられたんじゃないの!? ――吠えろ、火竜よッ!」
ぼぐおおおおッ!
これは、空を飛ぶためじゃなく、口から火を吐く魔道だ。
「ぎ、ぎぃぃ……そんな、わけがぁ……あるかぁ……!」
私はスノウの頭を両手でつかみ、どんどん炭化していく人型の悪魔と、至近距離で睨み合った。
「今回のこともっ! せっかく入念に準備して国まで動かしたっていうのに、いざやってみたら騙し討ちをさらに人間に騙し討ちされて、今どういう気分!? ――爆炎よッ! 最強の悪魔さんは今、どんな風な感情かなああああ! ――紫焔よッ!」
ばごおっ!
きゅどどどどどっ!
「ぐぅぅぅぅ、おおのお、れぇぇぇぇぇ……!」
全く私の趣味ではないんだけど、妙な逆転の一手などを思いつかれないように、挑発し続けることで意識を私への怒りに向けさせる。
それでも、スノウの体の回復はさらにスピードを増しているように思えた。焦げ切っていた皮膚の下から、滑らかな新しい皮膚が現れてくる。
――こっちはひたすら、連打あるのみ!
「爆炎よッ! 渦炎よッ! く、は、爆炎よッ! 紫焔よッ! ――簡易版奈落よッ! 爆炎よおッ! ……」
文字通りの手の届く距離で、城壁さえ爆砕する威力の魔道を連発する。
正気の沙汰ではない。そもそも、悪魔に挑もうという時点で正気ではないけれど。
この辺りで、声帯が焼き切れたのか、スノウのうめき声が聞こえなくなった。
「い、癒しよ……!」
「リシュ、エリクサーも!」
「あ、ああ! 投げるぞ!」
その時だけ、手をスノウから離して。
ぱしり。
ごくごく。
ぷはー。
その間にも、リシュはさらに回復をかけてくれる。
「癒しよ!」
「サンクス! それじゃ仕切り直して、爆炎よッ! 爆炎よッ! 渦炎よッ! ……」
何度気絶しかけたか、分からない。
どっちが攻撃している側で、どっちが優勢で、どっちが追い詰められているのか。
それも、途中から分からなくなった。
爆炎よ。渦炎よ。火群よ。紫焔よ。爆炎よ――
朦朧としながら、攻撃の意識だけを先鋭化させる。
ほかは全て、失われてもいい。でも、炎だけは絶やすな。
スノウの頭をつかんでいる両手がなければ、倒れていたかもしれない。
いつしか、私の魔道は、最も単純な術に収束していった。
爆炎よ。爆炎よ。爆炎よ――
かろうじて残った意識で、リシュを呼び、エリクサーを受け取る。
そしてまた、魔道。
爆炎よ――
爆炎――
――癒しよ。
爆炎――
その繰り返しを、どれだけ続けたろう。
エリクサーは、もう、何本使ってしまっただろう。
鈍い赤色しか映らなくなった私の視界の中で、なにかが揺れた。
「ルリエル! 避けろおおおお!」
ほとんど喪失しかけていた聴覚が、リシュの声をとらえたのは、幸運としか言えなかったと思う。
はっとして前を見ると、ほとんど頭蓋骨だけになった――首から下はすでに焼け落ちていた――スノウが、大きく口を開いていた。
悪魔の、最期の、膨大な魔力の波動を感じた。
――まずい!
瞬時に、両手を離し、攻撃のために錬成していた魔力の流れを中断して、防御魔法を展開する。
それで防げるかどうかは、賭けでしかないけれど。
しかし。
「……え?」
スノウの魔道は、放たれなかった。
その代わりに、瞬きの間に、目の前で、頭蓋骨に首から下、五体が生え揃った。服まで復元されている。
やられた。
今の魔力は、攻撃ではなくて、再生のためのものだったんだ。
「ようもぉ……やってくれたなぁ……人間の体に身をやつしているとはいえ、よく、我をここまで、追い詰めた……」
ここにきて、これほどの再生魔法。スノウにとっても、賭けだったのだろう。恐らくは、切り札に近い魔法だったはずだ。そうでなければ、もっと早くに使っている。
そして、一度体が消し炭になったせいで、その足を縫い留めていた剣から、今は自由になっている。
私たちの周りからは、牢のように展開させていた彼岸の炎が消えていた。私が、いつの間にか、制御を手放してしまっていたらしい。
互いに、切り札を切り合った。
後は、終わるだけだ。どんな形だったとしても。
静かだった。
夜の闇の中、煙は立ち上っていても、炎は今、一片もない。
「……死ねぇ」
「……あんたが、死ね」
一拍分の、再びの静寂の後。
「ルリエル……エルトロンドオオオオオ!」
「スノウ、アーチローダあああああああ!」
一瞬にして、互いに、編み上げる魔力。
最速、最大の、最も得意な魔道。
「凍嵐よぉ!」
「爆炎よッ!」
正面衝突した魔力の余波で、水蒸気と煙が巻き起こる。それに押されて、たたらを踏みながら。
私は、見た。
ヒューリ-・ウルフグラフトの体から、青みがかった黒色をした、大蛇のような影が、真上に抜けて伸び、飛び上がろうとするのを。
あれが、本体!?
べりべりと、耳を覆いたくなるような、嫌な音が響く。最後の最後までヒューリーの体に留まろうとしたことから見ると、きっと、今この分離をするのにはかなりの無理があるのだ。わざわざ体を万全の状態に戻したのも、そうしなければ、ぼろぼろの状態ではこの分離を成立させられないんじゃないか。
つまり、それだけ今は、やつがデリケートな状態。そして、本体が剥き出しになっている今が、千載一遇のチャンス!
「穿て、――」
しかし。
ヒューリーの体が、いきなり私に腕を伸ばしてしがみつき、口も押えてきた。
「うぐっ!?」
しまった。このための再生でもあったのか!
スノウの本体は、まだ尾の先を肉体の頭に残している。
それが、すっと抜けて、いよいよ黒い蛇は空中へ飛び上がった。
まずい。どうする。飛ぶ? でも、ヒューリーの体の力は弱まらない。人間一人に、しがみつかれたままで追いつける? 無理にでもここから魔道を飛ばすほうがいい? でも、外したら――
一か八かで飛び上がるしかない。
そう思った時、風切り音が聞こえた。
そして、
どすっ……
なにかを貫く音。
ぼとりと、私の目の前に、全長五メートルほどの黒い蛇が落ちてきた。
腹に剣が刺さっている。見覚えがある。十字架を模した、白いロングソード。
「キール!」
「投擲は、あまり得意ではないのですが。元プロのダンテに教わったお陰で、上手くいきました。月明かりにも助けられましたね」
種火よ、と私は明り取り用の炎を、手近な地面の上に灯らせた。
リシュのすぐ横に、キールとダンテが立っていた。
キールは、剣を投げやすくするためか、鎧を外していた。
「できるだけ離れてって、……言ったのに」
「そう言われると、できるだけ近くで見守りたくなるものです。リシュも、よくやってくれました」
にっこりと笑うキール。
三人は、私のほうへと並んで歩いてくる。
がれきはほとんど炭になっていて、石だった時よりも足を取られて歩きにくそうだった。
ダンテが、ヒューリーの体を私から引きはがすと、彼女は力なくその場に倒れ込んだ。
リシュが、悲しそうな目でそれを見下ろす。
そして、四人で、ひくひくと痙攣している蛇に近づいた。
さっき足に刺した二本の剣を再び蛇に打ち込んで、地面に縫い留めてから、キールのロングソードを抜く。
「……こいつが、六つの悪魔の一つかよ」とダンテが低い声で言う。
「うん。これから、とどめをさすね」と私。
すると、ダンテが半眼になった。
「……さらっと言うじゃねえか、怖いことを」
「え、だ、だって、ほかになんて言うの? 贖え、……煉獄よ」
赤黒い炎が再び現れ、蛇と剣を包み込んだ。
それでももう、蛇は動こうとはしない。
「……そういえば、魔法師団の人たち、全然来ないわね?」
キールが後ろを振り返り、
「トリスタンが、魔法師団にも、騎士団にも事情を説明してくれています。今普通の魔法使いたちが来ても、悪魔の養分にされるだけだということも」
「え。……事情?」
「ええ」
「それは、どこからどくらいまで……?」
キールは、申し訳なさそうな顔になった。
「それは、ごまかしようもないですから、ヴェルヴェッチ=アルアンシを、ルリエルが倒したところから、今日までのことをおおよそ全て……ですね」
「お……おおお。す、全てかあああ……。色々黙ってたから、なんだか後ろめたいのよね……」
ダンテが、私の肩をぽんと叩いた。
「諦めろ。もうこれで今日からお前さんは、六つの悪魔のうち二体を屠った、人類史上稀にみる英雄様だ。ま、悪魔の死後の争いやらなんやらは、妃王様が上手く収めてくれるさ」
「ううう、そりゃ、自分のしたことだから受け止めるけどもお。あ、そういえばリシュ、結局エリクサーって何本使ったの?」
「……十五本。凄いね。これはこれで、人類史上初めてだと思うぜ」
キールとダンテの顔が凍りついた。
……悪魔でさえ驚いてたみたいだし、やっぱりエリクサーって、この世界じゃかなりの貴重品なのね……。




