第三章 リシュとザンヴァルザン妃王の君10
「もう一人はぁ、お前かぁ……。運よく逃げ延びたものを、わざわざぁ……」
「運じゃないぜ。カニシュカンド軍と、ヒューリーの成果だ。おれが、戦になる前に、なにかの機会にヒューリーの顔を見ておけば……お前と、へらへらと一つ屋根の下で寝泊まりするような屈辱は、なかった……!」
そう言うリシュの手にも、大振りの革袋がある。
中身は――
「ルリエル、例のものは、ここにある。妃王様が、悪魔を倒すためならと、王宮の宝物庫にあったうちの半分を持たせてくれた。……金額にすれば、小国が傾くくらいの額になるぜ」
「助かるわ。……足りるといいわね。じゃ、そろそろ始めましょうか!」
スノウが、わずかに背を反らした。
のけぞったのではない。臨戦態勢だ。もう、いつ魔道が放たれてもおかしくない。
「待ってくれ、ルリエル」
リシュが、静かな声で言った。
「……どうしたの?」
「悪い。どうしても、聞いておきたいんだ」そう言ってリシュは、スノウのほうを見た、「……六つの悪魔、スノウ・アーチローダー」
「なんだぁ? 元王子ぃ」
「……カニシュカンドの城が落ちた後、王と、四人の王子を殺したよな。そして、北に逃げたおれのことも追ってきた。その時、おれの服を着た女や、その後に続いた女たちがたはずだ。……彼女たちとは、接触したか?」
訊くな。
そう叫びたかったけど、こらえた。
そんなことはリシュも分かっている。
でも、訊かずにはいられないんだ。
もしかしたら。万に一つ。この悪魔が、なんだそれは、覚えがないな、と言ってくれたら。
スノウは目を細めて、
「ああぁ。あの、王子様のなりをした、おかしい女かぁ。それから確か、女戦士――それにしては従者のような恰好をしていたが――が四人だったか。いたなぁ」
リシュが息を呑み、そして、もう一度問いかける。
「……それで? 彼女たちは……」
「人間は食らい飽きていたんでなぁ、首と心の臓を噛み破って、そこらに転がしたわ。紙人形のように手ごたえのない戦士どもだったなぁ」
いかにも、つまらないことを聞かれたというような、悪魔の顔。
リシュが、沸き上がった感情を押さえつけているのが分かる。
それでも彼は、もう一つだけ訊いた。カニシュカンドの王子として。
「なぜだ、スノウ・アーチローダー。なぜ、おれの国に攻め入ってきた。確かに、貴様を討つ準備をしていたのは、おれたちだ。でもそれは、貴様が、ほかの悪魔と比べてもはるかに明確な意思を持って、多くの人間を食い、国を滅ぼしてきたからだ。元をたどれば、おれたちの軍備は、貴様に対する防衛だ。……教えてくれ。なぜ、貴様という悪魔は人を害するのか」
しかし。
「答える言葉はぁ、ない」
リシュが、たまらず一歩踏み出した。「貴様……!」
「言葉にしたとてぇ、お前らには理解できまい。言葉が通じるから、理解がかなうなどと思うなよぉ。それでも、近い答えを言葉にしたならばぁ、そうだな、『お前らが生きているから』だ。どうだ、納得できたかぁ? できまい? 愚者はさがっておれよぉ」
私は、息を荒らげるリシュを手で制した。
これ以上は、リシュに得られるものはなにもない。失うものは、いくつもあるだろう。
その様子を見て、スノウが私へ視線を移す。
「小娘ぇ、お前……一応聞いておいてやるぞ。我が贄としてその魔力を残らず差し出すのなら、命だけは、取らないでおいて、……やる。だがぁ、いいのだな? この後から来る人間の増援など、我の餌にこそなれ、お前の助けになど、なるまい……」
「あんた、なにがしたかったわけ?」
「……あぁ?」
「ここで、私や魔法師団を壊滅させて、その後は? また気ままな放浪生活?」
ぐにゃり、とスノウの顔が歪んだ。
今度は判別がつく。あれは、笑った顔だ。そのまがまがしさには、もう、ブリーズ・ブロッサムの面影はない。
「この場のぉ、魔法使いはぁ、全て殺す……。そして、騎士団どもにはぁ、お前らは悪魔と相打ちになったと告げてやる。王宮に戻れば、我は英雄として、国の重鎮となるだろうぅ……そうして、人間のうちに入り込む。あの国の王にはぁ、カニシュカンドの坊主との間に、じきに子が生まれると見ておったからなぁ……世継ぎがなぁ」
「……だから?」
スノウの顔のゆがみが、さらに進行する。
「そこからはぁ、どうしてやるのも我の手のうちよぉ。王らの目の前でぇ、我が正体を明かし、子を頭から食らってやるもよし。子を手なずけてぇ、王に反旗を翻させ、国そのものを崩壊させるもよし。二度と、この我に不遜な傷など与える者など現れぬようにぃ、手始めにその国をぉ、人の群れのことごとくを踏みにじり、蹴り散らしぃ、ばらばらにしてぇ、」
「なるほど。人がつながり合って強大な力を持つことに、あんたはびびっていると」
ぴた、とスノウの言葉が止まった。
「……なにぃ?」
「だから、人が寄り添い合わないように、ばらばらにしておきますと。正面から戦うんじゃなくて。へえええ。思ってたより、悪魔って軟弱なこと考えるのねー」
私は、意図的に目を細め、口元を曲げる。煽り、見下し、侮蔑する表情。今、さぞかし嫌な顔してるんだろうな。横にいるキールとダンテが、半眼で私の顔を見ている。
「お前――」
「誰が命乞いなんかするかッ! 返事はこうよ! リシュの国の人々の仇! 同じ七つの封印、ヒューリー・ウルフグラフトの仇! 国民も妃王様も待ちわびているお世継ぎを弄ぼうっていう、その下種下卑た根性! あんたが受ける罰は、消滅あるのみ! 以上ッ!」
スノウの魔力が膨れ上がる。
「図に乗るな、小娘ええええ!」
タンカを切った一瞬、私の脳裏に、お姉ちゃんの顔がよぎった。
こいつが、傷が治れば隠居するかもなんて思ってたわけじゃないけど、絶対に許しちゃいけないことが改めて分かった。
あいつの、これまでの所業は許せない。そして、これから生まれてくる子供を、その母子の愛情ごと笑って踏みにじろうとするその性根も、私のお腹の底から、激しい嫌悪と怒りを湧き上がらせた。
私は、全然立派な人間じゃない。私が抱ける攻撃的な感情の動機は、私怨が、一番強い。
だからこそ、私は、この悪魔に、その後の思惑なんて聞いたのかもしれない。思い切り憎んで、全力で戦うために。
戦いって、本当に、救いがないな。
頭の片隅で、失笑する。
そして意識を切り替える。
開戦だ。
「魔槍よぉ!」
スノウが広げていた魔力の翼から、無数のつららが放たれた。
いや、違う。ただの氷の槍ではなくて、あれは、魔法の矢だ。
槍は異常な軌道を描きながら、私たち四人に殺到する。
「穿て、――」
私も、準備しておいた魔力を、右手から瞬時に解き放つ。
「――紫焔よッ!」
私の出した炎の魔法の矢が、氷の槍の群れを横殴りに粉砕する。
縦に動いているものを横からとらえるのってかなり難しいんだけど、上手くいった。
「行くわよ、スノウ・アーチローダー! 舞え、――」
左手に、別の魔力を収束させて、キールとダンテに目配せしてから、唱える。
「――火群よッ!」
放たれた小型の火球が、悪魔に襲い掛かる。
狙いは、やつの下半身に集中させた。
たちまち弾着の煙が沸き上がり、スノウの姿がそれに巻かれて見えなくなる。そこから、声だけが響いた。
「なんだ、この魔道はぁ……? 痛くもかゆくもなく、児戯に等し……」
途中で、言葉が止まる。
スノウの両足の甲を、煙に紛れて一気に接近したキールとダンテそれぞれの剣が、真上から貫いていた。石の床に、その足を縫い留めるために。
神霊力で強化された剣は、刀身のほとんど半ばまで床に埋まっている。ヒューリーの肉体の細腕では、膂力だけではそう簡単には抜けない。
「小細工をぉ……」
「七つの封印の私しか、あんたに傷をつけられないと思った? でもその体は人間のものだし、魔道の出力だって本来通りではないはず。詰まるところ、油断し過ぎなのよ。人間を、舐めてるから!」
キールたちは、素早くその場を離れて、私の両隣へ戻ってきた。
そして私は、逆に、悪魔へと近づいていく。
「キール、ダンテ、ありがとうね。後はやるから、できるだけ離れていて」
そう言った私の背中に、二人が声をかけてきた。
「ルリエル、申し訳ありません」
「済まねえな……歯がゆいぜ」
振り向かずにうなずいて、私は塔の入口へと進む。
打ち合わせていた通りに、キールたちはトリスタンを連れて、馬で少し離れるはずだ。
トリスタン、だけを連れて。
蹄の音が遠ざかるのが聞こえた。
「ふん。いいのか、お前がぁ、単騎で我と戦って。その体も乗っ取ってやろうか」
「悪魔が人間の体にとりつくっていう話は、大陸史の話で聞いたことはある。でも、数えるほどしか例はないでしょう。ということは、そうそう起こりえないか、何らかの条件が満たされなきゃならないはず。そんなへまはしないつもりよ」
煙が晴れて、再びスノウがその姿を露わにした。
スノウは、おや、という顔で、私の背後に一人残った
「カニシュカンドの坊主が一人残ってぇ、なんのつもりだ? 血筋しか取り柄のない小僧に、なにができるぅ?」
「彼は――リシュは、私の切り札よ。あんたを滅ぼすための」




