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第三章 リシュとザンヴァルザン妃王の君1


 晴れた日の、正午近く。事務室のテーブルで。

 天気とは裏腹に、私は悶々と悩んでいた。

 頭を抱えてずっとうなっていると、朝から続いている頭痛が、よりひどくなっていくように思える。


「うーん……んー……」

「どうしたんですか、ルリエル?」


 トリスタンが心配そうに声をかけてくれた。


「二桁の足し算でも暗算しているのか?」


 あきれたように言ってきたのは、カルスだった。

 一見すると少年のようにあどけない顔立ちに見えるのに、さらさらの前髪のすぐ下から覗く眼光は、実はなかなかに鋭い。

 当初は、奉仕の際に怖がられないか心配だったけど、「そこに色気がある」と言ってくれるお客様が多いので、なにごともやってみないと分からないものだな。

 今日の彼は少し丈の短い黒いシャツを着ていて、動く度に青白い二の腕やお腹がちらちらと覗いた。

 キールほど筋肉はついていないけど、引き絞られたシャープな体つきをしている。腕や脇腹など、ふと力を込めたところに、すっと筋が浮き出るのが、これまた人気らしい。


「あのね、私これでも地球じゃ数学は割と得意だったんだから! 今悩んでるのは、語彙についてよ」

「……語彙ぃ? お腹空いた、と爆破してやる、だけで日々乗り切れそうなもんなのに?」


 く、相変わらずカルスは相変わらず口が悪い。トリスタンが若干おろおろしている。


「私の二つ名を、新しく考えようと思って」

「なんでまた?」


「私、ちょっと前に、リシュ連れて帰ってきたでしょ。あの時、山賊みたいな連中に、なんだかろくでもないあだ名で呼ばれたのよ。だからもっとこう、かっこいいのを」

「充分あるじゃないか。ぶち切れ爆弾娘とか」とカルス。

「炎上大魔王、というのも聞いたことがありますね……。強そうです」とトリスタン。……こっちは悪意なく言ってるっぽい。


私は両手をわなわなと震わせながら、手のひらを天井に向けた。

「んな風に呼ばれたいと思ったことはないっ! もっとこう、前向きなのがいいの!」


 カルスはソファに座り、テーブルに置いてあったミントキャンディをつまみながら、

「ふーん。なにか、盛り込みたい単語はあるのか?」


「そうね。『最強』って入れたいわね。最強格、とかトップクラス、じゃなくてはっきりと『最強』ってよくない?」

「……ほかには?」


「あとはやっぱり、『天才』がいいわね! 言葉として最高の響きじゃない、『天才』!」

「……大抵の場合、本当の天才って、自分ではそう言わないし、言われるのも嫌がるって聞くけどね……」


「人それぞれっ!」

「いいけど。で、ルリエルの今のところの第一候補は?」


「任せて、いいのが思い浮かんだから。ずばり、『最強なる天才者』! どう!?」


 私が両手を広げてそう叫ぶと、カルスはキャンディをがりっと噛む音を立てて、沈黙した。

 トリスタンはお茶の準備で、ミニキッチンに入っている。


「いや、まあ……本人が、それでいいなら……」

「本当!? ありがとう、カルス! カルスがこの二つ名のセンスを認めてくれたなら、心強いわっ!」


「え?」

「さっそくキールに言って、世の中に広める算段を考えるわねっ! カルスのお墨つきセンスの、私の新しい称号!」


 カルスが立ち上がる。

「い、いや待て、僕はそのとんちきな言葉選びのセンスを認めてなんて――」

「『最強なる超天才者』! 『最強なる超天才者』! ああ、口にしているだけで最強になれそう! だって最強だもんね! しかも超天才! トリスタン、聞いて! カルスと共に二人三脚で編み出した、私の二つ名を――」


 ミニキッチンに行こうとした私の腕を、カルスががしりとつかんだ。


「……? どうしたの、カルス?」

「いいかい、ルリエル。その名は、まだ世に放つには時期尚早というものだ」


 私は両手で口を覆う。


「そんな……どうして!?」

「それは、つまり、ほら。ルリエル、あなたの魅力は、強さだけじゃないだろう? それに、天才というのは、意外に打たれ弱く脆いというイメージがつきまといもする。あなたにふさわしくないわけではないが、取りこぼすものも多いと思うんだ」


 なるほど。

 言われてみれば、もっともな気がする。


「ルリエル、僕は午後の予約のために部屋の準備があるので、一度プレイルームに戻る。でも、決して、さっきの、さ、さい……さい――」

「最強なる超天才者」


「そう、それを、人に漏らしてはならない。約束してくれ。特に、僕の名前は出さないように」

「……分かった。もう少し、よく考えてみる」


 カルスは深くうなずくと、背を向けて事務室を出ていく。ドアノブをつかんで、引いた。そして後ろを向いたまま、

「それに――」


「え? カルス、なにか言った?」

「それに、ルリエルのいいところを、あますところなく的確に表現する言葉なんて、世の中にはないよ」


 そう言って、カルスはドアを閉めた。

 小さい声でよく聞こえなかったけど、褒められたように思うので、あまり追求しなくてもいいだろう。


 トリスタンが、フルクトラさんからもらったハーブティを、耐熱ガラスの茶器で入れてくれた。

 朝から、王宮に提出するための書類仕事で大わらわだった私は、それを受け取って一息つく。


「大丈夫ですか、ルリエル? ……昨夜から、ほとんど寝てないのでは……」

「うう。仮眠しかしてない。それなのになれない考え事までしたもんだから、しんどいわ。あ、なにこれ、このお茶、水色(すいしょく)が青いんだ? きれいだねー」


「はい。バタフライピアースといいます。結構有名な葉ですね」

「え。なんか聞いたことあるわね。バタフライ……」


 そして、はたと思い至る。


「トリスタン、もしかしてこれって、レモン絞ると、色が変わったりする?」

「あ、そうです。……用意していますので、やってみますか?」


 やるやる、と言ってカットしたレモンを受け取った。

 地球にあった果物は、ほとんど似たようなものがベルリ大陸には存在する。探せば、もしかしたら柚子や伊予かんなんかもあるのかもしれない。伊予の国もないのに。


 レモンの果汁を絞り入れると、青かったお茶が鮮やかな紫色に変わった。


「あーこれこれ、地球ではやったことがなかったんだよね! いただきまーす!」


 トリスタンがくれた蜂蜜を落として、ありがたくいただく。


「あー、落ち着く……きれいな色とかいい匂いの飲み物って、最高よねー」

「昼食は、自分めが、なにか軽めのものを用意しましょうか……。海老とウイキョウのスープとか」


 そういえば、ザンヴァルザンの食事は、スープが多い気がする。

 肉・魚・野菜と、なにを使っても必ずキールやトリスタンがおいしく仕上げてくれるので、副業でレストランとか軽食のあるカフェとかやりたくなるな。


「あ、いいわねーお願い。じゃ、それまでに書類片づけるぞー! 思ったより早く仕上がりそうだから!」

「郵便なら、自分めが手配しますよ……。出来上がったら出しておいてください」


「それが、今回は、ヴァルジの王宮まで直接出しに来いって言われてるのよね。明日、ちょっと行ってくるね」

「ルリエルが、自分で直接ですか? ……珍しいですね」


「うん。書類自体は、いつもの、月締めの税金関係のやつなんだけど。なんでだろ」

「もしかしたら、書類そのものより、ルリエルを呼びつけるのが目的なのかもしれませんね……」


「あはははは。王宮から、理由を隠して呼びつけられるなんて、一大事じゃーん」

「ふふふふ。そうですよね、いくら七つの封印ていっても、そんなわけないですよね。だって、ルリエルは危険分子でも反乱者でもないんですから」


「そうだよ。あはははは」

「ふふふふふ」



 で、そんなこと言ってた翌日の、お昼前。


「トリスタンくんて、あのかわいい子でしょ? ちょっと大人しそうな」


 ヒノキバリネウムのカウンターで、アーシェさんが、カプチーノを渡しながら言ってきた。

 私はいつもの、フードにマスク姿で、露出している口からふうふうと息をカップに吹きかける。


「うちの男子は全員かわいいですよ」

「はいはい。でも確か、見た目によらず、男娼の経験者だったのよね?」


「そうです。うちの商売敵の、アウィス・デンタータっていうお店で。ただかなり苦労したみたいで、お店辞めちゃったんですよね。……その時は、トリスタン、ちょっと、不安定な状態になってたみたい。そこを私がスカウトしまして」

「いいじゃない。今では、すっかり欠かせないメンバーなんでしょ?」


「はい。もうほんとよく気の利く男子で、よくぞうちに来てくれたというか、あの子がいなければハルピュイアの職員満足度は何段階落ちることかっていう感じで。欠けてる部分に、ぴたっとはまったピースみたいな」


 考えてみれば、うちの男子はみんなそんな感じだ。偶然のように出会って、必然のようにそこにいる。キール、ダンテ、トリスタン、カルス、それに今は国の外に出ている二人。

 この世界に来た当初にした思いを考えるに、この一年、本当に私は出会いに恵まれているなと思った。


「それはそうと、ルリエルは、今になって怖くなってきたんだ。応急からの呼び出しが、なんなのか」

「だって、なにか、におうじゃないですか。私、確かに強力な魔法使いですけど、身分としては一般人ですよ? それが、王宮に顔出しに来いなんて」


 ふうと息をついて、カップを傾けた。

 ほろ苦さとミルクの甘さが、口の中を幸せにしてくれる。ストレートもいいけど、カプチーノのこの一口目の味わいが、なんとも言えず好きだ。


「それこそ扱いにくいんじゃないの。もしかしたら、王宮勤めになれとか言われるかもよ?七つの封印が常駐してる国なんて、ほかにないんでしょ?」

「あー、基本的に、七つの封印て自由人ばっかりですからね……。今実際には何人いるのか分かりませんけど、風来坊みたいな人多いと思います」


「え、人数ってそこまで不定なの? 確かに、七人とは決まってないっていうのは聞いてたけど」

「人間の中で抜きんでて強い、っていう条件さえ満たしていれば、後はほとんど世論で決まるものですから。地方によって、七つの封印にカウントされたりされなかったりする人もいますよ。いい加減なもんですよ」


「でもさ、うちの宿でも、ちらほら噂が聞こえてきたよ」

「え? なんのです?」


 そこで、アーシェさんは小声になった。

 私は耳を寄せる。


「六つの悪魔の、退治。首都ヴァルジどころか、ザンヴァルザン王国を挙げて、討伐に出るんじゃないかって。だから、ルリエルにお声がかかるんじゃないの」

「ええー、やだなあ……そんな話になるのは」


 王宮には、午後に行けばよかった。

 でも、今から気が滅入ってくる。


「ルリエルがそう言うなんて……。六つの悪魔って、本当にヤバいのねー」

「アーシェさん、あんまり悪魔に興味持ってないですよね……?」


「え、そんなことは、ない、けど。やだなあ。仮にもこの大陸で生活してるんだからー」


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