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第二章 ダンテと離婚希望の君3

「さーて、おれたちもここから一時間か。ベーカリーでそんなにゆっくり過ごすなんて、久し振りだな」

「ほんとよねー。じゃあ、私、この春ピスタチオとさくらんぼのパイ。ダンテも食べる?」


「なにがじゃあだ、まったく。おれは、コーヒーと肉ポテトのサンドウィッチにするか。……しかしそのパイ、えらくでかいんじゃないのか? 食べきれるのかよ?」

「そうね。……一時間となると、何個いけるかな」


「いや、別に、終始食い続ける必要はないと思うが。ていうか、制限時間内に何個食べきれるかを訊いたんじゃないんだが」


 ダンテがあきれたように呟いたけれど、特に問題のある発言ではなかったので聞き流し、私はさっと店員さんに向けて手を挙げて、オーダーをお願いした。



 一時間、には少し早かったと思う。

 ベーカリーに一人の女性が入ってきた。

 フォーマルな黒い服を少し崩した、巻いた髪を揺らしながらはあはあと息を乱れさせているその人が、セレラの母親だった。


「セレラ!」

「お母さん!」


 セレラが立ち上がる。

 駆け寄り合う二人は、本物の信頼で結ばれているように見えた。


「あれなふぁ、環境さへ整へば、平和に暮らふぃていけほうよねもぐもぐ」

「ルリエル……結局何個食った……? それ、皿八枚あるのか……? パイ一つが、ホールの四分の一くらいあったよな……?」


 ダンテが、ぞっとしたように言ってくる。

 しかし、このピスタチオの豆っぽさを取り除いたコク深い妙味と、濃厚な甘さを湛えながらさわやかな酸味をあえて残したさくらんぼの取り合わせの前には、パイの適正な個数など問題ではなかった。


「うんふ。十個目指そうふぁと思っふぁけろもぐもぐ、ちゃんろ味わうほうを優先しごっくんたから」

「器用なんだかなんなんだか分からん食い方するんじゃねえ。ま、とりあえず今日のところは退散するか?」


「そうね。特にダンテは、セレラのお母さんから見れば見知らぬ筋肉太郎だし」

「うるせえ、だからなんだそれは」


 けれど、私たちがお会計のために立とうとすると、セレラが私たちのほうを指さしてきた。


「お母さん、あの人たちがあたしを助けてくれたの」


 驚いた母親が、私たちを見て目を見開く。


「あ、いえ、私たちが助けたなんて大げさなものでは。なんだか、女の子が酒屋(リカーショップ)で困っていたようだったので、少しお節介していただけでしてっ。私はルリエルと言いまして、見ての通り、魔道士(ソーサラー)ですが怪しい者ではありませんのです。こっちは、筋肉だるまのダンテ」

「悪化してないか? ……しかし、怪しくないと本人が言うと、本当に余計怪しくなるもんだな。勉強になるぜ」


 やかましい、とダンテのふくらはぎをこつんと蹴ってやる。

 母親は、少したじろいでから、深々と頭を下げてきた。


「それは、ありがとうございました……私が、母親なのに行き届きませんで。私は、フルクトラ・デラメランといいます。そうですか……お酒を……」

「赤の他人が失礼ながら、セレラさんは、少し色々悩まれているようですね……」


「はい……お恥ずかしながら。大変ご迷惑をおかけしました。さあ、行くよ、セレラ」


 親子は、もう一度丁寧に挨拶をして、ベーカリーを出て行った。

 セレラが振り向きながら、手を振ってくれる。

 年相応のかわいらしいしぐさに、自然と頬が緩んだ。……が。


「うーんんんん……」

「なんだ、猪のいびきの真似か?」


「そんな物真似してる人類、見たことないんだけど……。あの子たち――というか、お母さんのほうね。うちの仕事とかさせてあげられないかな。事務とか、軽作業全般とか。そうすれば私も目が届くし」

「んなことでいちいち人雇ってたらきりがねえだろ。ハルピュイアの連中は自分たちの衣食住はほとんど自分で面倒見てるから、仕事って言ってもあんまりないしな。そうすると臨時ならともかく、長期に雇うってのは、本人が負担に思うんじゃねえか」


 そうなんだよね。それじゃ、根本的な解決にならない。


「今日のところは、おれたちにできることはないだろ。ひとまず帰ろうぜ、遅くなっちまう」


 ダンテが、店の端に置かせてもらっていた買い出しの荷物を背負って、ドアを出た。


「あ、ダンテ、食い逃げ」

「どこがだっ!? とっくに払ったわ!」


 そう言われてマスターを見ると、確かに支払いは済んだというハンドサインを送ってきた。


「え。私の分も? いつの間に。おごってくれたの? うわー、ありがとう」


 意表を突かれたので、つい声がワントーン上がってしまった。

 そんな私を、ダンテが半眼で見てくる。


「……まさか、いくらルリエルとはいえ、女が男と一緒にもの食って、金払う気でいたんじゃないだろうな。あんま見くびんなよ、自分の従業員を」

「み、見くびってはいないけど。じゃあ、今日のところは素直に甘えさせてもらうね。ありがとう、ごちそうさま、ダンテ」


 ダンテがにやりと笑う。


「そう、それでいいんだよ。じゃ、帰ろうぜ」



 ハルピュイアには、途中から、ダンテをつかんでひとっ飛びして帰った。

 おかげで、夕方になる前に着けたけどこれが当たり前になると、どうも馬車がのろく感じてしまう。……いけないな、そんなことでは。


「お帰りなさいませ、ルリエル」とキールが出迎えてくれた。

 アイスミントティのグラスを私とダンテに渡してくれたので、二人して、半分ほどを一気に飲む。

 ハーブの香りのついた飲み物って、地球にいる間はあまりうちでは飲まなかったけど、今はすっかり慣れた。でもやっぱり、お姉ちゃんが入れてくれる緑茶も恋しいなあ。


「ごっめんね、遅くなっちゃったかな」

「いえ、充分お早いお帰りですよ。では、私は夕方のお客様の準備がありますので」


 すでに今日はお客様一人をお相手したキールが、次の部屋のセッティングと身支度のために事務室を出ていった。


 ハルピュイアでは、基本的に男子が稼働するのはお昼ごろからだ。

 昼でも夜でも、奉仕時間を一二時間程度で指定するお客様もいれば、六時間欲しいという人もいるので、本当にまちまちだ。

 なるべく柔軟に対応しているけど、男子たちも人間なので、疲れもすれば限界もあるから、予定の組み方には気を遣う。

 時々、午前中に予約を入れたいというお客様もいる。

 仕事がら男子たちは午前様になることがほとんどなので、体力的にはかなりきついのだけど、家や仕事の都合でどうしてもという人たちは、だめもとで希望してくる。

 ハルピュイアの男子たちは、私がたってとお願いすれば、ほとんどの場合は断らない。

それだけに、私のほうで考えて対応していかないと、男子たちに無理を強いることになってしまう。あまり、そういう経営者にはなりたくなかった。


 ちなみに、カルスとトリスタンは今まさに仕事の真っただ中で、二人とも二階の部屋で稼働中だった。


「ダンテも夕方からお一人、予約が入ってたっけ?」

「ああ。昼過ぎまで外にいたおかげで、体の調子がいいぜ。もともとアウトドア派だからな、おれ。じゃ、部屋と体の準備してくるわ。ルリエルはゆっくりしてろよ」


 私のほうは、予約の時に主人の出迎えや見送りを不要と言ってきたお客様ばかりの日なんかは、あんまりお店のほうではやることがない。

 今日がまさにそういう日だったので、ちょっと張り合いがないなと思ってしまう。出迎えありになっているのは、お一人だけだった。

 お客様の顔を見ないとどこか事務的な仕事をしてしまいそうなので、できれば出迎えはしたいんだけど、それが嫌だという気持ちもなんとなく分かるので、不要と言われれば大人しく引き下がるのみだ。

 それに、ハルピュイアではほとんどないとはいえ、お客様からのクレーム発生もあり得るし、緊急的な対応が必要になることもある。

 緊張感を持って、今日はデスクワークに臨もう。少なくとも、意気込みとしてはそんな感じでいよう。うんうん。


「まずは、お茶でも入れようかな。種火よー」


 お湯を沸かしつつ、デスクに置いてあった、今日のお客様リストを見る。

 たまーに、出入り禁止にした元お客様が偽名で予約を入れてきたりもする。正直予約の段階では見破りようがないので、リスト自体は割とのんきな気持ちでいつも眺めている。


 ん。

 はて?


 今日の夜の予約で、ダンテに、ルクトーラ・ディメラインという方が入っていた。

 なんか、最近聞いたような気がする名前だな。そのものずばりじゃなくて、響きが似ているというか。いや、こういうとこで名乗る名前は九割以上が偽名だから、あんまり気にすることでもないんだけど。

 でも、なんだったかなあ。誰だっけ。こう、ウルトラ・でっかメロン、みたいな(おん)の。


 んー……えーと……どこの誰だったか……

 考えているうちに、ケトルが鳴いた。

 慌てて火を落とそうとして、ようやく思い当たった。

 いや、でもまさか。

 まさかね。



 そのまさかである。


「な……」


 声を出したのはお客様だけだったけど、絶句していたのは、顔を見合わせた三人とも。

 正装した私。正装したダンテ。おめかしした、フルクトラさん――セレラのお母さん。

 私は愛用の赤いマスクをつけていたけど、昼間にばっちり素顔をさらしているので、一秒で顔バレしていた。


「そん、な……」


 わずかに後ずさったフルクトラさんに、ダンテがさっと寄り添った。


「ようこそおいでくださいました、お客様。当館の主人も喜んでおります。さあ、お部屋へご案内しましょう。二階でございます」


 うやうやしく淑女の手を取り、ダンテは、赤じゅうたんを引いた階段を上がっていった。

 私は、速足で事務所に戻る。

 一度、男子はお茶を取りに事務所に戻って来るからだ。

 五分後、ダンテは手順通り、事務室に戻ってきた。


「び、びっくりした! 私声出そうだった。あの人フルクトラさんだよね!?」

「おれだって、胃が口から出るかと思ったわ! もう少しで『あ、どうもーどうでした今日はあの後?』とか言いそうだったわ!」


「えー、でもダンテはなんかクールだったじゃん!」

「振りだ振り! 見た目慌ててなければ慌てたことにはならねえからな! どんなトラブルもアクシデントも、平気な顔して心でパニック、安心安全のポーカーフェイスよ!」


「ああっ、意味分かんないけど意味分かる!」

「だろう! んー、でもどうするか。当然ちゃんと奉仕はするが、完全に知らんぷりっていうのもなあ」


 私は茶器を準備しながら、そうだね、とうなずいた。


「とにかく、まずは彼女が期待してきたことを、期待通りにしてあげて。なにか話ができるとしたら、その後だろうし……。フルクトラさんがなにも話したくなければ、その気持ちは尊重してあげて、ほかのお客様と同じように普通にお帰りいただくだけだよ」


 こういう時、うちの男子たちは信じられる。

 お客様の気持ちをないがしろになんてしないし、自分の仕事を見失うようなこともない。


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