第二章 ダンテと離婚希望の君1
次の日、お昼前になって、ようやく私はベッドから降りた。
室内着に着替えて(といっても、魔道士お決まりのローブ姿とあまり変わらない)、髪を手早く整える。
シャワーを浴びようかと思ったけど、この時間だと、キールがすでに朝食を作ってくれている可能性が高い。
私は、事務所にひょいと顔を出した。
やっぱり、中央のテーブルには、食事用に温野菜を乗せたワッフルとコーヒーが並べられている。
奥のキッチンには、青いエプロン姿のキールがいた。薄いブルーのワイシャツを着て、腕まくりした袖からは逞しい前腕が突き出ている。
キールは、私が起きてくる時間を当てる名人だった。以前、なんでそんなに私の起床ぴったりにご飯が作れるのかと訊いたことがあるけど、「なんとなくなんですよね」らしい。
「おはようございます、ルリエル」
「うん、おはよー。みんなは?」
「リシュ殿は今、顔を洗っています。じきに来るでしょう。今日は珍しく、ダンテもカルスもトリスタンも、同じくらいの時間に起床しました。にぎやかな朝になりそうですね」
道理で、テーブルには六人分のお皿やカップが並んでいる。
キールの言うとおり、みんなの置きだす時間が揃うというのは、ハルピュイアでは珍しい。たいてい、ダンテか私が一番遅く起きてくる。早起きするメンバーは、キールを筆頭に、トリスタンと、今は留守のもう一人。
朝ご飯はばらばらにとることが多いので、キールの時間が合わなければ、ほかのメンバーは簡単にパンくらいは焼く。
私が居合わせれば、魔法での火おこしを頼まれることが多い。というか頻繁にそうなる。主人使いの荒い男子たちだ。
私が今までに一番使っているのって、もしかしたら種火を起こす魔法かもしれないな。
「あー、昨夜もよく働いたから腹減った」
と事務所に入ってきたのは、ダンテ。
次いで、
「ダンテって、そんなこと言って夜食も食べてるでしょ。太るよ」
と低いトーンで言ってくるのが、カルス。直毛で、日に透かすと太陽色になる金髪のミディアムヘア。起き抜けでけだるくしているのに、私から見ても、ぞくっとする色気がある。
キールが青系ばかり着ているなら、カルスは白系を着ることが多く、この日もワンサイズ大きい白いシャツを羽織っていた。
カルスの体には無駄な肉がないけど、過度に痩せているということもなく、肌質がしっとりしていて色白なので、黙って立っていると女の子みたいだ。
それでも、小柄に見えて身長は百七十六センチくらいはある。さらに、意外に「仕事」は激しいらしくて、しかも疲れ知らず。そのギャップに、リピーターがたくさんついている。
「お、……おはようございます」
トリスタンも入ってきた。カルスのそれと髪質は似ているのに、明度が段違いの、黒い髪。肩まで伸ばしたまっすぐなおかっぱというのか、毛先はぱっつんと切られている。いつも通り、寝癖一つない。
前髪が目に入らないのか気になるのだけど、「眼鏡でガードしているので大丈夫です」と言っていた。
こちらは、全然光を反射しない、真っ黒い薄手のローブ姿。夜、顔を覆って目の前に立たれていたら、気づかないかもしれない。
ダンテは、部屋着の上からでも分かる、しなやかな筋肉に包まれた体を翻してキッチンに行き、キールが入れたコーヒーを運ぶのを手伝っていた。
全員が支度を始めると、瞬く間にテーブルの準備が整う。
そこへ、リシュがやってきた。
「うお、おれが最後か……居候なのに」
ちょうどコーヒーを運び終えたダンテが、
「そんなこといちいち気にするなよ。シャワー浴びてたんだろ?」
と言って椅子を一つ引いてやる。
素直にそこに座ったリシュは、窓から差し込む朝日を銀髪で受け止めて輝かせながら、周囲の面々を見回した。
「……なんだか、男娼館っていうより、カレッジかクラブ・メンバーみたいだな」
クラブ・メンバーというのは、日本で言うところの部活動に近いみたいだ。
ベルリ大陸の多くの国では義務教育と高等教育があって、日本の学校教育と似たところは多かったけど、相違点もたくさんあるので、適当な訳語が見つからないことも珍しくない。
「僕は嫌だなあ、クラブでこんな先輩。デリカシーなさそう」と、カルスがダンテを見て言う。
「はっはあ、そうか? お前生意気だから、おれの後輩なら鍛え直してやるけどな」
「そういうとこだよ、そういうとこ。……まあ、嫉妬してるっていうのもあるけどね。前、僕のお客様が、ダンテの体見て、うっとりしてたことあったから。ふん、どうせ僕にはあなたほどの腕力はありませんよ」
一方トリスタンは、エプロンを外したキールを見て、
「じ、自分めは……キールさんの後輩になら、なってみたいです……キールさんみたいに、なりたい……。ルリエルのことを支えて、仕事もちゃんとできて、ハルピュイアの外の人とも交渉したり、時にはちゃんと対決したりできて……」
それを聞いたキールが、トリスタンの分だけはハーブティを入れて、ことんとテーブルに置いてくる。
「それは光栄です、トリスタン。私のほうが歳は上ですし、ハルピュイアに入ってからの年数も少しだけ長いですから……もし君が嫌であれば改めますが、私は君をすでに後輩として遇していますよ。もっとも、造園については、私などとうに君の足元にも及びませんが」
トリスタンが赤面して、服の襟を持ち上げて顔を隠した。なんでだ。
「そ、そんな……自分めに、もったいないお言葉……。じ、自分めは、頑張ります。ここのお庭を、花と香草でいっぱいにして、誰かが元気がない時は、きれいな花といい香りのお茶で、励ますことができるように……」
リシュが、呆れたように「仲いいなあ……」と呟いた。
そうこうしているうちに、全員が席に着いた。
食事始めの挨拶をして、みんながカトラリーやパンを手にして食べ始める。
それから食事の終わりまで、テーブルには笑いが絶えなかった。たまにカルスがちょこちょこぼやいていたけど。
それでも、私はといえば。
昨日ウィキンシャから聞いた、悪魔の活発化が気になっていた。
■
「というわけなんですけど。アーシェさん、なにか聞いてたりします? こう、町の噂とか、冒険者からの情報とかで」
「うーん、悪魔の動きかあ。私のほうでは、特には。冒険者たちの動向も、今までとそんなに変わったところはないし……」
私はヴァルジの中央まで買い物に出た帰りに、アーシェさんのヒノキバリネウムに寄ってコーヒーを飲んでいた。
天気はよかったけれど、私はよっぽど暑い日でなければコーヒーは熱くして飲むのが好きなので、今年はまだアイスコーヒーにはお目見えしていない。もともと、アイスコーヒー自体がベルリ大陸では珍しいんだけど。
ここに来る冒険者たちは、さすがに「六つの悪魔」と直接的に対峙はしないものの、各国を渡り歩いている人も多いだけに情報源としてはかなり頼りになる。
そこに異変の気配がないというのなら――『霧の塔』で不穏な動きがあるというのが本当だとすると、まだまだ一般人には知らされるレベルの情報ではないってことだ。上級貴族たちと、それこそ王族くらいしか把握していないのかもしれない。
でも、郊外とはいえ、首都の近辺に魔獣が出るような事態になっているのだ。
もちろん昨夜の件についてはザンヴァルザンの騎士団には報告済みで、国の上層部にはそれなりの緊張が走り始めているはずだった。
まあ、おかげで薬術院のほうのトラブルが、あまり目立たなかったのはありがたいけれど。
「ああ、もっとなにか、確たる情報って手に入らないかなあ……。アーシェさん、昨日の午後とか王宮に呼ばれてたらしいじゃないですか。上級貴族たちのひそひそ話とか聞かなかったですか……」
「あれはただ税金の関係で説明会に行ってきただけだし、王宮前の広間までしか入ってない……っていうか聞けるわけないでしょ、そんなの。ま、落ち着いてどんと構えてなよ」
「ああ、こないだみたいに、ふっ飛ばしがいのある適当な悪者がぽろっと出て来ないかなあ。なんかすっごい欲求不満。耳から煙出そう」
「キャパが狭いにもほどがあるでしょ。落ち着いてどんと構えてなさい。いいから」
「二回言われた……」
コーヒーを飲み干して紙ナプキンで口を吹いていると、街角の一角に妙なものが見えた。
白いローブをまとった、中肉中背の女性――だと思う、多分――が、口元に手をやって、はらはらした様子で一方を見ている。ローブを頭からかぶっているところを見ると、私と同じ魔法使いかもしれない。魔導士か魔術師か、ほかのなにかなのかまでは分からないけれど。
その視線を追うと、一人の、大通りに立つ女子がいた。どうもその子を見ているらしい。まだ、若い……というより、幼い女の子だ。酒屋の前で、手元をもじもじとさせながら右往左往している。
一応、ヴァルジでは未成年飲酒は禁止されているものの、子供でもお酒を買うことはできる。親のお使いかな? でも、それにしては挙動がおかしい。
女の子は、とうとう頭を抱えてしまった。
遠目にも、泣き出しているように見える。
うーん。これはどうしたものか。声をかけたほうがいいのかな。なんにせよ、ほっておくと危なっかしい気がする。
などと考えながらローブの人物と女の子とを見比べていると、ローブの人物がふいとこちらを向いた。
ばっちりと目が合う。
すると、彼女(やっぱり女性だった)はぱっと頭の布を取った。
銀嶺そのもののような長い銀髪が、中からこぼれた。そしてエメラルドグリーンの瞳を輝かせ、私のほうへ走って来る。
「そこの赤いローブの方ぁ! もしやあなた様はぁ!」
「へっ!? あ、へ、はい!」




