序章1
実のところは、追いつめているのは、私たちのほうだった。
首都からは馬車でたっぷり三日分離れた、夜の山の中。
山なんて、私の生まれ育った日本でも珍しくないけど、この世界で生い茂る植物は、やっぱり私が慣れ親しんだものとは少し違う。葉も茎も幹も、少しずつ大きくて、厚ぼったい。
その茂みの中に身を潜めながら、私はたかぶる思いをどうにか落ち着かせていた。
「ルリエル。見えました」
すぐ隣から、キールの低い声が耳に届いた。
キーランド・ハースト・ウェルズリーは、二十二歳。この大陸の北方にある、チェルシーズ王国の元騎士団長――異例なほど若くしての――だった。今でも青系の、軍服のような銀色のラインが入った服をよく着る。
今はその服も、少し巻いた金髪も、十字架を模したロングソードも、黒いローブの中に隠されている。
この世界に来てから真っ赤になった、私の長い髪も、同じようにローブの中に押し込んである。もうすぐ、きっと、その窮屈さから開放することになるわけだけど。
道の向こうから、馬の蹄と、馬車の車輪の音がけたたましく響き出した。
それでようやく、私にも彼らの姿が見える。
ここまでの山道に仕掛けた、いくつかの罠と陽動。それによって、この山中に分かれて潜伏していたあの野盗たちは、一隊に集中してここへくるはずだった。
となれば。
キールが、月明かりを避けてロングソードを抜いた。
私もローブを脱ぎ捨て、山道の中央にとことこと歩み出る。
「ルリエル!? 危険です。お下がりを。姿を隠したまま奇襲したほうが……」
「ようやく――」
「え?」
さらに迫る、ならず者たちの騒音の中で。
「――ようやく、あいつらぶっ飛ばせるのね! 二時間も待たせて、さっさときなさいよこの臆病者どもッ!」
私は、ぱん、と肩にかかっていた髪を両手の甲で跳ね上げた。
赤いロングヘアが、炎のように空中に踊る。それから、反社会的な連中に顔が知られては面倒なので、赤いマスクをつけた。
「あの、ルリエル。落ち着いて。殺してはいけませんよ、彼奴らを捉えて首都の騎士団に引き渡すんですから……」
「この世界の蚊って、日本のより五倍くらい大きいんだから! ああ気色悪かった! この恨みつらみ、全部炎に変えて叩きつけてやるッ!」
「聞こえてますか!?」とキールも茂みから出てきた。背を向けて、私の前に立ちふさがる。
すぐ向こうには、馬に乗ったのが十人ほどと、馬車が四台、私たちのいるほうへ殺到しようとしていた。
「なんだあ!? 人か!?」
「二人いるなあ!? ちょうどいいや、さらっちまうか!」
「いいな、とっ捕まえて馬車に放り込め!」
好き勝手に騒いでいる声をよそに、私は魔力を手のひらに流し込み、周囲の空中から魔素を集め始める。
「キール、そこどいてて。守ってくれなくても大丈夫だから」
「私が心配しているのは、どちらかといえばルリエルの身ではなく、魔法の出力です」とキールが背中で答える。
「……その言い方だと、私を野盗からかばってるんじゃなくて、野盗を私からかばってるように聞こえるんだけど」
「いいですね、くれぐれも殺さないように――」
野盗の先頭の馬が、私たちの十メートルほど手前まで迫ってきた。
私は、右手の魔力で魔素を有意に編成し、同時に炎の属性を加えて錬成を施した。
馬の足元辺りに手のひらを向け、起こるべき現象を脳裡に思い描く。
そして音声を上げれば、
「爆ぜろ、――」
魔法が現出する!
「――爆炎よッ!」
どごおん、と地面が炎を上げて弾けた。
一応直撃はさせなかったはずだけど、馬も馬車もみんな、空中に弾き飛ばされ、ばらばらと落下してくる。
馬たちはそれなりに着地したものの、人相の悪い男たちは受け身も取れずに、次々と山道に叩きつけられていった。
「上手です、ルリエル。それでは全員捕ば……」
キールが、ローブから縄みたいなものを取り出したけれど。
私は構わずに叫んだ。
「オーケー! 追撃ね!」
キールがぶんぶんとかぶりを振った。
「いえ! もう充分です! 捕縛を!」
「舞え、火群よッ!」
私の周囲に、無数の、卵大の火球が現れた。
それらは、十数個ずつにまとまって、地面に突っ伏している野盗たちへ降り注ぐ。
散弾銃のような音(聞いたことないけど)が響き、野盗たちの「ぎゃあ!」「ぐえ!」「もごお!」という悲鳴がその後を追う。
今度こそ、賊どもは全員伸びてしまったようだった。
キールが手早く、ロープで男たちの両腕を後ろ手に縛っていく。
「まったく、無用の攻撃をして。悪い癖ですよ」
「散弾系はそうそう致命傷にはならないってば。中途半端なダメージじゃ、こっちが危ないじゃない。戦闘のセオリーでしょ。多分だけど」
「相当私情が混じっていたように見えましたが……」
馬たちは無事だったようで、これもキールがくつわを取って整列させていった。
「人も馬も、ひどい火傷はしていないようですね」
「魔法の火だもん。あくまで疑似的な火炎なんだから、用が済んだら消えるし、普通は火事にもならないわよ。ちょっとは焦げたりするけど。特に、馬は傷つけないようにしたしね」