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part.6


 6


 現場保存もなにも、すでに柄杓は濡れてしまった。急ぐ必要もなくなった。


 僕たちは拝殿で参拝を済ませた後、休憩所で水分をとることにした。境内の隅にある、こじんまりとした木造の建物だ。休日に訪れた時など、御衣子さんにはミステリの講義をしてもらったりしている。堀水先生が勧めてくれる本はどれも面白い。この年にして新たな趣味ができたのは、喜ばしいことだ。


 設置されている自販機で買った麦茶をぐびりと飲む。よく冷えていて、身体に染み渡っていくのが感じられた。


「お話は分かりました」


 僕は、乾いていた柄杓のこと、そしてトイレで聞いた不可思議な声のことを、御衣子さんに説明した。


「その学生の方が手水をしていたはずなのに、柄杓が乾いていた、と」


 僕はある考えがあって、彼の話も御衣子さんに伝えていた。虫の採集が上手くいかず、神頼みに来た青年のことを。


「それにしても、臼庭先生ですか。面白い方がいらっしゃるんですね、何村さんの大学には」


「いやあ、彼女くらいのものですよ。学生の間では、H大学七変人しちへんじんなんて称号があるみたいですけどね」


 これも安部君からの情報だ。さすがに僕の手間、お行儀がよくないと感じたのか、詳しくは教えてくれなかったけど。


 まあ、僕はちょっと笑ってしまった。あんな強烈なキャラクターの人間があと6人もいるなんて、うちの大学も捨てたものじゃないね。ははは。


「当社に御利益を求めていらっしゃってくださったのなら、ありがたいお話です。しかし、その方は、今日は境内にはお入りになっていませんよ」


「そうですか」


「はい。午後からは、何村さんが一番乗りでしたから」


 その言葉を聞いて、僕はますます確信を強めた。


「御衣子さん、実は『フーダニット』は、もう心当たりがあるんです。犯人はあの学生ではないでしょうか」


 僕が最近教えてもらったその言葉――誰によって、犯行がなされたか――を口にすると、御衣子さんは少し嬉しそうに口元を綻ばせた。


「理由をお聞かせくださいますか」


「トイレでの謎の言葉ですが、近付いてきたのは彼だったんだと思います。トイレに向かう時、参道を歩いてくる人はいませんでした。距離的にも彼しか考えられません」


「なるほど」


 御衣子さんは静かに頷いてくれる。ちょっと自信が出てきて、僕は勢いづいた。


「次に柄杓が乾いていた理由ですが、彼はもう神社にお参りする理由がなくなったんじゃないでしょうか」


「だから手水をしなかった、と?」


「はい。そこで引き返したんです。彼は目的を達成した。探していた虫を見つけたんですよ」


 それは、柄杓に止まっていた、トンボのような虫ではないか。あの奇妙な外見は、変人教授が探し求めるにふさわしいではないか。


 青年は神頼みするまでもなく、目標を見つけた。だからもう境内には入らなかったのだ。個人的には、お礼くらいしたらいいのにと思うけれど。


「分かりました。何村さんもすっかり、観察眼が身についてきたのではないですか」


「いやあ、それほどでもありませんよ」


 僕は照れて頭をかいた。


「ですが、今のお考えには矛盾が生じます」


「え?」


「学生さんは、なぜ虫を捕まえなかったのでしょう?」


「えっと……あ」


 そうだ。僕が手水舎に来た時、まだ虫はいたんじゃないか!


「ほ、本当は捕まえることは目的じゃなかった、というのはどうでしょう。教授には写真を頼まれていただけだったとか」


「でしたら、大荷物の理由が説明できません」


 その通りだ。荷物台に置いていた、リュックサック。あの中には、以前、大学構内で見かけた際に持っていた、土入りケースでも入っていたのだろう。カメラなら、首から提げておくだろうし。


 さっきまでの自信が、手離した風船のようにしぼんでいく。


「あの虫は、目当てじゃなかったんでしょうか……」


「それも気になる点ですが、もっと肝心な疑問が残っています」


 御衣子さんは小首を傾げる。


「お手洗いでの一件。『犯人』が例の学生さんだったとして、その方はどうやって声を出したのでしょう?」


 声を出す? そんなの、ただそれっぽく言えば――。


「あ。そうか。彼はどうやら低い声らしいんだった……」


 安部君の物まねを思い出す。電話から漏れ聞こえてきた声も低かった。直接聞いたわけじゃないけれど、それでも男性が、あの作り物めいた高い声を出すのは難しいように思えた。


「とはいえ、方法なら考えられないことはありません。録音したものを再生しただけかもしれませんし、声を変える特技をお持ちなのかも。


 ですが、結局の所、理由が分からないのです」


 そうなのだ。十中八九、彼が関係しているとしても、その動機が不明だ。ミステリ風に言えば、ファイダニット。犯人は、なぜそうしたか。


「何村さん。お気を悪くされたら、申し訳ないのですが」


 その言葉と表情だけで、彼女が何を訊こうとしているのかは分かった。


「いやあ、それが全然、心当たりが無くて。何か悪いことしましたかねえ」


 御衣子さんは、あの学生が僕を脅かそうとした、という可能性も考えているのだ。確かに僕はとても怖い思いをした。しかし、そこまでされるようなことはしていないはずだ。


「悪戯だったとしても、言葉の意味が……。極楽。地獄。ぼ、り。堀?」


 御衣子さんの声はどんどん小さくなっていく。すさまじい勢いで脳細胞を働かせているのだろう。


「見込みがあるわね……」


 消え入りそうな声で独りごちるのを、僕は黙って聞いていた。






出ましたね、例のセリフ。

問題編はもう1部分だけ続きます。

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