part.3
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黄さんはその後、パーテーションの向こう側で事務作業を始めた。僕と安部君は、もうしばらくゆっくりすることにした。コーヒーを身体に染み込ませながらの、なんてことのない会話。話題は、さっきの電話の内容についてだった。
安部君はまず、こう切り出した。
「臼庭教授のことは、ご存じですよね」
「ああ、もちろん」
昆虫の研究という風変わりな分野で、この大学に籍を置いている人だ。ちょっとした有名人で、奇天烈な噂には事欠かない。実験室はもちろん、教授室まで虫カゴだらけにしているだの、飼育していたクモを大量発生させて顰蹙を買っただの……。
僕は彼女の、特徴的な顔を思い浮かべる。やや角張った造形ではあるが、確実に美人だろうと言える目鼻立ちに、丸く分厚い鼈甲縁の眼鏡を引っかけている。そして一番は、髪を青く染めている。南米の蝶がモチーフらしい。
とにかく、一目見れば忘れそうもない容貌の――と言っては失礼が過ぎるか――才媛なのだ。
さて、安部君のさっきの電話相手は、この臼庭教授の元で短期バイトに勤しんでいるという。研究室によっては、アシスタントという名目で、よく学生を雇うのだ。学生としても、興味のある教室で顔を売れるのでメリットがあるというわけだ。安部君の友人は、ただ単に先立つものが必要だっただけらしいけど。
「で、彼はここ最近、虫を探しているんです」
「はあ。虫」
短期のバイトの正体は、虫捕りだという。
「はい。名前は、えっと、思い出せませんが……彼も最初のうちは、簡単に見つかると思っていたようで。それが間違いだった」
安部君の話を聞いていると、やたらと懐かしい気持ちになった。この辺りにも、まだ生物が多かった。
確か高校の生物の授業で、蛙(虫じゃないのに虫偏なのはなぜだろう?)の解剖があった時など、各自、田んぼで捕ってこいと命じられた記憶がある。女子学生はどうしていたんだろうか。みんながみんな臼庭女史のようにはいくまい。
「最近は難しいだろうねえ。開発が進んだし」
「そうみたいですね。悲壮な声で、『もう神頼みするしかないんだ』なんて言ってきましたから」
物まねなのか、友人の発言の部分だけバリトンボイスになった。
そういえば、数日前。土の入った透明なケースを抱えて、大学の構内をふらついている学生を見かけた。そうか、彼が。そういう目で改めて思い返すと、なんだか不憫に思えてくる。ふらふらと彷徨っている姿は、まるで陽炎のようだった。
「早く見つけられるといいねえ。そのなんとかって虫」
「ええ……名前、何だったかなあ……ここまで出かかっているんですけど」
喉の辺りを悩ましく押さえる安部君をよそに、僕は違うことを考えていた。さっき彼が言った「神頼み」という単語。そこからの連想で、僕は彼女のことを思い浮かべた。この辺りの喧噪を離れた、静かな神社が脳裏に浮かぶ。
今日は大した仕事もないし、後で顔を出すことにしよう。僕はコーヒーの残りを、くいと飲み干した。
ブルーモルフォで検索、検索ぅ♪