その5 安全靴
俺は妹のマリーを連れて鍛冶屋のペドロの家に向かっていた。
マリーは昨日のように手に灰色猫ハルマーを抱えている。
昨日も思った事だがハルマーは苦しくないんだろうか?
相変わらずマリーが歩く度に長く伸びた体をブラブラと揺らしている。
「魔導研究所にも似たような部署はあったけど、村の鍛冶屋を見るのは初めてだね。うん。楽しみだよ。」
俺達の後ろには黒髪をおかっぱ頭にした美少女、レオフィーナが続いている。
相変わらず興味深そうに辺りをキョロキョロと見回しているが、トレド村は何の面白みも無い普通の村だと思うんだが。
何が珍しいのかあちこちキョロキョロと見つめ、非常に機嫌が良さそうだ。
「今日は部屋で本を読むんじゃなかったのか?」
「おや、覚えていたのかね。まあそれも魅力的だが、今の僕の興味は君達の方に注がれているのでね。ああ、僕の事は気にしないでくれたまえ。勝手に好奇心を満たさせてもらうから。」
俺は小さくため息をついた。
何を聞いてもレオフィーナはさっきからこんな感じなのだ。
そんなレオフィーナが気になるのか、マリーが落ち着きなく何度も背後を振り返る。
どうもマリーはレオフィーナを警戒している様子だ。
どうしてこうなったんだか。
俺はさっきの出来事を思い返した。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふぅむ。やはりその声、一致するね。君、ちょっと僕に頼まれてくれないかね。」
「まあ・・・少しくらいならいいけど。何か必要な物でもあるのか?」
客室の掃除が終わり、部屋から引き上げようとした俺にレオフィーナが声をかけてきた。
どうも俺に何かを頼みたいらしい。
まあ、これ自体はさほど珍しい事ではない。
宿屋をやっていると駄賃を貰ってお客の代わりに買い出しに行く事がたまにあるのだ。
もちろん俺を信用せずに自分で買いに行くお客もいるが、そういうヤツは大抵村人にぼったくられる。
そう、実は意外と村人達はしたたかなんだよ。
俺達だって伊達に長年街道沿いの村で暮らしているわけじゃない。
どんな旅人からどの程度むしれるかを見極める事などお手の物なのだ。
そういうわけで、結局、駄賃込みでも俺に任せた方が安くつくのだ。
身内である俺からぼるヤツはいないからな。
「違う違う。そういう用事じゃないんだ。え~と、少しだけ待っていていてくれたまえ。」
レオフィーナは机に向かうと荷物からインク壺と紙の束を取り出した。
村では見たこともない白い綺麗な紙に俺は目を見張る。
「確か・・・そう、空腹・・・いや、飢えた・・・それとええと何だったか、そう、ひもじさ。それから・・・」
何かを思い出しながら書き綴るレオフィーナ。
訝し気に彼女を見つめる俺とマリー。
「ふむ。こんなところかな。さて、君は文字が読めるかね? 読めないようなら、少し長い文章を覚えてもらわなけねばならなくなるのだが。」
トレド村のほとんどの人間は読み書きができないが、俺とマリーは簡単な文字の読み書きくらいなら出来る。
さっきも言ったお使いを頼まれる時には必ずメモを取るからだ。
実はこれもマリーの発案なのだ。
「後で、言った言わないで揉めないためにも、お客さんの前でメモを取って読み上げましょう!」
このマリーのひと声で、俺達は空き時間に必死に文字を覚えるはめになったのだ。
意外なことに、日頃あれだけ頭のいいマリーが、こと文字を覚える事に関しては俺よりもずっと苦労していた。
「日本にいた頃は英語だって満足に覚えられなかったのに、異世界文字を覚えられるわけないじゃない!」
などと不貞腐れていたが、相変わらず何を言っているのか分からない。
しかし、苦労した甲斐あって、俺達兄妹は日常会話レベルの読み書き程度は出来るようになったのだ。
俺はレオフィーナから渡された紙を手にする。
「・・・これは何て読むんだ?」
「ん? ”象牙の塔”だね。」
「じゃあこれは?」
「”ガラス越し”だ。」
レオフィーナの書いた文字は見慣れない単語が多く、読むのに苦労したが、彼女に教えてもらいながら何とか最後まで通して読む事が出来た。
「さて、君に頼みたい事だが、この紙に書かれた内容を私に対して声に出して読んで欲しいんだ。出来れば感情を込めて。上から目線で、少し揶揄するように、それでいて自信に満ち溢れた態度で相手に言い聞かせるように――」
「注文が多すぎだ! 何だよそれは?!」
「う~ん。ちょっと悪いヤツみたいな感じだよ。分からないかな~。」
分かってたまるか!
仕方なく俺は書かれた紙を手にレオフィーナの方に向き直った。
ちょっと悪いヤツね・・・。やっぱり分からん。普通に読むか。
「読むぞ。え~、”象牙の塔”から見える世界はガラス越しの世界だ。ここからは本当の世界は見えない――」
目を閉じて俺の言葉に耳を澄ませるレオフィーナ。
コイツまつ毛が長いな。
「――殴られる痛みは殴られなければ分からない。飢えのひもじさは飢えてみないと分からない――」
俺の言葉が進むにつれ、隣で聞いているマリーが驚愕に目を大きく見開く。
「これって”気に・アイ”の中でクレトが言ったセリフ・・・。」
俺が? 何の事だ? おっと、それより続きを読まなきゃ。
「――知ることと分かることはまるで別だ。・・・これでいいか?」
最後まで読み終わった俺は紙から目を上げた。
真剣な表情で黙り込むレオフィーナ。
やがて彼女は目を開くとじっと俺を見つめた。
こうして見るとやっぱりレオフィーナは美人だ。
俺は頬が火照るの感じて思わず焦りを覚えた。
「違うんだな~。今度はもう少し囁くように言ってみよう。それと文章を切りすぎ。もっと自然に。会話の流れの言葉であることを意識して。」
「ぐっ・・・まだやらせるのかよ。」
結局俺は、レオフィーナのダメ出しに次ぐダメ出しを受け、この後何十回とこの文章を読まされるハメになった。
内心うんざりしながらも懸命にレオフィーナの要求に応えようとしていた俺は、俺の隣でマリーが青白い顔をして体をこわばらせていることに気が付かなかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
ペドロの家は村の外れにある。
村の中心に無いのは、言うまでも無く昼間はガンガンと鉄を叩く音がうるさいからだ。
あいつの家は鍛冶屋だからな。
とはいえこの村にそんなに鍛冶屋の仕事があるわけもなく、俺が訪ねて行ってもペドロもおじさんもどっちかと言えば日頃は裏の畑を耕していることの方が多かった。
「おーい、ペドロ! クレトだ! 相談を受けていた靴を見に来たぞ?!」
今日は珍しく鍛冶屋の仕事をしていたようだ。
俺はガンガンとうるさい室内の音に負けじと大声でペドロを呼んだ。
俺の声にペドロが気が付いたようだ。開きっぱなしの入り口からひょっこり出て来た。
「おおクレト。丁度良かった。オヤジー! クレトが来たぞー!」
奥で鉄を叩いていた音がピタリと止むと、赤ら顔の男――ペドロのおじさんが顔を出した。
「おおクレト。丁度良かった。」
「それさっき俺が言った。」
余計な一言を言ったペドロがおじさんにガツンと殴られる。
あまりの勢いに、俺の隣のレオフィーナが息をのんだ。
痛えな! と怒鳴るだけでそれきりのペドロ。
そのやり取りに「ええーっ」と驚く(呆れる?)レオフィーナ。
まあペドロは日頃から殴られ慣れているからな。
ペドロが馬鹿なのは、子供の頃から頭を殴られ過ぎているせいじゃないかと俺は疑っている。
「作ってみたはいいが、どうもワシにはピンと来ねえんだ。マリーちゃんの意見も聞きたくてな。」
そう言うとおじさんは家の中に入って行った。
「マリー君の意見とは?」
「ああ、今回の試作品はマリーのアイデアなんだよ。」
レオフィーナの疑問に何故かペドロが胸を張って答えた。
「以前、ペドロから鍛冶屋の仕事の手を広げたいと相談を受けたんだ。」
「そうそう。今でも仕事が無いわけじゃないが、いずれオヤジが引退してここが俺の鍛冶屋になった暁には、何か新しい商品をおっ立てようと思ってな。」
「まだお前に譲ると決めたわけじゃないわ!」
ガツンと頭を殴られるペドロ。
今回は不意打ちだったせいかかなり効いたようだ。
ペドロは頭を抱えてうずくまった。
そんなペドロ親子を見て、こわばった笑顔になるレオフィーナ。
「う・・・う~ん。職人の世界? だね。うん。」
「いや、別に無理に理解しようとしなくてもいいんじゃないか?」
おじさんは俺達の前に全身鉄で出来た何かを置いた。
・・・ていうか何だコレ?
「これは?」「鉄の長靴?」「ふうむ。鎧の靴の部分というわけでも無さそうだね。」
謎の存在に首をひねる俺達。
復活したペドロが事も無げに言い放った。
「何って、マリーの言ってた”安全靴”だよ。」
「ええええっ! コレのどこが?!」
全然マリーの話と違うじゃないか!
「ケガをしないように履く靴なんだろう? だったら全部鉄にした方がより安全じゃないか。」
理屈は分かる。理屈は分かるが・・・
「・・・そもそもコレって履けるのか?」
「ああ、俺が手を貸してやるよ。」
俺はペドロに手伝ってもらいながら苦労して鉄の靴――安全靴?を履いた。
「いやあ、この靴を履けるようにするための仕組み作りには苦労したぜ。なにせ靴の形をした鉄の塊だからな。」
「苦労のしかたが斜め上過ぎだ! 普通その時点で気付くだろうが! そもそも一人で履けない靴なんて売り物になるわけねえだろう!」
何故か満更でもない顔をするペドロにマリーは呆れて声も出ない。
レオフィーナは・・・何だか知らないが嬉しそうだな。
研究者というのはこの手のゲテモノが好物なんだろうか?
「そこはこれから煮詰めていくとして、で、どうよ?」
俺はその場でガツンガツンと足を踏み鳴らす。
「重い。蒸れる。つま先も足首も動かないから辛い。疲れる。」
「文句ばっか言うなよ!」
「文句しか無えよ!」
俺は苦労して座り込むと――知らなかったが足首が動かないのってこんなに不便なんだな――靴のつま先部分を叩いた。
「ココだよココ! マリーはココが鉄ならいいって言ったよな?! 何がどうなれば全部鉄の靴が出来上がるんだよ!」
ペドロの相談を受けたマリーが考え出したのがこの”安全靴”だ。
作業をしていて足にケガをするのは、やはり重い物を足に落とした時だろう。
俺も実際にそういったケガをした人間を何人か見ている。
だから靴のつま先を鉄で覆うというマリーのアイデアは俺もイケると思ったのだ。
「それが何をどうすればこんなシロモノになるんだ?」
「さっきも言ったけど、全部覆った方がより効果的だと思ったんだ。それにつま先だけだと鍛冶屋の商品って感じがしないだろ?」
「・・・言いたいことは分かるが、いくらなんでも不便すぎだ。これじゃ誰も買わないぞ。大体売値はいくらにするつもりなんだ?」
ペドロの口から出た金額はウチで使う大型の鍋4つ分の値段だった。
「材料費と加工賃を考えるとこれがギリギリなんだが・・・」
「高すぎるわ! 貴族にでも売るつもりか!」
以前から馬鹿だ馬鹿だと思っていたが、馬鹿も突き抜けるといっそ清々しいな。
ふとマリーを見ると完全に目から光が無くなっていた。
凄いなペドロは。ここまでマリーに呆れられるとは。
マリーはもうペドロの事を自分には理解できない人外の生物として見ているみたいだ。
逆にレオフィーナは今も興味深そうに俺の履いた靴を弄り回している。
「ふうむ。なるほど、この仕組みは良く考えられているね。アイデア自体も面白いけどそれを実用レベルに落とし込んでいる技量がまた素晴らしい。いやいや、僕は村の鍛冶屋という職業を見くびっていたよ。うん。職人の腕というものは実に大したものだ。」
美人に褒められて鼻の下を伸ばすペドロ。その緩んだ顔が無性に腹立たしい。
「いいから靴を脱ぐのを手伝えよ。一人じゃ脱げないんだよ。」
「ああ、ならば僕が手伝おう。なに、仕組みはじっくり観察させてもらった。ここを押さえればいいんだね。」
俺はレオフィーナに手伝ってもらって、ようやく忌まわしい鉄の靴の拘束を解いた。
ホッと一息つく俺にペドロが嬉しそうに尋ねた。
「で、どこを直せばいいかな?」
「全部に決まってるだろうが!!」
これにはレオフィーナも同感だったのか、何も言わずに苦笑いを浮かべただけだった。
次回「風の剣士カル」