その3 雑貨屋の娘ベアトリス
俺達が村に戻った時にはまだ日が十分残っていた。
「思ったより早く戻れたな。」
いつもなら日が傾くまで川で水遊びをしたり、馬鹿話で盛り上がったりするのだが、今日はレオがいるので早めに村に戻ることにしたのだ。
「じゃあな。」「ああ。」「またね。」「バイバイ。」
俺達は村の入り口で解散すると、みんなで手分けして川で捕れた魚のお裾分けして回ることにした。
「レオはどうする? 先にウチに戻ってるか?」
「そうだね。どうしようか・・・」
レオはウチの宿の客だ。何故か俺達の魚捕りに付いて来たが、本来は村とは関係のない旅行者だ。
俺達がご近所を回るのに付いて来てもつまらないだけだろう。
レオはマリーの方をチラリと見た。
何故かマリーはレオが女と知ってからはずっと彼女を警戒している。
今も俺の後ろに隠れてジッとレオの様子を伺っていた。
レオはそんなマリーの態度に苦笑を浮かべた。
「そうだね。先に宿に向かわせてもらおうかな。今日は大変貴重な経験をさせてもらったよ。どうもありがとう。」
軍の”王国魔導研究所”という施設に入ってから、レオは今まで一歩も施設の外に出た事が無かったのだそうだ。
最初にレオからその話を聞いた時、「そんな事があり得るのか?」と疑った俺達だったが、考えてみれば俺達だって生まれてこの方、トレド村から出て他の村や町に行った事なんて無いのだ。
”王国魔導研究所”が十分な規模の施設なら、レオがずっとそこから出た事が無くても何の不思議もないのかもしれない。
レオと別れた俺達は近所の家に魚をお裾分けして回った。
「最後はベアトリスの所だな。」
「・・・。」
俺がベアトリスの名前を出した途端にマリーの機嫌が悪くなった。
ベアトリスは雑貨屋の娘で、彼女の家と俺達の家とは昔から家族ぐるみで付き合いがある。
この一年ほどベアトリスが俺と付き合うようになってから、マリーはベアトリスの名前を聞くだけで不機嫌を隠さないようになっていた。
今もブツブツと「何よベアトリスって。連載の途中で急に出てくる昔の女キャラ? 勝手にクレトお兄ちゃんを中古物件にしないで欲しいんだけど。」などと呟いている。
マリーに抱えられた灰色猫ハルマーが「ニャーンニャーンニャー。(宿屋の跡取り息子でイケメンを村の目端の利く娘が放っておくはずないニャー。)」と慰めている・・・のか?
そんなハルマーにマリーは「異世界ファンタジーに中途半端なリアリティーなんぞはいらんわあ!」などと怒鳴っている。
意味が分からん。
「ほら、マリー。ハルマーを虐めてないで行くぞ。」
俺はマリーの手を引くとベアトリスの雑貨屋に向かった。
「あら、クレトとマリーじゃない。いらっしゃい。」
ベアトリスは店番をしていた。
最近の彼女はこうして店番を任されている事が多い気がする。
ウチの宿屋では未だに掃除とお使いしか任されていない俺は、そんな彼女に劣等感を刺激されて少し悔しくなった。
「ペドロ達と川に魚を捕りに行ってたんだよ。ほら、お裾分け。」
「まあ、ありがとう。ルース! これ台所まで運んでおいて!」
店の奥からベアトリスの妹、ルースが出てくると俺から魚の入った桶を受け取った。
ベアトリスはブラウンの色の髪の物おじしない愛想の良い女の子だ。
ルースはその逆に引っ込み思案な大人しい女の子だ。
ルースの年齢はマリーの二つ下の10歳だが、俺は落ち着きのないマリーよりよっぽど精神的には年上だと思っている。
「俺は少しベアトリスと話してるから、マリーはルースと遊んでいるといい。」
「そうね。ルース。マリーお姉ちゃんに遊んでもらいなさい。」
マリーが「嘘だろう?!」という顔で俺を見る。
いや、だから何でそんな目で見るんだ? 今から棄てられる犬みたいな目で俺を見ることはないだろう。
俺はマリーとルースを家の奥に追いやると、ベアトリスの店番の邪魔をしないように店の隅に立った。
「そんなに気を使わなくても、お客さんがいない時くらい自由にしていいのに。」
「いや、俺が邪魔して客が入り辛かったらダメだろう。」
ベアトリスは店の隅に立つ俺を見てクスクスと笑う。
「最近はいつ来ても店番をやっているんだな。おじさんはどうしてるんだ?」
「お母さんと叔母さんのところの畑を手伝いに行ってるわ。叔母さん最近腰を悪くしたせいで畑に出られなくて困ってたから。」
ふうん。と、俺が相槌を打つと、ベアトリスは少しムッとした表情になる。
何だ? 今の会話のどこに彼女の機嫌を損ねる要素があったんだ?
「あのね。私が店番をしてるのは叔母さんのためじゃないのよ? 分かってる?」
ポカンとする俺に、「やっぱり分かってない」とため息をつくベアトリス。
「いつ私がクレトの所に行ってもいいように、店番をしてお金を扱う練習をしているんじゃない。」
俺はベアトリスの言葉に胸を突かれた思いがした。
俺が家で店の勘定を任されないのは、俺が計算が出来ないからではなく、お客が俺の計算――俺の渡すお釣りを信用出来ないからだ。
今、ベアトリスは店を任される事で、村の人からの信用を得ようとしている。
そしてそれは、いずれ俺の所に彼女が来た時に、俺の力になるためだというのだ。
俺は、出遅れた、などとつまらない劣等感を抱いていた小さな自分が無性に恥ずかしくなった。
「・・・悪い。気が付かなくて。」
「まあ仕方が無いわよね。クレトだし。」
それだと「俺=鈍いヤツ」って事になるんじゃないか? ・・・実際に彼女の想いに気が付かなかった俺には返す言葉も無いが。
「それで店番の方はどうだい?」
「う~ん。ボチボチ? 大分慣れたけど、今でも計算違いかと思ってヒヤリとする事とかあるし。」
基本的に旅人を相手にするウチと違って、ベアトリスの家の雑貨屋は村の人間もよく買いに来る。
もしお釣りを間違えた事が後で分かったら、あっという間に村での評判が悪くなってしまうだろう。
こういう所は横のつながりの強い村社会の悪癖でもある。
「ねえ、マリーちゃん。お姉ちゃん達の邪魔しちゃダメだよ。お部屋の方で遊んでよう。ねっ?」
「ちょっと黙っててルース。クソっ、ふざけんなあのビッチ。寝言は寝て言えっての。ウチに来る? 原作にいないオリキャラのくせにふざけんな。私は絶対に認めないから。断固拒否るから。」
何だろう、店の奥からキョリキョリという歯ぎしりの音と共に、マリー達の囁き声が聞こえてくるんだが。
ベアトリスにも聞こえているみたいで、いつものように愛想よく笑ってはいるが口の端が微妙にヒクついている。
「あ・・・あ~、俺そろそろ家に帰るわ。」
「そ・・・そうね。今度はもっと時間のある時に二人でゆっくりと話しましょう。」
二人での部分をやけに強調するベアトリス。
言外にマリーを連れてくるなと言っているのか? ・・・言っているんだろうな。
しかし、マリーを置いて一人で外に出るのは至難の業なんだが。
こうして俺達はお裾分けを済ませて家に戻ったのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
僕は夢を見ている。
いつもの夢だ。
夢の中の僕はまだ王国魔導研究所にいる。
僕の前に立っているのは――誰だろう。やはりいつものようにぼんやりとしていて良く分からない。
旅装の若い男性という事だけは分かる。
夢の中の僕は彼の事を良く知っているみたいだ。
彼を見るだけで胸が痛いほど締め付けられる。
「”象牙の塔”から見える世界はガラス越しの世界だ。ここからは本当の世界は見えない。殴られる痛みは殴られなければ分からない。飢えのひもじさは飢えてみないと分からない。知ることと分かることはまるで別だ。」
若い男は身を乗り出すと僕をじっと見つめた。
彼の息遣いを感じ、僕の胸の鼓動が高まる。
いくら男女間の睦言に疎い僕でもここまでくれば分かってしまう。
夢の中の僕は夢の中の”彼”に恋をしている。
”彼”は僕の手を取るとその甲にそっと口付けをした。
その瞬間、僕は息が詰まり体が固くなる。
大丈夫だろうか? 変な声が出なかっただろうか? ”彼”に呆れられたりしなかっただろうか?
”彼”は僕の手から唇を離すと耳元で囁いた。
「俺と一緒に来い。外の世界を見せてやる。」
僕はフワフワとした気持ちで、恥ずかしさに真っ赤になりながらも辛うじて小さく頷いた。
”彼”は意地悪そうな笑みを浮かべる。
やがて”彼”の顔が僕の目の前一杯に近付くと、その唇が吸い寄せられるように僕の震える唇に――
◇◇◇◇◇◇◇◇
「やれやれ、また例の夢か・・・僕は欲求不満なのかね。」
夢から醒めた僕はほとほと自分に呆れはてた。もうため息も出ないほどだ。
僕がこの夢を見始めるようになったのは2~3ヶ月ほど前からだろうか。
この夢が原因で、ずっと研究所で魔法の研究に明け暮れていた僕が、こうやって研究所を飛び出して旅に出ることになったのだ。
あまりに何度も同じ夢を繰り返し見るため、僕は夢の中の”彼”は僕の深層心理に生まれた不安――研究所の実験だけでは行き詰まりを感じ始めている――が生み出したある種のシンボルなのではないかと推測した。
顔も分からない”彼”に僕が魅せられているのも、”彼”の言葉――すなわち研究所の外に出ることに、僕が無意識に強い憧れを持っているから、と考えれば十分に説明が付く。
”彼”が”彼女”でないのも同じ理由だろう。引きこもる僕に対しての外向きの”彼”。
要は自分に無いモノを求める心理が、異性である”彼”を生んだと考えることが出来るのだ。
この推測は僕には十分に説得力があった。
だから僕は自分の直感を信じることにした。
僕は上司を説得すると一年間の遊学許可をもらって研究所を飛び出した。
本当は研究所を辞めるくらいの勢いだったんだが、上司に留意されて王都に遊学するという形で許可を貰ったのだ。
実際に旅で得た様々な経験は僕の価値観を大きく変化させた。
そのこと自体は得難い経験であったし、うれしい誤算でもあった。
しかし、旅に出ても僕の夢は収まるどころか、むしろ日に日に強く鮮明になっていったのだ。
もし、この夢が僕の深層心理が作り出した欲求が原因だったのならば、旅に出て様々な経験を得た事で僕の心は満足したはずじゃないんだろうか?
結局、夢の正体は分からないまま。
そして今ではこうして毎晩のように”彼”の夢を見るようになっていた。
清潔で寝心地の良いベッドに横たわってぼんやりと夢の余韻に浸っていると、部屋のドアがノックされた。
そして聞こえる男性の声。
「レオ、起きているか? 朝食の用意ができているぞ。食べるなら食堂まで下りて来てくれ」
この宿屋の息子、クレトの声だ。ベージュ色の髪をした少しワイルドなハンサムな少年だ。
確かにクレトの声に間違いはない。
しかしこの時、僕は何故かクレトの声が夢の中の”彼”の声に聞こえて仕方が無かったのだ。
次回「レオフィーナ・ペレイラ」




