その2 レオは男の娘か?
「まああれだ。釣りを経験する機会を逃した代わりに、村の住人の平素の生活の一部を実際に体験するという貴重な経験を得た訳だ。これぞ正に生きた学問。うん。実に興味深い。」
黒髪のおかっぱ頭を揺らしながらウンウンと頷く美人。
妹のマリーによれば彼女は”土の賢者レオ”。
年齢は俺の一つ下の15歳。
しかし彼女はこの若さで”王国魔導研究所”とやらの研究員なんだそうだ。
さっきまで野蛮だの趣が無いだのとわめいていた彼女だったが、それも俺達が取って来た魚の腹をさばいて塩をふって焼き始めるまで。
辺りに魚の焼ける良い匂いが漂いだすと、途端に落ち着きなくそわそわとし始めたのだから、生きた学問というのも腹の虫には勝てないらしい。
「これはもう焼けているんじゃないかな?」
「全然まだまだ。ほら、腹から水が垂れているだろ? もっとちゃんと火を通さなきゃ美味くないんだよ。」
川魚は余分な水分が残っていると生臭さが残るからな。
ペドロに言われてしょんぼりするサムエル。もう待ちきれない様子だ。
確かに良い匂いだし、サムエルの気持ちも分からないではないな。
こうして焚火のそばで焼く事しばし。
サムエルの我慢が限界に達する前に、ようやくペドロからOKが出されたのだった。
「おおっ。丸ごとかぶりつくんだね。実にワイルドだ。むぐむぐ。うん。美味い。塩を振って焼いただけにもかかわらず滋味あふれる味わいだ。素朴でありながらこれぞ自然を味わう贅沢と言えるね。」
レオが何やら含蓄のありそうな事を言っているが、多分誰の耳にも入っていないだろう。
みんな夢中になって目の前の魚にかじりついている。
「マリー、小骨が多いが大丈夫か?」
「大丈夫。とっても美味しいよクレトお兄ちゃん!」
いち早く食べ終わった食いしん坊のサムエルが桶の中の魚をジッと見ている。
俺は苦笑すると自分の荷物を広げた。
「そんな目で見ても、これは村の人間の分だからな。ホラ、網を出してやるから。」
「? 今更網を出して何をするんだい?」
上品に魚を味わっていたレオが俺の出した網に不思議そうな顔をする。
「こうやって残った骨と頭を焼くんだよ。」
俺が網を火にかけると、待ってましたとばかりにサムエルが魚の頭と骨を乗せた。
「俺のも焼くからちょっとよけろよ。」
「ふうん。そうやって頭と骨を焼いてどうするんだね?」
「どうって、食べるんだよ。パリパリして美味いんだぜ。」
じっくり炙ると骨から水分が出てジュージューパチパチと音をたてる。
やはり待ちきれなくなったサムエルが手を出すところをペドロに止められる。
俺達の分も追加で乗せられた網を囲んで焼けるまでみんなで馬鹿話をする・・・と、いつもならなるところだが、今日は自然にレオの話題が中心になった。
「へえ。じゃあ王国魔導研究所って軍の研究所なんだ。じゃあレオも軍人なの?」
「まあね。一応大佐って事になっているかな。まあ率いる兵もない技術大佐なんだがね。」
「大佐って偉いの?」「俺に聞くなよ。」「大中小の中で一番上なんじゃないか?」「そこは小説の設定通りなんだ・・・」
正直、俺達村人にとってみれば軍人というだけで偉い人なんだが。
後で知った事だが、大佐というのは佐官と言って現場の指揮者の階級なんだそうだ。
レオは大佐といってその中でも一番偉い階級で、軍では一軍を率いる立場なんだという。
何故かマリーが「えっ? 大佐ってそんなに偉い人だったの? もっと下っ端なのかと思って適当に設定したんだけど?!」と、驚いていたが。
「軍人って事は強いんだよな。若い女の一人旅って物騒だと思ってたけどこれで納得したよ。」
軍人は強い。これは俺達の世界の常識だ。
一見華奢なレオだってそれは変わらない。
それはなぜか? 軍人は魔法を使えるからだ。
「えっ・・・。レオは男の娘でしょ?」
マリーが意外そうな顔でポツリと言った。
「はぁ? 男の子? レオは女だろう。」「どう見ても女だよな。」「女の子じゃないの?」
俺達は一斉にレオの方を見た。
レオは少し困ったように頬を掻くとマリーの方に向き直った。
「え~と。僕は女の子だけど、君の目には僕は男の子に見えたのかな?」
「ええええええ~~~っっっ!!」
どうやらマリーはレオの事を男の子だと思っていたらしい。
まあ、中性的な雰囲気だし、自分の事を”僕”と呼んでいるから仕方が無い・・・のか?
レオは何とも言えない微妙な表情をしている。
・・・ウチの妹が申し訳ない。
件のマリーはそれどころではない、といった感じで灰色猫ハルマーを掴んで激しく揺さぶっていた。
「ちょっと、ハルマー! ”土の賢者レオ”が女ってどういうことよ! レオは男の娘! 私は小説にそう書いていたはずでしょ!」
「ニャニャニャー(そんなこと知らんニャー。文句は女神様に言って欲しいニャー。)」
「連絡して! 早く!」
ハルマーは何だか面倒くさそうにマリーから離れると、ぶらりと茂みの中に消えていった。
全く、何をやっているんだか。
俺はため息をつくとマリーに代わってレオに謝ることにした。
「ウチの妹が失礼な事を言って済まなかった。後でちゃんと謝らせるから気を悪くしないでくれ。」
「いや、いきなりだったので驚いただけだよ。子供の言ったことにいちいち目くじらを立てて怒ったりはしないさ。僕も自分の言葉使いや仕草が軍人らしいという自覚があるしね。ああ、小さな子には僕のそんな所が男っぽく見えたのかもしれないね。」
レオはこちらに気を使って気にしてないと言ってはくれているものの、見るからにショックを受けている様子だ。
まあ、これだけの美人が男扱いをされたんだからそれも当然か。
俺達の間に微妙な空気が流れた。
・・・本当に済まない。マリーには後でキッチリと話をしなければ。
俺が固く心に誓っている中、灰色猫ハルマーが藪をかき分けて戻って来た。
すかさずハルマーに飛びつくマリー。
「それで何って言ってた?!」
「ニャーゴ。ニャンニャニャーン(女神様は「ええっ?! この子って男の子だったの? ちゃんと読んでなかったわゴメンね。」って言ってたニャー。)」
「流し読みかよ! どうりで読み終わるのが早いと思ったわ!」
「ニャゴニャゴニャーン(後、女神様は「でも貴方のお話の書き方が悪いのよ。だって主人公のクレトとキスするシーンがあるじゃない。普通はレオが女の子だって勘違いするわよ。」とも言ってたニャー。)」
「それがいいんじゃねえか、クソが! 何が”普通は”じゃ! 私が普通じゃないとでも言いたいんかーーい!!」
突然、天を仰いで叫び出すマリーにビックリするレオ。
気にせず魚の頭を焼く俺達。
悲しいかな。俺達はこういったマリーの突飛な言動には昔から慣れっこなのである。
「ちょっと、君の妹さん大丈夫かい? 何と言えば良いか・・・え~と、猫と会話してるみたいなんだけど。」
「あ~、まあマリーだから。」
「たまにあるな。」
「あれがなければ可愛いんだけど・・・。」
最後のサムエルの一言だけがちょっと気になったが、ペドロ達の感想もおおむね俺と似たり寄ったりみたいだ。
というか、残念ながらトレド村でマリーの奇行を知らない者など誰もいないだろう。
街道沿いの村とはいえ、たかだか人口二百人ほどの村だ。
母さんも心配している事だが、もしマリーがこのまま年頃になるまでに落ち着かないければ、この村でマリーの貰い手を見つけるのは難しくなるだろう。
本人はまだ幼いからなのか、未だに「クレトお兄ちゃんと結婚する。」とか言っているが。
いや、兄妹は結婚できないからな。「体は兄妹でも精神は他人だから。」とか訳の分からない事を言ってもダメだぞ。
「それよりそろそろいい具合に焼けたんじゃないか?」
「カリカリ。うん、美味しい。いい焼け具合だよ。」
「マリー、ハルマーを置いてこっちに来な。お前の分も焼けたぞ。」
「それよりって君達・・・。まあ君達がいいなら僕からは何も言える立場では無いけど。ああ、ありがとう。頭も丸かじりするのかい? 驚きだね。」
まだブツブツと「納得いかない。何だよ女の子って。これじゃ普通にクレトお兄ちゃんのお嫁さん候補じゃん。」とか呟きながらマリーがハルマーを抱えてやって来た。
「おっと、そういえばハルマーには魚をあげてなかったな。悪かったな、ホラ、小さいけどこれをやるよ。」
俺は桶の中から小さ目の魚を一匹つまんでハルマーの前に置いてやった。
「ニャー。(ありがとニャー。)」
「この猫、まるで本当に言葉が分かっているみたいだね。」
行儀よく食べ始めるハルマーにレオが感心する。
「どれ、猫君。僕の魚の頭もあげようか?」
「いや、その魚は塩を振ってるからハルマーに与えるのはよしてくれ。ハルマー。レオがお前にごちそうしてくれるそうだ。もう一匹やるぞ、良かったな。」
俺は桶から魚をもう一匹取り出すとハルマーのそばに置いた。
「や。これは済まない。」
「いいんだよ。元々小さな魚は俺達が食う分じゃないから。」
「ガッチンは小さな魚も根こそぎ捕れちまうからな。選んで捕るならわざわざ小さな魚は捕らないんだけど。」
「でも捕らないのはそれはそれでもったいないしね。」
俺達は火に水をかけ、焚火の後始末をすると村に帰ることにした。
魚の頭はレオには少し不評だったようだ。食べ辛そうにするレオにサムエルが物欲しげな視線を注いでいた。
いや、お前食いしん坊すぎだろう。
次回「雑貨屋の娘ベアトリス」