その16 なぜならクレトは主人公だから
「ん。朝・・・か?」
俺は目覚めるといつもと違う感覚に戸惑った。
なんだろうかこの違和感・・・
いつもなら鶏の鳴き声で起こされるのに、今朝はそれが無かったから?
いつものベッドではなく、硬い床で寝ていたから?
俺はぼんやりとした頭で答えを探して自分の体を見下ろした。
俺の腕にしがみついて寝ている妹のマリー・・・じゃない。
目の前にあるのはいつも見慣れたマリーのベージュ色の髪ではなく、おかっぱ頭の黒髪だった。
えっ? 誰?
その途端、俺の中に昨日の記憶が蘇った。
そうだ、昨日俺は騎士達に襲われたレオフィーナを匿って、この木こり小屋で一泊したんだった。
レオフィーナは俺の腕に縋り付くようにして眠っている。
どうにか抜け出せないか、俺はレオフィーナを起こさないようにゆっくりと体を動かしてみた。
・・・ダメだ。キッチリと足まで搦めてる。
レオフィーナは俺の右手と右足にしがみ付くようにして眠っていた。
逆に言うと、俺の右半身はガッチリとレオフィーナにホールドされている状態、ということになる。
困ったな・・・どうすりゃいいんだ。
正直、レオフィーナのような美人に抱き着かれていてはどうにも落ち着かない。
何というか生殺し状態とでもいえばいいのか。
俺は額に噴き出した汗を自由な左手でこっそりと拭った。
このままレオフィーナが起きるまで待つべきか、それとも・・・
そこで俺の目とレオフィーナの目がバッチリと合った。
どうやら俺がごぞごぞと動いたせいで目を覚ましたようだ。
「ななななな・・・ す、済まない、僕としたことが寝ぼけてつい! 決して故意じゃないんだ、本当に済まない!」
シャカシャカと怪しい動きで俺から離れるレオフィーナ。
「わ、分かっているから落ち着け。そんなに動いたら背中の傷が開くだろう。」
俺は慌てて体を起こしながらレオフィーナを鎮めた。
「痛っ・・・。そ、そうだね。いや本当に僕は何をやっているんだか。・・・あの、あまりこっちを見ないでくれないか? 寝起きを見られたくないのだけれど。」
「・・・そうだな。外の井戸で顔を洗ってくるよ。ついでに水も汲んでくるからその間に身支度を整えておいてくれ。」
俺は蚊帳をまくると土間に転がり落ちた。
ガタガタとたて付け悪い小屋のドアを開けると森の朝の匂いが漂ってくる。
俺は土間に置いてあった桶を手に外の井戸へと向かった。
顔を洗い、軽く体を拭いた後で井戸水を汲んで小屋に戻ると、丁度レオフィーナが蚊帳を片付けようと背伸びしている所だった。
「俺がやるからそんなことをしなくてもいいぞ。」
「いや、少し体を動かしたいんだよ。」
薬を飲んで一晩寝たことで傷の発熱が引いたのか、レオフィーナは昨日とは打って変わって顔色が良くなっていた。
「いいから、ほら。この水で顔を洗ってくれ。後は俺がやるから。」
俺が蚊帳をたたんでいる間に、レオフィーナは顔を洗って寝ぐせのついた髪を手櫛で整えていた。
しまった。櫛を持ってきておくべきだった。
俺は自分の至らなさに自分で自分が恥ずかしくなった。
そんな気持ちを誤魔化すために、俺は少し大きな声でレオフィーナに声を掛けた。
「朝食の支度をしようと思うが、豆のスープになるけど大丈夫か?」
「お任せするよ。君の味付けは父親仕込みだそうだからね。」
俺は昨夜のうちに戻しておいた豆をかまどにかける。
そうしておいて、俺はかまどの灰から残り火をかきたてて火を起こした。
さて、豆の味付けはどうするか。
俺は荷物の中の食材をあれこれ検討する。
そんなふうに朝食の支度の事で頭が一杯だった俺は、俺の背中をレオフィーナが嬉しそうに見ていることに気が付かなかった。
「もう十分だよ。ご馳走様。」
「そうか? まだ入るようなら遠慮しないで言ってくれよな。」
俺はレオフィーナの口に運びかけた匙を止めた。
やはり子供のように食べさせてもらうのが照れ臭いのか、熱が引いたのに顔が少し赤くなっている。
しかし、今日のレオフィーナは昨夜と違って随分と素直だった。
一晩休んで冷静になったんだろうか? 確かに、食べて栄養を付けないとケガの治りも遅くなるからな。
「今日は昨日みたいに口を拭いてくれないのかね?」
いたずらっぽくレオフィーナが俺を徴発してきた。
俺は自分の食事を食べながら、匙でレオフィーナの足元のフキンを示した。
「昨日断られたからな。自分でやってくれ。」
「なんだ、初日だけのサービスだったのか。」
レオフィーナはフキンを拾い上げると口を拭った。
「今日はペドロ達が来たら入れ替わりに村に戻って足りない物を取ってくるよ。何か必要な物があったら言ってくれ。」
レオフィーナは少しためらった後、真剣な表情になると崩していた足を整えて座り直した。
どうしたんだ?
その雰囲気に、俺は一旦食事を止めるとレオフィーナに向き直った。
「君、ひょっとして今日もこの小屋に泊まるつもりかい?」
「もちろんそうするつもりだが、何かいけなかったか?」
レオフィーナは一度目を伏せると、覚悟を決めたのか再び顔を上げた。
俺は彼女の黒い瞳に見つめられ、意識が吸い込まれそうになる。
「昨日も言ったことだが、助けてもらったことは感謝している。だが、やはり君達はこれ以上僕に関わり合いを持つべきではないよ。これは僕の嘘偽りのない本心だ。」
余程の覚悟を決めているのか、どうやら生半可な言葉では引いてくれなさそうだ。
彼女の目にはそういう強い意志を感じた。
「君に村の生活があるように、僕にも軍人としての生活がある。これは軍人である僕と騎士である彼らとの間の問題だ。君は自分の今の生活を壊してまで僕達に関わるべきじゃない。もしこの件に関わる者がいるのなら、それは僕達軍人の側の人間や彼ら騎士団の側の人間であるべきだ。」
レオフィーナの言いたいことは分かった。
要は、部外者は生半可な覚悟で口を挟むべきではない、と言いたいんだろう。
俺が彼女の立場なら、ひょっとしたら彼女と同じことを言ったかもしれない。
「言ってることは最もだ。だが、ダメだ。」
「どうして?! 昨日聞いた誓いのことかい? それって君の周囲の人間を不幸にしてまでなすべき事なのかい?」
うーん。やっぱりちゃんと伝わっていなかったんだな。
俺は自分の説明の下手さ加減にうんざりした。
「何か勘違いしてるんじゃないか? 確かに俺はマリーの前で誓ったことを守る事が自分の義務だと思っている。」
「だったら!」
「まあ聞け。だが俺は別にマリーのためや、ましてや、本当にいるかいないかも分からない神様のために守るわけじゃないんだ。俺のために守るんだよ。俺は俺が決めたから守るんだよ。」
「?」
何と言えば伝わるんだろうか・・・
そうだ。確かマリーは俺の事をこう表現してたな。
「俺の中で俺、クレトは”主人公”だからだよ。”主人公”が誰かのために何かしても、それは結局”主人公”がそうしたいからするんだよ。誰かのためと言いながら、結局は自分がしたいからするだけなんだ。それがお節介になろうがどうだろうが関係ない。単なる俺のわがまま、自分が満足したいがためにやる事なんだよ。俺はこの件に関わると決めた。だったらその時から俺に関係の有る無しなんてもうどうでもいいんだよ。主人公が決めたからそうするんだ。ただそれだけなんだよ。」
マリーは言っていた”クレトは主人公”だと。
だから俺は自分以外の何者にも縛られない。
マリーが生き返った8年前のあの日、”俺”は”俺”になった。
村の”悪ガキ”クレトは”主人公”クレトになったんだ。
俺の言葉は伝わっただろうか?
レオフィーナはポカンとした顔で俺のことを見ている。
う~ん、やっぱり無理だったか。どうにも感覚的過ぎて、上手く人に伝えられる気がしないんだよな。
やがてレオフィーナはーー俯くとクスクスと笑い始めた。
「主人公・・・そうか、クレトは主人公だったね。そうだそうだ、確かにマリーとハルマーの言う通りだ。色々あったからとはいえ、こんな大事なことを忘れていたなんて、本当に僕もどうかしていたよ。」
レオフィーナは顔を上げるとどこかうるんだ目で俺の方を見た。
不思議な色っぽさに俺は心臓が飛び跳ねて、何だかムズムズとして落ち着かなくなる。
「そんな強引な君だからこそ、2年後の僕は研究所から外の世界に連れ出されるんだろうね。ようやく今分かったよ。あの時の僕は外の世界を見たかったんじゃない。君の見ている世界が見たかったんだ。」
俺は無意識にゴクリと喉を鳴らした。
レオフィーナの言っている事はさっぱり分からないが、彼女は俺に何か大切なことを打ち明けている、ということだけは伝わって来た。
いくら俺でもそんなことが分からないほど馬鹿じゃない。
俺は・・・
バーン!
「クレトお兄ちゃん、無事?! レオフィーナに食われてないよね?!」
俺はドアを蹴破る勢いで飛び込んできた妹をポカンと見つめた。
ギョリッ・・・。レオフィーナの口から小さく歯ぎしりの音が響いた。
マリーは駆け寄ってくると俺の背中に飛び付いた。
「お母さんヒドイのよ! 一晩中私の腰紐を掴んで離さないんだから! 今朝になってやっと抜け出して来れたんだから!」
どうやらペドロ達は、上手くマリーの事を俺の両親を言いくるめてくれたみたいだ。
その事に俺はホッとした。
「・・・マリー。誰が誰を食うだって?」
「泥棒ネコがクレトお兄ちゃんを食うって言ってんだよ お前の事に決まってるだろうが!」
「き・・・君なんて事を言うんだ! 女のくせにそんなはしたない言葉を使って恥ずかしくないのかい?!」
俺を挟んでギャンギャンといがみ合うマリーとレオフィーナ。
・・・さっきまでの雰囲気はぶち壊しだな。
まあ、あのままだと俺の方もどうかなってしまいそうだったから、ここはマリーに助けられた? と思う事にしよう。
俺は少しホッとすると、二人の罵り合いを尻目にすっかり冷めてしまった豆のスープを口に運んだ。
「こんな所に隠れていたとはね。捜したよ。」
女の声に俺は驚いて振り返った。
驚愕に目を見開くレオフィーナ。
マリーが開け放った小屋の入り口に立っているのは鎧を着た金髪美女。
”風の剣士カル”ことカルメリタだった。




