その8 説明の終わりと井戸端での出会い
「ん。戻って来たか・・・って、二人共その姿はどうしたんだ?!」
俺がペドロと馬鹿話(主にペドロが馬鹿な話をして俺が聞き役になる)をしている間に何があったのか、戻ってきたマリーとレオフィーナはあちこちひっかき傷を作ってボロボロの姿になっていた。
いつの間にかマリーの腕には灰色猫のハルマーが抱きかかえられている。
ここに来る前は連れてなかったよな?
ハルマーは相変わらず体を長く伸ばしてブラブラと足を揺らしていた。
「なんでこんなことに・・・ 喧嘩でもしたのか?」
慌てて問いかける俺に、気だるげに顔を見合わせる二人。
素っ気ない二人の反応に俺は少しばかり意外な思いを抱いた。
さっきまでケンカをしていたにしては、二人の間にはさほど険悪な雰囲気が漂っていなかったからだ。
何と言うか、大暴れして疲れ切った、ただただそんな疲労感だけが感じられた。
「・・・まあケンカというか、ディスカッション? マリーは手ごわい相手だったよ。ここまで腹を割って誰かと本音で語り合ったのはいつ以来だろうね。ちょっと思い出せないかな。」
「・・・ひたすら虚しい。」
いや、本当に何があったんだ?
しかし、この様子だと二人がケンカをしたわけではないようだ。
俺はホッと胸をなで下した。
宿屋に連泊している客と家族が揉めるなんて想像しただけで胃が重くなるからな。
そういえば、いつの間にレオフィーナはマリーの事を呼び捨てにするようになったんだ? ついさっきまで”君”付けで呼んでたはずだが。
「だったらもう帰ろう。その前に傷を洗った方がいいだろうな。おい、ペドロ。桶を貸してくれ。」
二人の事を興味深そうに見ていたペドロだったが、俺の声に桶を取りに家に入って行った。
俺はほどけてしまったマリーのおさげを結んでやりながらペドロの帰りを待った。
◇◇◇◇◇◇◇◇
時間は少し戻る。
村の入り口近くの大きな木の下で始まった二人の少女の取っ組み合いは、どちらからともなく力尽きたことで引き分けになっていた。
座り込んで大きく肩で息をする二人。
すぐそばで丸くなっている大きな灰色猫が二人に声を掛けた。
「そろそろ気が済んだニャー。」
レオフィーナはほつれた髪を気だるげに手櫛で整えながらため息をついた。
「ああ・・・。僕としたことがすっかり取り乱してしまったよ。土の賢者の異名を返上しないといけないようだね。」
「土の賢者(笑)。」
疲れ果てて仰向けに倒れながらも、レオフィーナに対する当て擦りのチャンスを逃さないマリー。
レオフィーナはマリーの言い草にムッとしながらも、流石にこれ以上の醜態をさらす気にはならなかったようだ。
「それで・・・話を戻すけど、マリーの小説”気に・アイ”の中での土の賢者レオの役割はどういったものだったのかね?」
そういやそんな話だった。何で掴み合いの取っ組み合いをしてたんだっけ?
マリーは今更のようにそのことに思い当たり、人知れずショックを受ける。
自分達の行為のあまりの不毛さに、マリーの心の中にひたすら虚しさが満ちた。
「レオはクレトの三人目の仲間だニャー。クレトが旅の途中で王国魔導研究所に立ち寄った時にそこで仲間になるニャー。」
◇◇◇◇◇◇◇◇
真理子の小説”気になるアイツとMemories~愛の絆で最凶ドラゴンを倒します~”の中で、旅に出たクレトの最初の仲間になるのは”風の剣士カル”である。
その後”火の盗賊ベア”を加えた一行は、更なる仲間を求めて王国魔導研究所へと向かうのだ。
そこでクレトは、一度も研究所の外に出る事無く魔法の研究に没頭する軍人、”土の賢者レオ”に出会う。
クレトの、「知ることと分かることはまるで別だ」との説得に、今の自分の生き方に疑問を抱いたレオは、研究所を出て自分の目で世間を見る事を決意する。
以降、レオはクレトの仲間として行動を共にすることになるのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「ふうむ。つまり小説ではクレトの方が先に旅に出て、研究所に引きこもった僕を外に連れ出すんだね?」
「そうニャー。今、お前は自分で勝手に外に出てるけどニャー。」
ハルマーの言葉に細い顎に拳をあてて考え込むレオフィーナ。
(ではあの夢は正夢――僕にとっては起こりうる未来の出来事を見た夢――だったんだ。だとすれば僕は僕の行動によって本来の未来へ向かう道筋から外れた事になる。僕の未来は今後どういう道をたどるのだろうか・・・)
レオフィーナはそこで一旦思考を切り上げ、もう一つの疑問を問いかける。
「この世界はマリーの書いた小説であることは分かった。では、どこが小説のスタート地点になるんだい? 僕が小説の展開から外れてこの村に来ている以上、まさか昨日からって事はないよね?」
「ああ、その事ニャー。今から二年後がスタート地点ニャー。」
「二年後?! 未来がスタート地点なのかい?!」
その事は私も悩んだわ~、とマリーがしたり顔で頷いた。
何となくその表情にイラッとしながら、レオフィーナはハルマーに更なる説明を求めた。
「これは完全にこっちサイド、女神様の都合なのニャー。」
「女神様の?」
ハルマーの説明によると、先ず大前提としてこの世界は元々存在していた世界で、その世界に女神が小説の内容に沿う形で変更を加えたものだ。
もしも小説のスタート時点を変更の始点とした場合、世界には数えきれない程の数多くの変更が一気に起こり、その反動で女神でも予想のつかない不具合が発生する恐れが大きかった。
それを防ぐため、女神は小説スタート地点から遡って10年の余裕を見て、そこから徐々に様子を見ながら小説の内容に沿うように変更を加えていったのだ。
「要は今の世界はベータ版だからプログラムのデバッグが必要なのよ。私達はユーザーでありテスターなのよ。」
というマリーの言葉は、レオフィーナには全く何を言っているのか分からなかった。
それはそれとして、ハルマーの説明はレオフィーナにも十分納得できるものだった。
彼の説明の通りだとするならば、世界が改変されたのは今から8年前。
当時7歳だった彼女が、設立されたばかりの王国魔導研究所に入ったのが丁度その年だったのだ。
「まあ、女神様も完璧ではないということニャー。」
「・・・それ僕が口に出したら不敬な言葉だよね。君が神様の使徒ということが良く分かるよ。」
ハルマーはクシクシと前足で髭を撫で付けた。
「俺から言えることは”あまり気にするな”ってことだニャー。この世界は真理子の小説がもとになった世界ではあるが、あくまでもとになったというだけで小説の世界そのものではないニャー。お前らは好きに生きればそれでいいニャー。」
「いわばこの世界は小説原作のゲームみたいなものよね。ゲームオリジナル展開もありってヤツ。おおっ、そう考えると胸が熱くなるな! これが自分の作品がゲーム化されたクリエイターの気持ち!」
「君、自分で何言ってるか分かってる?」
小さな拳を握って興奮するマリーに呆れて言葉もないレオフィーナだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇
俺は村の共同井戸でマリーの傷を洗ってやる。
レオフィーナの方にも手を貸してやりたいが、女の子の手や足を俺が洗うわけにもいかないからな。
そうでなくても、さっきから村のおばちゃん連中が興味深そうに遠巻きにしているのが気になるというのに。
後で絶対にロクでもない噂が広まるだろうな・・・
俺は暗澹たる気持ちを抱えたまま、無心で手を動かし続けた。
「クレトどうしたの?! マリーがケガしたって聞いたけど?!」
ベアトリスがブラウンの髪を揺らして近所のおばちゃんを連れて駆け寄って来た。
どうやらこのおばちゃんから俺達の事を聞いたらしい。
マリーがベアトリスの声を聞いて顔も上げずに小さく舌打ちをする。
・・・お前どれだけ彼女のことが嫌いなんだよ。
「雑貨屋の店番はいいのか?」
「そんな事言ってる場合? ケガを見せて。」
嫌々ベアトリスに手を取られるマリー。
「マリーの方は俺がやるから、レオフィーナの方を見てくれないか? ウチの泊まり客なんだ。」
「そう。あなた大丈夫? 服の下にケガがあるならウチの家を貸すわよ?」
そうか、服で隠れた場所にケガをしている可能性は考えなかった。
俺ならここで服を脱いで傷を洗う所だが、レオフィーナはそうはいかないからな。
俺はベアトリスの女性らしい気遣いに感謝した。
「あ・・・ああ。僕の事なら大丈夫。本当に何でもないから、お構いなく。」
愛想よく声をかけるベアトリスに何故か戸惑う様子のレオフィーナ。
人見知りというわけでもないだろうに、どういうことだ?
「ちょ・・・ちょっとマリー、こっちに。」
マリーの手を引っ張って少し俺達から距離を取るレオフィーナ。
その間にベアトリスは俺に二人の事を尋ねて来た。
「で、何があったの?」
「俺も知らないんだ。少し二人で離れたらああなってたんだ。本人たちはディス・・・ディス何とか? ともかく、本音で話し合った結果だって言っているんだが俺にも何の事だか・・・」
おばちゃん達が聞き耳を立てているせいか、物凄く説明し辛い。
ベアトリスも俺の要領を得ない説明に不満げな表情を見せるのだった。
「なんだいあの女性は。いやにクレトに気安い態度だけど、彼女はクレトの何なんだい?」
「いつもクレトに秋波を送ってくる目障りなヤツ。クレトの昔の女候補? 原作に無いキャラなんだから出しゃばらないで欲しいんだけど。」
「そ・・・それって、クレトのかかか彼女さんってことになるのかね?!」
「だから昔の女だって。いずれ昔の女になる予定の女。今は恋人気どりだけどね。」
何だろう、内容は良く聞こえないが、マリー達のひそひそ話は俺とベアトリスの事を言っているみたいだ。
目の前には不満そうな顔のベアトリス。
周りには好奇心を隠しもせずにこっちを伺うおばちゃん連中。
無力な俺はただ一人。この身の置き所のない状況に、なすすべなく立ち尽くす事しか出来なかった。
次回「軍人と騎士」




