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橘家の人人・ドゥームズデイ  作者: 佐々原廠
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第九話「代官所」

 二十分ぐらい走っただろうか。三本杉というのは地名ではないことがわかった。三本の杉の木が現実に立っているのである。

 瓦屋根の小さな代官所がそこにあった。

「暴力一掃・交通安全」

 という旗指物が何本か立っており、アメリカ製の白いパトカーが一台停めてある。

 番卒は寝ていた。

 半裸で、腹巻きと股引という姿である。六尺棒を杖がわりにしていた。

「あのー」

 大淀は声をかけたが、起きるような感じがしない。

 番卒が起きる前に、腰の曲がった老人が一人、奥からきた。黒い羽織を着て、帯に脇差しを差している。

 ――なにか、用ですかの。

 しわがれた声でいった。

 大淀は懐から名刺と、榎本のしたためた紹介状を出し、代官に取り次ぎをねがう口上を述べた。

「あんたが大淀さんかね。ついてきなさい」

「あの、あなたは」

 ふいと踵を返して代官所の通用口に入っていく老人に、大淀はたずねた。老人はまたしわがれた声で

 ――与力の根来佐平次じゃ。

 と振り向かずに答えた。

(なんだか得体の知れないひとだなあ)

 大淀は思ったが、ついていくより仕様がない。その後、式台で編上靴をぬぎ、屋敷へあがるときに、ふと思いだし

「そういえば、こちらに浅田四郎左右衛門と申される御仁がおいでですか」

「アア。……居るよ。浅田を知ってるのかね」

「ええ、さっきお会いしました。バスに乗って越後のほうへ向かわれましたが」

 根来老人は歩をとめ、しゅっしゅっという足さばきの音をさせて振り返ると、こぶだらけの顔を寄せ、ぐいと大淀をみた。気圧される感じがある。

「確かかね?」

「は、はい……。一言二言会話をしまして、それからすぐ」

「乗ったわけか」

 大淀、頷く。コクコク。根来、チッと舌打ちをした。

「悲惨じゃ」

 老人はまた歩きだした。代官の部屋の前にきた。


「そこに控えていなさい」

 根来は大淀を床に座らせ、自らも同じように座ると、オホン、オホン、と咳払いを二回した。これは現代でいうノックのようなものである。それから、閉まったままの障子に向かって用件をいう。あれほど曲がっていた背中が、ぴいん、と立った。

「牧野様。江戸表よりの回覧にございました補充の同心一名、ただいま着きましてございます」

 障子戸は、沈黙している。

「牧野様」

 根来老人がもう一度呼びかけると、今度は応答があった。

 ――聞こえておるわあ。

 ひどく間延びした、ゆっくりした声であった。

「聞こえとーる、聞こえとーる……、ふひ、ふひひひひ」

「悲惨じゃ」

 根来の呟く声が大淀には聞こえた。

 根来は重ねて述べた。

「その者、ここに控えさせておりまする。通して宜しゅうございましょうか」

「だめだ」

 障子の向こうの人物、代官・牧野は、きっぱり断った。

 ――だめって、どういうことっ?

 大淀がおどろいたのもむりはない。江戸からバスを乗り継いでここまで来たというのに、

 ――お会いにならないそうです。お帰りなされ。

 などと言われてはたまらない。

 膝を進めて、根来老人の袖を引っ張った。根来は、わかっておる、という感じで頷いた。

「だめとは、如何なることでございまするか」

「芳醇なトリップだ。いいブツだ……」

 根来をみる大淀の眉が寄り、口が半開きになった。根来は目をそらし、また咳払いをした。今度はノックではない。

「牧野様。これなるものは、江戸表より遠路はるばる、牧野様にお仕えすべく、まかり越したるものにて……」

「極上のブツだ、へ、へへ、極上の……クソだっ! ペエッ! ああ! くそお! なんだあっ? ネズミの糞でも入ってんのかあ! ばかやろーばかやろーっ! ちくしょーっ、うおーっ! ふざけんなーっ。この世のすべてが憎い」

 代官の部屋のなかから、雄叫びと、物をこなごなに壊す音、いろいろなものが倒れる音が連続して聞こえた。膝を進めていた大淀が元の位置にもどり、両手のひらを上に向け、「なんですか?」という身振りをしたとき、テレビが障子戸を破って飛んできて、大淀の鼻先一寸の空間をぬけ、庭にむかって落ちて砕け散った。がんっ、どがーん、ばんばんばんばん、どかっ、どんどん、がっしゃあ――ん。

「楓を呼べ」

 代官・牧野は叫んだ。声は完全に狂乱している。

「じじい! 聞いとるのか。楓をここへ呼べ」

「楓どのは、ただいま里を留守にしておられます。それで、そのハッパをかわりに手配したのではありませぬか」

「だまれ、百姓っ」

 代官・牧野源信斎は、部屋の中から吸い殻の詰まった灰皿を根来老人に向かって投げつけた。

「そんなことはわかっとるわい! わかっとるわい」

 根来老人は灰皿の当たった箇所を撫で、顔をしかめた。

 大淀は、その吸い殻のひとつを取り、まだほかほかと煙の筋が立っているそれを、慎重に手であおぐようにして、匂いをかいだ。風紀課にいた大淀にはわかる。これは一種の――特別な種類のハッパである。

 代官・牧野はいった。

「わしが言ったとおりだ。やはり、地産地消がいちばんではないか。ほかのものはカスだ。わかっとるのか、じじい」

「は、御前に……」

「なにが御前だよ。いないではないか。じじい! どこにいる」

「は、障子の向こう側におりましてございます……。それと楓どのと申さば、橘ノ庄の郡保安官・浅田四郎左右衛門が逐電致しました」

「なに!」

 たんっ、と障子戸が開かれた。只簑代官・牧野源信斎の姿を大淀は初めてみた。

 大兵の偉丈夫である。長身で、体格堅牢、両眼は炯々と光り、手には点火した葉巻を挟んでいた。――なんのハッパかは、わからない。

「あのろくでなしのクソ野郎……。あいつには死んでもらうからな。やつの家族も道連れだ。見つけだしてぶち殺せ! すぐに討手を差し向けろ。浅田を呼べっ」

「いえ、牧野様。その浅田が、逐電致しましたので」

「じじい、わかっとるわい。あーあー、あーあー! みんな殺す」

 代官・牧野は部屋に戻り、根来老人はしゅっしゅっという足摺りの音をさせてそれを追っていった。大淀は迷ったが、それについていった。どうせこのまま廊下にいても、すでに障子戸がほとんど破壊されているのだから、控える意味がない。

 部屋のなかは、めちゃくちゃだった。

 割れたガラスの破片やら、書物やら置物やら、すべてが散乱している。荒廃。荒廃しきった部屋だ。

「牧野様。これなる者が、大淀つかさにございまする」

 その部屋のなかで、根来老人が紹介の口上を述べた。元・北町奉行所同心、風紀対策課刑事、学歴、学位、出身地……。

「また、これに江戸の榎本様よりの添え状がございます」

 そして、榎本からの紹介状を牧野の机の上にそっと置いた。同じ机の上に、結晶の詰まった透明な袋や、丸めた札束、抜き身の武器などが置いてある。牧野は封書の表面と裏面を交互にみて、釜次郎が? と不快そうにいった。「わが友」ではなかったのか。









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