第七話「小普請組」
大淀は即日、奉行所を解雇。小普請組に編入された。
小普請組というと、なにかそういう役所があるかのように思えるが、そういうのではない。無職の幕臣をとりあえずプールしておくという目的の書類上の役で、一応死なないように、失業手当てのようなものがわずかばかり給付される。
要は幕府のなかのニートである。
「いいか、おまえらは、人間の屑だ」
小普請組説明会にいった大淀は、教官の講義を聴いた。
講堂に集められた他の小普請をみると、七十歳ぐらいの老人だとか、足やら目やらなにやらに欠損のある者、知的障害者、全身に入れ墨をした重犯罪者などが多い。
大淀は利根屋をさがした。彼女は来ていなかった。
――欠席すると、手当てがもらえないのに。
遅れてくるかと思い、となりの席を取っておいたのだが、むだになりそうだった。
教官はいった。
「おまえたちは、将軍様のお慈悲、お情けで生きているカスだということを知らねばならぬ。速やかに職を得て、働くようにせよ。社会への貢献、義務を果たせ。国家の恩をわすれるな。――では給食を行う。五分後に食堂へいけ」
講堂のほぼ全員が、一斉に走り出した。だだだだだっ、というものすごい足音が起こり、松葉杖の老人もおどろくような速さで講堂を出ていった。
「何年もいるとああなるんだ」
教官は書類を机の上でそろえつつ、苦々しげにいった。
「おまえは新顔だな。大淀つかさ、そうだな」
「はい。元北町奉行所……」
「はは、言わんでもわかるさ、新聞でみた。まったくマスコミというのはハイエナよりもたちが悪い」
無論、日本にハイエナがいるわけはない。西洋の映画かなにかの引用であろう。口元に西洋風の跳ねたひげを生やしているのを見ても、蘭癖家(西洋かぶれの当時的形容)らしい。この教官、たしか榎本といった。榎本武陽。
教官・榎本は、書類のうちの一枚をみながらいった。
「おまえは学問ができるそうだな。大学の成績トップ、同心学校首席卒業、二十二歳で刑事昇進。……まあ、やらかしたがね。おまえみたいなのが小普請にいては腐ってしまうぞ。なにかアテはないのか」
「はあ、残念ながら……。じつは、実家に帰ろうかと思っています」
「ふむ、里はどこだ」
「芸州の呉です」
西国だな、榎本はいった。良い顔ではなかった。
「それは許さん。帰るな」
「はい?」
「きみはニュースを見んのか。西国は反逆者の根城だぞ。おまえみたいなのは、テロリストに殺されるか、テロリストの仲間になるしかない。まあ前者はしょうがないが、後者はこまる。帰るくらいなら腹切れ。腹かっ捌いて死ね」
「ひどい人ですね。じゃあ仕事をくれるのですか」
「うん……」
と、榎本は口ごもり、目線を宙に泳がせた。気持ちが表情にはっきり出る人だ。
大淀は口を結び、じっと榎本の顔をみた。じっ。
「オホン。ま、本来であれば、洋学の知識のある者は貴重であるし、おれが雇ってもよい。と、言うところだが、おれは近々、欧州へ行く用事があってな。というのも、そこで徳川の海軍を作るのだよ。強力な海軍なくしては列強に伍することはできず……」
「はいはい。で、仕事は。あるんですかないんですか」
榎本は、だまった。大淀の視線が、ぐいぐい押してくる。じ――っ……。
「わかった、わかった。仕方のないやつだ」
「ありがとうございます」
榎本はかばんから便せんを出し、ペンを手に取った。ただそこにペンを走らせる前に、インク壷のふたをひねりつつ、榎本は付け加えた。
「ただし、だ。言っておくが、これは楽な仕事ではないからな。最悪な仕事だ。おれをうらむなよ」
数日後、大淀はバスの中の人になっていた。
北へ向かう。
途中、宇都宮をすぎたあたりで
「車掌です。現在、この付近に武装した暴徒が横行中とのことであります。そのためやむを得ず引き返し、宇都宮にて日の出まで待機いたします。お急ぎのところ、ご不便をおかけいたしまして、まことに申し訳ありません」
というのが入った。このころ、徳川御三家のひとつである水戸藩の政情不安が爆発し、藩内部は体制派と反体制派に分かれ、銃弾砲弾が飛び交う戦争状態になっていた。
またその一部は藩領の外に出て、家康の霊廟東照宮のある日光をめざし、筑波山に立てこもるなど、戦火は北関東一帯に拡大している。
バスは、宇都宮城の城下町に避難した。
明朝の出発時刻を記録し、宿を取る。部屋の電気がつかなかった。
「停電です」
どうもすんませんね、と言いながら、亭主が火を灯したロウソクを持ってきた。これにもチップを払わなければいけない。
窓を見ると、なるほど停電だった。
自前の発電機のあるお城だけ、電気がついている。市街は一面の闇で、東の郊外に火事の火が点々とみえる。そのほか、ヘリコプターがつけている探照灯の光が地面を舐め、かなり遠くの地平線に、照明弾がぱっぱっと開くのも見えた。
だあん、だあん、ぱんっ、ぱんっ――。
という銃砲声も遙か彼方に聞こえるときがある。
――おどろいたなあ……。
地方がこんなに荒れているとは、大淀は考えていなかった。難民の群れは江戸を目指していく。だが江戸ではオリンピックを開くといって、町の浮浪者をどんどん強制退去させているのだった。どういうことになるのか、見当もつかない。
大淀は懐から一通の封書を取り出し、ロウソクの明かりを使って、それを改めて眺めてみた。封書の裏面に、釜次郎、という字がある。武陽と名乗る前の榎本の名である。
榎本が書いたのは、紹介状だった。
――これを、只簑の牧野源信斎にわたせ。
といった。
――タダミノ? どこですか。
聞いたこともなかった。奥州だ、と榎本が教えた。
「会津の山のなか。ただし幕府領だ。会津藩領と近接してはいるがね。とにかく公儀の代官所がその近辺を宰領している。代官の牧野はわが友だ。おまえに便宜をはかるよう頼んでおいた。あとはしっかりやれ」
「ありがとうございます」
「ただ……気をつけろよ。やつはちょっと、その」
「はい?」
大淀が問い返すと、榎本はまた口ごもり、
「まあいい、行けばわかることだ」
と説明を放棄した。西洋人がやるような手を回す仕草をした。