第六話「貴様はくびだ」
利根屋は応酬した。
「わけのわからないことを言うなー! 大淀、あんた潔く罪を認めろ」
「認めましたよ、認めちゃいましたよ! あなたがそれを取り消さないと、すべて私のせいになるじゃないですか。早く証言してくださいっ」
「いやっ。しない」
「こんくされ外道……」
大淀は、芸州・呉の出である。地の言葉が出た。
「ワヤ言うとると、ぶちかましますよ!」
「ああ? やんのか、テメー! なにメンチ切っとんじゃ、かかってこいや」
「おう、やったるが!」
大淀の目が、ぐるぐるになった。飛びかかった。
乱闘になった。
「こんクソー!」
「このやろー、ばかやろー」
取っ組み合いの喧嘩になり、足軽が止めに入ったが、蹴っとばされて転がり、動かなくなった。
足軽は担架で運ばれ、救急車で搬送された。
「おまえたち、やめいっ。やめろ! ばかもん、ここをどこだと思っとるか、おいっ」
収拾のつかない事態になり、あわてた安藤は、奉行所の手勢をよぶため、電話をかけはじめた。そこへ、長常が声をかけた。
「安藤」
「はっ、お奉行。申し訳ございません、まったく、ほんとにどうしようもないやつらです。直ちに一個小隊ほどを呼び寄せまして……」
「いや、それはいかん。バットを投げてやれ」
「は、はあ?」
長常は口に菓子を放り込み、甘味を楽しみながらいった。その目は中庭の二人に注がれ続けている。
「おもしろいではないか。ははははは。それにあの小さいの、なんといったか」
「は、大淀でございますか?」
「身体が小さくては不利になる。裁きというものは公正を心がけねばならん。そうだな。返事をせぬか」
「はい、如何にも……」
二人は数分間取っ組み合って、くたくたに疲れ、はあはあと息をしながら、仰向けに寝っ転がっていた。
「もうやめましょう」
大淀は荒い呼吸を吐きながら、寝たままいった。利根屋も同感のようで、倒れたまま二回頷いて答えた。
お互いふらふらになりながら、やっとで立ち上がる。
「証言はするんですか……?」
「それは」
――しない、と利根屋はかぶりを振った。大淀はその底意がわかりかねた。
「一体、なぜ。あなた私に恨みでもあるんですか」
「責任を認めたら、降格になる。またヒラ巡査に逆戻りだ」
「だからなんです。何年か我慢すれば、また」
むりだ、と利根屋が遮っていった。
「あたしはな、同心学校もビリッけつ、刑事昇進試験も合格に二年かかった。首席卒業の優等生のあんたとは違う」
「ちがいませんよ! 一生懸命勉強して、学問に精進すればいいんです。私が教えます、なんでも……」
二人の視線がしばしのあいだ結びあったあと、利根屋がすっと視線をそらした。
バットが投げられたのは、そのときだった。
ぼうっとする二人に、吟味与力・安藤がいった。
「おまえら、やるならそれでやれ。そのほうが勝負が早いわい」
二人はバットをみて、沈黙した。
利根屋は、バットを見続けている。
大淀は、息をのみ、口中の唾を飲み下した。
「あんなのばかげてる」
やっといった。
「利根屋さん、冷静に。私が言ったとおりにしましょう。そうすれば二人とも、助かるんです。相棒作戦です。私たちは、友達ですよね?」
利根屋の目元が、影になって見えなかった。正午近くになり、太陽は真上にあった。
「あたしは」
利根屋の答えがでた。
「その言葉が嫌いでね」
利根屋は走った。大淀も。
バットが近づくと、お互いの距離が近接する。
「おらあ!」
頑丈で体重のある利根屋のタックル。
大淀は吹っ飛ばされた。
「うっ、痛だだだーっ……」
すりむいた箇所を押さえながら立ち上がる。
すると――。
目の前に、金属バットを撫した利根屋が立っている、ということになる。
「大淀。死ぬときがきたぜ」
「と、利根屋さん。話し合いましょう」
大淀は汗をかきながら、利根屋をなんとかなだめようとした。切り揃えたおかっぱ頭から、汗がとめどなく垂れてくる。だらだらだらだらだら。
「はあ? 話なんかするわけねえーじゃん。あたしはくされ外道なんだからさあ」
「あれは、言葉のあやです。いまは二人で、解決策を見つけましょう。ね、そうしませんか?」
「このクソボケが……覚悟しやがれ!」
利根屋は、金属バットを太陽に振りあげた。
「わあっ」
大淀はさけんだ。死んでしまう。殺されてしまう。
そのときだった。
――あれっ。
急に、世界の流れがゆっくりになったように感じた。時間が急に遅く経つ。
――いや、ちがう。
大淀は思った。これは、考えてるんだ。
死の恐怖で、思考の速度が速まったものか。
大淀は、利根屋をみた。バットをまっすぐ振りかぶり、打ちおろす構え。大淀はとっさに計算した。
バットの重量。二百四十匁。
手首の位置。高め、やや後ろ。
左足の位置。手前。
腰の位置。高い――。
身体が動いた。高速化思考が終わり、世界の体感速度がもとに戻る。
「死ねえー!」
バットを振りかぶった利根屋の手首を、大淀がぱっとつかんだ。足をかける。腰をのせる。
支点、力点、作用点。
気付くと、利根屋、宙に居た。
「わっ、わっ、わっ……」
「でりゃあーっ!」
ずしゃーっ、と地滑りの音がして、玉砂利を敷き詰めた庭に二十尺ほどの細長いトレンチができた。その先端ところで、バットを持った利根屋が仰向けに倒れている。ばたっ。
「利根屋さん……あなたはまちがえた」
大淀は呼吸を整え、襟を直しながら小さく呟いた。柔術の単位を取っといてよかった。
「大淀、大淀」
一部始終を観察していた奉行・長常が、床几の上から扇子をもった手で手招きした。近う近う。
大淀は縁の前に行き、膝をついた。
「見ていたぞ、見事な一本背負いじゃ。いや、実におもしろかった」
「はっ、光栄です」
抑えてはいるものの、頭を垂れている大淀の面上には、うっすらと喜色がある。なんとかなるかもしれない。
「得物を手にした大兵のものを、間際でかわし、よくぞ投げた。わしも長く奉行をしているが、あれほど鮮やかな背負い投げは見たことがない。やはり人間、生くる、死ぬるの瞬間にこそ技芸の冴えが出るものよ。のう、安藤」
「仰るとおりにござります」
吟味与力・安藤は深々とお辞儀をした。そのころ、利根屋が起き上がり、足軽二人が肩を負い、縁側のところまで連れてきた。時を同じくして、屋敷の小物が奥から現れ、長常に何やら耳打ちした。奉行は床几からゆっくりと立ち上がった。
「なかなか見物であった。さて、わしは忙しい。安藤、あとはそのほうに任す。わしはオリンピック警備の会議に行かねばならん」
「はは、道中ご無事にと念じ奉りまする……。あの、時に両名の処置は、いかが取りはからいましょうや」
「ああ?」
長常はもう、興味がほかに移っているらしい。立ち止まることもなく、肩越しに振り返り、喉首のところで手を左右に振った。安藤はその意を汲み、長常が去るのを待って、二人に向き直った。
「おまえら、クビだ。二人とも出ていけ」
「ええーっ」
まあ、そうなるな。