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橘家の人人・ドゥームズデイ  作者: 佐々原廠
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第四話「町奉行」


 見た目とちがい、二人のけがは軽かった。

 翌日、大淀と利根屋は、頭や身体に包帯を巻き、それ以外は平素と変わらぬ様子で、奉行所の門をくぐった。

 彼女らの上司である、筆頭与力・酒井玄蕃は、二人をすぐに自分の室へ招じ入れ、昨日二人を襲った災難を気の毒がり、医者代の肩代わりを申し出るとともに、危険な任務につかせたことを謝った。……わけはない。

「この恥さらし、ばか、くそったれ!」

 与力は激怒していた。

「ちくしょ――、クソクソクソクソクソ。まったく、あきれはてた奴らだ。あんなかんたんな任務ひとつもやれんのか。いいか、命じたのはこうだ。会場で、台の上に立ち、そのまま立ってろ、だ。だれがカチコミをかけろと言った! だれが銃をぶっ放せと言った、だれが返り討ちにあえと言った、だれが新聞に……」

 掲載されろと言った、と酒井は、机の上に今日の朝刊を叩きつけた。リョナラー歓喜、北町奉行所女刑事のチームが間違えてボコられた件、画像あり。

「さ、酒井さま、あのっ、聞いてください。これはその、じ、事故でして」

「ええ――い、聞きとうない聞きとうない聞きとうない。勝手にしゃべりくさるな、ぼけ! 酒がまずくなる」

 酒井は茶碗の酒をぐっと呷り、一息に飲み干した。この時代、勤務中の飲酒は現代ほど問題行為ではなかった。

「あのー、発言してもいいスかね?」

 利根屋が軽く手をあげて、酒井にいった。酒井は良いとは言わなかったが、利根屋は勝手にしゃべった。

「今回のことはですよ、ハッキリ言って向こうに非があるんです。あたしらは奉行所の刑事と名乗り、大淀はバッジ見せて、十手まで見せたんですよ。それを向こうは信じないで、暴行したんです。あたしら被害者ですよ? 今からでもガサ入れて、ブチ込んだったらええじゃないですか」

「そうです、捜査官に対する暴行です。重罪です。死刑です」

 大淀も、利根屋に便乗していった。だいたい、奉行所の正規の部隊が最初から警備をしていれば、ああいうことにならなかったと思う。刑事とコスプレの区別がつかないボランティア部隊ではなく……。しかし幕府は財政赤字で、奉行所の予算は微々たるものだから、部隊を出す、などというのはよほどでなければできないのだ。

 与力・酒井は、そういうことは言っとりゃせんぞ、と茶碗を音高く机に置いた。

「おまえら、刑事だろうが。刑事というのは賊どもに恐れられ、市民に畏怖されにゃいかん。なるほど、近藤とかいうボランティアの奴らもわるいが、そんなへなちょこ連中の五人や六人、叩き伏せられないでどうするんだ」

「ならあんたがやんなさいよ!」

 言われて、利根屋がまた怒っちゃった。

 ――がまんしてなきゃマズイですよ。

 大淀が袖を引いたが、彼女は聞かなかった。古来やくざ者の数が多く、荒っぽい上州の風土でそだった利根屋は、もともと喧嘩っ早いのだが、昨日、今日とでいろいろあったせいで、スイッチが入っている。

「ひとりで殴り込みへ行ってこい、敵は試衛館ぞ。そんでケツ掘られて帰ってこい、オカマ」

「なんだと。きさまわしを舐めとるか」

「うっせー、ボケ! だいたいなんだよ、そのふざけた口ヒゲは。むかつくんだよ、犬のクソみたいな形させやがって」

「な、な、な……」

 酒井は面罵され、顔色をうしなった。屈辱で、指がわなないている。

 大淀は、利根屋に抱きついて止めた。ただでさえ不祥事を起こしたのに、さらに不興を買ってはどうしようもない。

「やめてくださいっ、利根屋さん、相手は酒井さんですよ。筆頭与力さまですよ」

「ボケナス大淀、酒井がなんじゃい、大淀、おまえ酒井のケツ掻いとるんか。このやろー、大淀ビッチ、ビッチビッチ、ビッチッチ」

「酒井さま、あの、ひとまず失礼します。ただのヒステリーです、一時的なものです、要は年齢からくるやつです、利根屋さんもほんとには思ってません、ヒゲはなんでもありません、それじゃ……」

 大淀は利根屋を羽交い締めにしたまま、ふすまをこじ開け、ワーッと騒いでいる同僚の口を押さえながら、退室していった。ピシャッとふすまが閉まり、酒井与力はやっと我に返った。引き出しから手鏡をだした。

「犬の……そんな形してるかな」


 数日の謹慎処分ののち、査問会の日取りが決定した。その日、大淀と利根屋は正装して、町奉行の役宅へ赴いた。

「お互いをかばい合うんだ」

 利根屋はいった。女性の平均身長より頭ひとつ分背の高い彼女は、裃をつけた姿が役者のようにはまっている。

「奉行所も人手不足なんだ。チームの結束の固さを知れば、粗略にはできない」

「そういうものですか?」

 大淀は、この種の呼び出しを受けたことが訓練生時代も含めて一度もなく、緊張で青ざめた顔を利根屋に向けた。

 利根屋は、わりに平然としている。信じろ、といった。

「名付けて、相棒作戦だ。あんたは、あたしをかばう。あたしはあんたをかばう。バックアップ戦術でいこう。こう言うんだ。すべての責任は、自分一人にある」

「すべての責任は、自分一人にある」

「あー、まあ、最初はそんな感じかな? 本番ではもっと情をこめて言うんだよ。練習しといて」

「わかりました」

 二人は、屋敷の中庭に通された。犯罪者と同じ扱いである。

 暑い日の昼前で、大淀は額からぽつぽつと汗を垂らした。呼吸が、はあ、はあ、というものになっている。大淀は肌の色素がうすい。暑いのは苦手だ。

 利根屋は、口をへの字に結び、澄ましている。

 やがて、小者の声がかかった。

「お奉行さまのお出まし」

 二人が平伏するのと、奉行らが出廷するのが同時だった。濡れ縁の上を流れていく衣擦れの音が止まり、奉行が着座したと思われた。

「あの身体の小さい、撫で肩なのが大淀。あの男みたいなのが利根屋にござります」

 吟味与力・安藤日向が、吟味衆を代表して二人を指した。奉行は中央の椅子にいる。ほかは床に座っている。

 時の奉行は、小笠原長常である。

 三千石の旗本格で、官位は長門守。この場の全員にとり、雲上人である。

「面をあげなさい」

 奉行・長常は、二人の同心を席上からゆっくり検分したあと、やっとそれを許した。

 ――か細げな声だ。

 大淀は意外に思った。

 奉行所のどんな下僚でも、自分の組織の長官である長常の経歴ぐらいは知っている。大老・井伊直弼の時代、京都町奉行の職にあり、安政ノ大獄の実行者になったのがこの人である。

 顔も柔和で、うりざね形のいわゆる貴族顔である。

「今日はあつい……」

 日除けを出しなさい、と命じた。

 中間小物が走り、青々と葉のついた数本の柳を庭に植えた。二人は日陰に入り、大淀はやっと息がつけた。

「始めよ」

 長常は手を軽く回し、せんべいを口に放り込んだ。時代劇の「大岡越前」や「遠山の金さん」はわたしも好きだが、実際の裁判では、奉行というのはほとんど見物客みたいなものだったらしい。


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