第十七話「作戦会議」
それからしばらくのあいだ――。
保安官事務所に立てこもった凛・大淀と、一揆勢とのあいだに目立った衝突はなかった。
外は依然、むしあつい。
「絶対、外になんか出ていくものか」
エアコンのきいた事務所のなかで、凛はカラシニコフを引き寄せ、断固とした口調でいった。室温、十九度。冷え性の大淀にとっては、すこし肌寒い。
「ねえ、凛、これからのことですけど。いまから、あなたが頼んだ食糧を農民がもってきて、あなたが食べるわけですね」
「うん」
凛は式台の上にあぐらを組み、カラシニコフの銃尾を床に立てて、うなずいた。
「で、そのあとなんですが、どういう計画なんですか?」
「計画?」
凛は、きょとんとした顔をむけた。
――やっぱりなにも考えてなかったんだ……。
大淀はその表情で察したが、一応重ねていってみた。
「えーっとつまり、ピザを食べてコーラを飲んで、そのあとどうするか、どうなるかってことです」
「うーん……」
凛は腕組みをして、しばし考える顔をしたあと、やがて思いつき、ぱっと手を打った。
「あっ、そうだ。お風呂にはいりたい!」
「なるほど……」
大淀は片方のこめかみを押さえて、凛にいった。
「それはいい考えですねえ、凛。ではそれも一揆勢に用意させましょうか。いまから入浴をする、風呂の支度に三人だせと?」
「やだなあ、保安官さん。三人も必要ありませんよ。ここには設置が簡単、安全、安い、ディーゼル電気ハイブリッド給湯機ユー・ボート七型がありますからね。お風呂掃除の人数一名で充分です。いますぐのお電話で、設置料金含めたお値打ち価格、四十九万八千円……」
「そういうことじゃな――い」
凛には皮肉は通じない。この地方は、江戸風の諧ぎゃくを解する文化がちょっとうすい。
「まったく、あなたの頭はどうなってるんですか、いい加減にしなさい。喧嘩相手のお風呂場掃除するばかがどこにいますか、このぼけっ」
「ひどいっ、そんなに怒らなくても……じゃあどうすればいいんです?」
凛にきかれて、大淀はちょっと考える顔をし、そうですねえ、と口元に手を当てた。大淀は江戸市中での勤務経験しかないので、村の一揆と向かい合ったことはない。
「まず、農民の要求をいくらかは受け入れ、彼らを解散させます。その後、責任者をつかまえ、何らかの処罰を……」
そのとき、事務所のドアのピンポンが鳴った。凛は喜色を浮かべ、立ち上がった。
「あっ、ピザがきた!」
「こら、聞きなさいっ。まったく、最近の子どもってのは……」
凛はドアをあけ、ピザの箱を受け取って、にこにこしながら式台の上にもどった。
「あのう、八十文になりやすが」
ピザ屋のいう額を、大淀はこわい顔で支払った。これはぜったい、だれかに請求してやる。
凛は、よく食べる。
「まあ、食べながら考えましょうよ。あしたのことは」
ペパロニチーズをかじりながら、凛はそういった。大淀は巾着袋を懐にもどしながら、ぼうっとしてたずねた。
「あした?」
「うん」
凛は夢中になって食物を口に詰めている。
「あしたって、なにがあるんです?」
「いや、だって」
凛は口のなかのものを飲み込み、コーラのペットボトルをあけた。
「なにをするにしても、今夜中にアレを収めるのはむりですよ」
「つまり、あしたも一揆が続くわけですか」
「あしたっていうか、しばらく続くんじゃないかなあ。一揆ってのは一度起きたらそう簡単には収まんない」
「質問を変えましょう。じゃ、我々は今夜も、あしたの夜も、あさっての夜も、当分ここに立てこもって暮らすわけ?」
「そういうことになりますね……」
凛は食べる手を止め、そっとピザの箱を閉じた。食糧を節約したつもりだろうか。
もっとも、数分程度の時間のうちに、すでにほとんど食べ終えている。
目がすこし、とろんとしていた。
「凛、ねむいんですか」
「まあ、あれですね」
凛はうつらうつらとしながら、手枕をしてごろっと寝ころんだ。
「どうせわたしだけじゃあ決められないし。勝手に交渉したら、姉さんに殺される……」
「ちょっと、凛。起きててくださいよ」
まとめると、凛はピザを食べ、コーラを飲んだあと、冷たい床の上に寝転がったことになる。完全に寝る体勢になった凛をみて、大淀はあわてた。外では一揆勢の数が増え、たいまつの火がどんどん集まりだしてきているのである。
「ねえ、彼らが突入してきたらどうするんです」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
凛は寝転がったまま、手を宙にのばし、二、三回ぶんぶんと左右に振った。
「そんなの、わたしがやっつけてやる。心配するなあっ、スヤア……」
凛のうでが、ぱたっと床に落ちた。同時に寝息がし、ついで、ぐぐう、ぐぐう、といういびき声が始まった。
「ばかっ、起きなさい! くっ、やはり罠だったか……」
大淀は凛を起こそうと身体を揺さぶりながら、式台の上に置かれているピザ箱とコーラを横目でみた。睡魔をさそうなんらかの薬が仕込まれていたのにちがいない。
凛のいびき声は、事務所の外にいた農民たちにも聞こえた。
「しめた、凛さまは眠ったぞ」
その断続的な低い響きを聞いた農民たちは、顔を見合わせて、笑いあった。
「うむ、思った通りじゃ」
ピザを届けさせた農民三ノ吉は、満足げにうなずいた。まわりの農民は三ノ吉を見やり、おいおいと袖を引いた。
「三ノ吉、おめえまさか、凛さまの食事に毒でも入れたんじゃあるめえな」
「なんだと、みの、そりゃやりすぎじゃ」
「ばか、そんなことができるか。ご領主さまに殺されるわい」
「じゃあ、なぜ凛さまは眠ったがじゃ」
「あたま使って考えてみい、涼しい部屋で腹一杯食って満腹すりゃあ、だれだってまぶたが鉛みてえになるわいな」
「なーる……」
要は、ごくふつうに食事を差し入れ、飲食させただけだった。古くから、農民はよくこの手のことをして、落ち武者を捕まえたり討ち取ったりした。農村の知恵といえる。
農民の軍議は、それぞれの目標に対する処置の仕方に話題を移した。
「凛さまは、いっぺんお眠りになったら当分目を覚まさんお人じゃ。いまのうちに縄をおかけし、生け捕ってしまおう」
「おお、そうじゃ。凛さまが人質となりゃァ、ご領主さまも譲らざるをえまい。保安官はどうする?」
こちらについては、凛に対する過保護なまでの取り扱い方とは逆に、きわめて冷淡であった。
「人質は一人でええだよ」
「役人は、ほかにいくらでもなり手があるわ」
「そうだな。めんどうだ、討ってしまえ!」
そういうことになった。軍議は終了した。凛は生け捕り、保安官は殺す。




