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橘家の人人・ドゥームズデイ  作者: 佐々原廠
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第十一話「りん」


 そのまま二十分ほども走ったろうか。

 カーブの多い山道、棚田の列を抜けていくと、徐々に人家がちらほらと見えてきた。いずれも茅葺きだが、江戸の町屋に比べると大振りな民家が多い。どの家も塀は作らず、生垣を巡らしてある。江戸近辺だと、牛込や八王子あたりの郷士の家屋に似ている。

 ある家の前で、車は停まった。

 質素なつくりの田舎屋敷というところでは周囲の民家とかわりはないが、庭に矢竹が植えてあるのがパトカーの窓から見えた。

 矢竹は、武家が植えるものである。

 古い時代、弓術の矢の材料として植えられたのが始まりで、現代ではまさか弓矢を作ったりはしないが、武家の象徴として受け継がれている。武士の家のことを「弓矢の家」ともいうのである。

 竹にはそんな意味がある。それが植わっている。

 パトカーのドアが開き、銃を持った農民が筒先を横に動かしながら大淀に指示をした。

「おい、降りる、早くする」

「はい、わかりました。はい」

 屋敷の門は扉のない所謂サの字門で、それをくぐるとき、門柱にかけてある表札がみえた。橘、とある。

 ――名字があるのか。橘ノ庄、というのはこれかな。

 里の名前と同じであった。地方に行くと、旧家の名前がそのまま地名になっていることが多い。その逆も同じである。

 ともかく、名字を許された名主か庄屋の家であろうと大淀は考えつつ、背中を銃口で突かれながら、ひかれていった。ちなみに江戸時代、村指導者の呼称は各地方で違うのだが、会津地方では郷頭といった。読みがちょっと分からない。さとがしら、だろうか。

 まあ、読み方はともかく――。

 大淀は、茅葺き屋根の古民家のまわりをぐるりと回って、裏庭にまわされた。

 途中、かぼちゃやら茄子やらが植わっている畑があったり、干し柿が干してあったり、見たままの農家であった。

 物置小屋のまえに色あせた軽トラ一台。コンバインなどを積み降ろす際に使うスロープが水場で洗って立てかけてある。

「えっ、なんて言った?」

 二人の農民と一人の虜囚が、しずしずと歩いて裏庭まできたとき、人の声がした。女の子がいる。

 電話で話していた。

「一体またなんでそんなことに。あーっ、はい、そりゃ分かってるけどっ」

 ぬれ縁に腰かけて下駄ばきの両足を出し、淡い水色の無地の小袖に、赤いたすきを左右へ回し掛けている。帯は白く、紺色の山袴。つやのある髪を後頭部で一本に束ね、和紙と水引の小さな髪留めで結んでうなじへ垂らしている。

 ――田舎だなあ。

 風俗が江戸とはちがう。動きやすく、簡単な格好。ジャージとハーパンみたいなものである。

 農民たちは、電話が終わるのを待っているらしい。大淀をあいだに挟んだまま、庭に突っ立っている。

 大淀も突っ立っていなくてはならない。あつい。

「そっちでなんとかできないですか? いや、だっていま、家にわたししか居なくて。ん、もしもし? ……切れちゃった。はあ」

 女の子は、ケータイのボタンを何度かいじったあと、空に高くかかげたり、左右に揺すったりしていたが、再度画面をみて、

「もう!」

 怒った声を出し、ケータイを折り畳んだ。山のなかは電波が通じにくい。

「出かける。高井戸の田んぼで喧嘩だって。ええいまったく! なんでわたしがこんなことしなきゃいけないんだ」

 女の子は立ち上がり、奥のほうへ行った。戻ってきたとき、カラシニコフ自動小銃を肩にかけ、予備の弾倉・三十発入りのもの一個を懐に入れ、もうひとつを銃本体に差し込んで装填した。大淀は背筋が凍った。本当にこわい。

「このあついのに、なんで喧嘩なんかするんだろう。みんな頭がどうかしてるんだ。よくないことだし熱中症になるかもしれない。脱水症状でさいあく死ぬこともあるんだ。その人だれですか」

「わかりません」

 ショットガンを持った農民が答えた。まわりの人間全部がなにかしらの銃を持っている。

「これから調べます。当人が言うには、新任の保安官。御領主様を探しているとか」

「姉さんを?」

 女の子はカラシニコフを自分のうなじに当て、両腕を背中側から回して組みながら、大淀に近づいた。鼻先が接するほどに近づくと、鳶色の丸い眼を細めて、大淀の頭のてっぺんからつま先まで、物を読みとる機械のように入念に目線を上下させた。二往復。

 終わると、カラシニコフを肩に掛け直す。

「ちょっと!」

 それから、大淀の悲鳴が湧いた。女の子は、大淀の着物の襟をさっと開くや否や、胸元に顔を入れ、その匂いをかいだ。

 数秒つづいた。

 ――なんだろう、なんだろう。

 心臓がどっどっ、どっどっと早鳴った。

 今度はその音を聴いているらしい。

 女の子は耳を胸に当て、音にあわせて瞬きをしたり、眼を左右に動かしたりしている。

 それが終わると、襟をなおした。

「わたしは、りんです」

 簡単に名乗った。

「お、大淀……つかさです。橘ノ庄保安官」

 大淀もつられて名乗った。

 なお、当時の女性は漢字名を持たないのがふつうで、この「りん」の場合もそうなのだが、ひらがなの名前ですと文面がとても読みにくくなりますので、便宜上、凛、という字をあてさせてもらい、書いていくことにする。

 で、その凛――。

 農民二人にすばやく指示をした。

「丹後、万作、あんたたちは姉さんを探しにいって。わたしは喧嘩の仲裁に行かないと」

「わかりました。けどその仁は宜しいんで」

「この人はうそはついてないよ。ところでその荷物は?」

「はあ、調べようと思って持ってきたんですが、そこのお人の持ち物です。パトカーのトランクにありました」

「じゃあ、それは置いてって。速やかに姉さんを探し出し連れ戻すんです。あの人が出かけてから毎日もめ事続き、もううんざりだ。パトカーは乗ってっていい」

「御意にござる」

 農民二人は足早に駆け、出ていった。

「ちょっと、手錠、手錠っ」

 大淀がわめくと、一人が戻ってきた。外して、また出ていくと、エンジン音と、パトカーが走り去る音が聞こえた。大淀は凛に抗議した。

「どういうつもりですかっ、勝手にわたしのパトカーを。あれは公共の財産ですよ。それを横領するなんて許されない、逮捕ですよっ。おっと……暴力はやめましょう。はははは、横領なんて大したことない、みんなやってます。それにあなたは未成年ですしね、大目に見ましょう」

 凛がカラシニコフを肩に担いだので、大淀はパトカーのことはわすれた。凛は大淀の荷物をあけ、着るものを取り出し始めた。家紋の入った黒絽の羽織、白の小袖と帯、仙台平の袴、下帯、靴下……。

「あ、あのー、それは取られると非常に困るんですが……」

「大淀さん、でしたね」

 凛はバスタオルをトランクケースの底から見つけ、それを大淀に投げ渡した。大淀はそれを受け取ったものの、なんの意味かがわからず、眉を寄せた。凛はいった。

「そこで水を浴びてきてください。ちょっとくさいです」









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