2.名付け
「ヤバい!!」
翌朝、俺は焦っていた。昨日はそれなりに早く帰ったはずなのだが、ゆーちゃんの可愛い笑顔を思い出し、ニヤニヤしたり、色々していたらすっかり遅くなってしまった。色々の内容はみなまで聞くな、である。既にいつも家を出る時間だった。超特急で支度をして、家を出発した。
いつもより2本ほど遅い電車に乗って、急いで会社に向かう。駅で早足で歩いていると前を歩く女の子が何かを落とす。紙?いらないものかもしれないし、今俺は急いでいる。スルーだ、スルー。そう思ったはずなのに、なぜか俺はその紙を拾って中身見ていた。あ…この先生、知ってる。っていうか大学の恩師だ。厳しくて有名だったなぁ。書き込みがしてあってかなり勉強してるっぽい。でも、そんなこと考えてる暇ないんだった。
「落としたよ?」
俺は女の子を呼び止めて、紙を渡す。
「あ、今日のテストのヤツ!ありがとうございます!」
「お、やっぱりゼミ生だったか。問5は必ず引っ掛け問題だから。テスト頑張ってね。」
「あ、あの…!」
俺は笑いかけて、彼女に紙を渡すと早足で立ち去った。彼女、綺麗だったな、考えながら俺は走った。なんとかセーフ。ギリギリ就業前だ。本当はダメだけど。今日の予定とメールをチェックして俺は仕事を始めた。
今日はなんだか大学に縁があるのだろうか?母校のそばの会社にきていた。
「この辺りも久しぶりだなぁ…。」
ひとりごちて歩いていると、近づいてくる人影。
「やっぱりそうだった、今朝の…。」
「ん?あぁ!今朝の!」
今朝、落し物を拾った彼女だった。なんでわざわざ。しかし、よく見つけたな、イケメンでもなんでもない平均顔の俺を。
「後ろのポッケ、出っぱなしですよ?」
彼女は笑いながら言った。どうやら後ろ姿を見て指摘したかったのだが、俺は行ってしまったらしい。っていうか、誰か言ってよ!会社の誰か!!ちょー恥ずかしいじゃん…。取引先行く前で良かったけどさ。綺麗な子に指摘されるのとおっさんに指摘されるのはメンタル面で違う。
「あぁぁ、ありがとう。わざわざこれのために?」
俺は苦笑して彼女を見ると、彼女も笑いながら言った。
「これだけじゃなくて。テスト、さっきやったんですけど、本当に引っ掛け問題出たんですよ。言った通りで笑っちゃって。先生のことも知ってるみたいだったし、もう少し…お話してみたいなって。」
先生、変わってねぇな。
「俺もここの卒業生だしね。これからちょっと行かなきゃいけないんだけど、終わったら昼食べるつもりなんだ。時間空いてたら一緒にどう?」
自然と口が動き、俺は人生初のナンパをしていた。しかも仕事中に。
「授業のこととか聞きたいし、時間はあります!」
彼女は笑った。いい顔してる。しかも美人。…いい。
「じゃあ、1時間…半後に学校の広場にいて。迎えに行くよ。」
そう言って俺は用事を済ませに行った。
用事を済ませ、学校の広場に行くと彼女はベンチで本を読んでいた。広場にある木々と本と美女。絵になる。写真に収めたいくらいだが、それは犯罪になりうるので辞めておいた。後で承諾得ればいいんだろうけど、念のため。俺に気がつくと彼女は手を振った。俺も振り返す。あぁ、キュン死ってこういうシチュエーションなんだ…。俺は幸せを噛み締めながら、彼女に声をかける。
「待たせちゃった?じゃあ、行こうか?」
「待ってませんよ。どこ行くんですか?」
彼女はニコニコとして言った。…どうしよう、昼に誘ったはいいけど、どこに連れていけば…。俺の学生時代といえば、コンビニのおにぎりかカップ麺、時々学食やラーメン屋。そんなもんだった。美味しい店や女の子を連れて行ける場所なんて知らない。どうすべきか…そう思案してるはずなのに俺の口はまたもや勝手に動き始めた。
「裏路地に喫茶店があって、そこのパンケーキ、俺らが学生の時からあったんだよ。今のブームがくる前から隠れた名物だったんだ。久しぶりに行ってみようと思って。」
「わぁ!私パンケーキ好きなんです!でも混んでるお店とか行く勇気はなくて…。」
「じゃあ、行ってみようか。」
「はい!」
つらつらと出た言葉に俺は動揺しながら歩みをすすめる。そんな店あったっけ?頼む、あってくれ。今の俺には彼女の笑顔がツライ。しばらく歩くと俺の足はピタリと止まり、横を見ると喫茶店があった。素通りしそうな外見である。
「ここだよ。」
そう言って俺達は中に入った。店内はレトロモダンな雰囲気で、落ち着いていた。決して汚いわけではなく、そして浮ついていない。大人の空間という雰囲気だった。すごい穴場だ。ここまでデキる子になってしまって自分が怖い。なんか俺、特殊な能力身につけた…?
「いい雰囲気のお店ですね!なんだか大人…色々知ってて、さすが先輩ですね?」
彼女の言葉で思考は中断された。
「あぁ、まぁね?注文しようか。」
彼女はパンケーキを、俺はナポリタンを注文した。注文を待つ間、自己紹介をした。
「ゆうなちゃんか。」
「えぇ。みんなはゆうって呼びますよ。」
またもや、ゆうちゃんだ。彼女は1年生で俺の後輩だった。相変わらず先生は厳しくて、皆授業ではヒィヒィ言ってるらしい。目に浮かぶわ。俺も数年前はその1人だったのだから。先生の話や授業の話をしているうちにあっという間に時間は過ぎた。
「時間、大丈夫?」
俺がゆうちゃんに聞くと、
「あ、そろそろ授業が。えっと、あの。」
「あぁ、ここは奢るよ。あと、良かったら連絡して。俺のID。先生の傾向と対策くらいは相談に乗れるし。」
俺はスマホを出してゆうちゃんに見せる。
「ごちそう様です!待ってくださいね?えっと。」
スマホを取り出し操作している。ゆうちゃんのスマホの待ち受けは猫だった。
「猫、好きなんだ?」
「えぇ。実家で飼ってる仔です。お好きですか?」
「うん、俺も飼ってる。」
「え、どんな仔ですか?」
「オッドアイの黒猫。後で写真送るよ。仕事中はあんまり連絡できないかもだけど、必ず返事するから。じゃあ、授業頑張ってね?」
俺は手を振ってゆうちゃんを送り出した後、コーヒーを飲む。…美味いなここのコーヒー。それにしても俺、猫なんか飼ってないのに。なんであんなことを。今夜仕事終わったらアイツ探してみよう。
そして帰り道、俺は猫缶を持っていつもの公園に行った。
「おーい、黒猫!猫缶だぞ?今日はいないのか?」
猫に話掛けてる、俺。ちょっとイタイ人だな…人が見てませんように。心中で祈りながら俺は黒猫を探した。すると、ベンチのそばにアイツはいた。
「お、そこにいたのか。今、缶開けるからな。今日は写真も撮らせてくれよ?」
俺は缶を開けてからスマホを出すと、またもや声が聞こえた。
「主の好きにしろ。ぬ?今日のは少し安いのではないか?供物ではないから文句も言えぬが…。」
また猫が喋ってる…。俺…ヤバイクスリにでも手を出したっけ?それとも全部夢?かわいい女の子達と知り合えたのも全部。あぁ、夢だから上手くいったのか。そんな考えを無視して猫は続ける。
「主よ、順調のようだが。まぁ、ハーレムには程遠いからなんとも言えぬか。こうして公園でのみ話すのも面倒であるし、我を連れ帰るがいい。」
「はぁ…全部夢かー。おかしいとは思ってたんだよなー。」
俺はベンチに腰掛け、項垂れた。
「ぬ?夢ではないぞ、主よ。主は我と契約したのだ。主は我の力を使い、雌に対して最適な行動を取る。そして雌を籠絡し、ハーレムを形成する。」
「は…?」
「実感しておらぬか?我と出会ってから主が思ったことや、しようとしたこと以外の行動をした覚えはないか?」
そんな実感は嫌という程、ある。時には紳士的に、時には調子よく、無自覚に動く口。
「じゃあ、あれは、お前の力…なのか…?」
「今更であるぞ?ハーレムを形成するのがひとまずの目標であろう?そして我は主を快楽で満たし、満足させる。契約を全うしたその時には主の命は我のもの。」
「ちょ、ちょっと待て!」
「主は言ったぞ。やれるもんならやってみろと。それに主は我の力をもう使ってしまった。今更破棄はできんぞ?」
黒猫のオッドアイが妖しく光る。俺はごくりと唾を飲んだ。
「破棄すると…どうなる?」
「代償としてすぐに命を頂くことになるが、熟す前で喰ろうても美味くないからな。また契約が出来るのはしばらく先であるし…。我としてもそれは避けたい。」
今、コイツ、喰らうって言ったよな…。それにどっちにしろ死ぬんじゃん、俺!いや、待て。全うした時とも言ったな。
「じゃあ、全うできなかった場合は?」
「それはないとは思うが、全うできず、期限が来た場合、我は主の命を喰らうことはできない。例え主が我の力を使っていたとしても。」
「期限もあるのか。期限は?」
「この仮初めの器が持たなくなるまで、だな。我には細かい時間はわからん。」
猫缶を食べ終えた黒猫は毛づくろいをしながら答えた。
「じゃあ、期限が来るまでに俺が死ぬほどの満足をしない限り、モテモテになろうが、ハーレムを作ろうが、死にはしないってことでいいのか?」
「そういうことになる。そうならないよう我は契約は全うする。心で思っても契約は満了となる。今日は焦ったぞ。主は満足しかけていたからな。この程度で満足されたら、美味くもなんともない。」
口のみの否定はできないってか。そりゃそうだな。今日、満足しかけ…あぁ。キュン死しそうって思った時か。…あぶねぇ!本当に死ぬところだったのか…。しかし考え方を変えれば俺は満足するまで夢のモテモテ生活を楽しむことが出来るってことか。悪くはないな。むしろ好条件では?俺が満足しなければだが。
「そういう訳だ。我を連れ帰れ。」
黒猫はお行儀よく俺の膝に座る。行動はものすごく可愛い猫なのだが、本当、話の内容さえなければ。
「うち、ペット禁止な。」
「我はペットではない。それに我を猫と呼ぶのはやめろ。」
「じゃあなんて呼べばいいんだよ?」
「我に名はない。主がつけろ。」
またもや妖しく光る両の目を見て、俺は言った。
「…………オッド。オッドアイだから、オッドな。」
「…………………主、感性のかけらもないな。」
「うっさい!!」
俺はオッドを抱きかかえて家路に着いた。
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