渦中へ 2
(空気が変わったな……)
トマスはいつでも動き出せるように掌中の暗器を親指の腹で撫でた。ピアスは慣れているから顔にも出ないが、残りのメンバーはガチガチだ。実戦経験が足りなさすぎるせいだ。
他にも似たような輩がちらほら居る。それが仕掛ける側かどうかは分からない。乱戦になればまず初めに死んでいくのは中途半端に未熟なこういう奴らだ。一応記憶の隅に置いておくとして、トマスはもう一度戦盤を頭に思い浮かべた。
(このような場で一番警戒されずに不意を討てるのは誰だ?)
トマスの頭にアウグストの声が響く。
『王族だ。武器を持ち込めるし、下手に疑えまい? わざと疑わしい素振りをして罠を張り、問い質してくる者を政治的に葬ることも可能だ。くく、王族は楽で良いな』
(想像の中でも余計なことばかり口にするな、アウグストは。そう、王族だ。セリーヌ、エヴァンジュエルが怪しい。女はドレスの内側に何を隠しているか分からない)
『それと伯爵以上の上級貴族だ。金もコネもあるし、無理を通せば身体検査をすり抜けられる。何より貴族席からならどこもかしこも狙いやすい。他の貴族を肉壁にすれば挟撃も受けにくいし、な……』
(ダヴェンドリ本人か子飼いの貴族が何らかの手段で攻撃してくる可能性があるな。一階の客席もそうだ。ただし、あちらには医者を紛れ込ませてある。あいつは客席全員を抑え込めると豪語していたから、任せても良いだろう)
トマスはつま先に力を入れて長靴の具合を確かめた。
石床に掘られた細かな溝から油を流して火を放つ仕組みは全て内側から壊してきた。隠しレバーを引いてもどうにもなるまい。ひとまず広間が火の海になる心配はない。
(とりあえず、妙な動きをした奴から殺すか……。いや、ダメだ。今回は護衛任務だ)
◇◆◇
ギュゼルが黒絨毯の道を進み、白壇の前で膝を折った。その後ろに黒術士の正装をしたハリエットが杖を持って同じく膝を折る。
「アウストラルの民に告げる。今日、第三の姫ギュゼルを正統な王位継承者とし、その順位を三番目とする」
「!」
ギュゼルの目が見開かれた。
朗々と謳いあげたコルネリウスはさらに続けて成人の儀にあたって訓辞を垂れたりしていたが、列席者らはひそひそと囁きあっていた。動揺はダヴェンドリ派の貴族たちに顕著で、エヴァンジュエルなど怒りで真っ青だった。
(お父様…!!)
中でもセリーヌの憤りは大きかった。
アウストラルの王位継承順は男子が優先され次に女子が年齢順に並ぶ。これは嫁いでからも変わらないものだ。それを破りギュゼルを三位に就けるということは、コルネリウスの愛がどこに向いているのかを国内外に知らしめることになる。
怒りは顔の表情を醜く見せるので、それだけは表に出さないのが彼女の常だったが、今回ばかりはそうはいかない。頬を紅潮させ、目を大きく開けたセリーヌはしかし、アイスブルーの瞳が怒りに煌めいてついぞとは別種の美しさを放っていた。
(良いわ、ギュゼルも、お父様も盤上から取り除いてしまえば、この場の者たちを皆殺しにしてしまえば、後は私を後継に指名していたのだとして押し通せば良いだけだもの。もう誰にも、逆らわせない……!!)
荘厳な楽の音が広間を満たす。国王コルネリウスはセリーヌと共に儀式のために白壇へと姿を現した。国王の側にはダヴェンドリ公爵、そしてキンバリー伯爵の姿もあった。
今日のセリーヌはまるで湖の貴婦人のような出で立ちだった。
総レースのドレスは水色の刺繍で飾り付けられ、涙のような真珠、水の粒のような水晶が縫い込まれている。身体にピッタリとしたドレスは裾と袖の終わりが湧き出す水のように広がっていた。
細い足から円みを帯びて持ち上がる美しいヒップライン、きゅっと絞られた腰と平たい腹から上は、さらに豪奢な刺繍に覆われている。いつもはぎゅっと寄せられ真上に膨らみを作るバストは、今日は自然のままの円やかな谷間を残していた。布で隠されていないその谷を水飛沫に似たアクアマリンと水晶の首飾りが濡らしている。
巻きの強い髪を編み込みにし、後ろに纏めて流しているセリーヌは神秘的な美しさだった。そのセリーヌが、ギュゼルへ授ける冠を、台座に載せて掲げ持っていた。
白壇の中央に跪くギュゼル姫と、一歩下がって同じく跪き杖を捧げ持つハリエット。そこへコルネリウスとセリーヌが歩み寄る。コルネリウスの枯れ枝のような手が、真紅の台座から煌めく冠を取り掲げた。
楽の音が一度途切れた。
「王の責において、三の姫ギュゼルを成人とみなし、ここに正統な王位継承の証である冠と、もう一つの名を授ける……」
セリーヌが後ろへ下がった。
コルネリウスが続けるより先に、向かって右翼の貴族席から出し抜けに立ち上がった男がちょうど尺骨程の長さの杖を中央に向けて叫んだ。
「【竜咆】!!」
杖の先から火炎の球が、迸りを伴いながら白壇上の二人へと走った。




