大魔導師
見渡す限りの灰色の空間……わたしはここを、知っている。
『久しいの、娘』
「大魔導師様!」
振り返ると、そこには十年前と全く変わらぬ大魔導師の姿があった。灰色のローブ、もじゃもじゃの白髪頭、何百年も生きているように見える老人だ。
わたしが生まれた日に側に居た、この世界の生き字引とも言える偉大な人物である。わたしは大魔導師様の前に跪いた。
『変わらぬな、娘』
「いえ、少しは成長しました。背も伸びましたし!」
『ワシの言うのは魂じゃい。穢れのない、曇りない魂じゃ』
「……でも、わたしは、悪いことに力を使ってしまいました。穢れがないとは言えません」
『ふむ。まあ良い。それよりも分かっておろう、もうすぐお前の魔力が充たされる』
「…………」
『ワシと共においで。この国を焼くより良いと思わんか?』
そう、もうすぐわたしの力が一気に高まる周期がやってきてしまうのだ。
このところ、陽の気を発散させてもすぐにまた魔力が溜まってしまっていた。きっと、近いうち、この体の全てに魔力が溜まって、羽もいっぱいになって、暴走してしまうのだ。そうなれば、王都は……。いいえ、そうはさせない! 今度は絶対に、同じ過ちは繰り返さない。
『十年前にも同じ問いかけをしたな。ワシとおいで。お前ならその体を炎に変えて、すぐにでも精霊になれる』
「しかし、しかし……。そうしたらわたしは……」
『然様、全ての記憶を喪って生まれ変われる。辛い思い出を捨て去れるんじゃよ』
そんなの、嫌だ……。
「嫌、です。この記憶を、喪いたくなんてありません。わたしの生きてきた道には、忘れ去りたいことなんてありません!」
『ほぅ……。ひとりぼっちだった幼少期も、酷い言葉を掛けられた子ども時代も?』
「それでも……それでも、わたしには愛してくれた家族がいます! それに、酷い出会いだけじゃ、なかった……」
『誰一人理解なぞしてくれぬだろうに』
ずきり、と心が痛んだ。
孤独に過ごした時間が長い分、わたしの心は内側へ向かいやすい。誰にも理解されないことなんて、わたしが一番、身にしみて分かっている。己を眺め、外を眺め、ヒトの輪に入りたいと願ってきたわたしを分かってくれるようなヒトはいなかった。
「……そんなの、誰だって同じじゃありませんか。心ごと渡すことなんて、出来ないのですから」
『世界を救いたくはないのか』
「……救いたい、です。でも、それは、わたしがわたしとしてやりたいのです」
重い溜め息が聞こえた。失望させてしまったろうか?
大魔導師様の言われる仕事は、それはとても大切で、重要なものなんだろう。けれど、今その勧めに従って、安易にそれに身を委ねるには早すぎる、わたしはまだ出来ることをやり尽くしていないと思う。
『では、好きにするが良い。じゃが、辛い選択を迫られる時が必ず来るぞ』
「そのときはきっと、より正しい道を選びます。どんなに辛くても、きっと」
『お前は頑固じゃな、娘。また会おう……』
「はい、大魔導師様!」
この選択が正しいとは限らない。けれど……。
忘れたくないものがあるから、わたしはわたしとして、生きていたい……。
大魔導師様の去ってしまった灰色の空間、夢の狭間で、わたしは目覚めを待つことにした。だが、どこからか、わたしを呼ぶこえがあった。
『ルベリア……』
「!」
この、声は……。まさか……!
『ルベリア……!』
「アウグスト様!」
振り向くと、わたしの殿下が微笑んでくださった。
別れたのはそんなに前のことではない筈なのに、何もかもが懐かしかった。鈴蘭の香り、揺れる黒髪、紫水晶の薄れえぬ輝きがわたしを見詰めていらっしゃった。
夢だと分かっていても、嬉しくて、涙が溢れてしまいそうだ。
もうお会いすることなど、叶わないと思っていたから。
「ああ、アウグスト様……。もう、会えないと思っていました」
『私もだ。だが、こうしてここに居る』
「はい……。嬉しい、です……!」
手を伸ばせば、アウグスト様も右手を伸ばしてくださった。わたしは、両手でその細い指を取った。
『ルベリア』
「はい、アウグスト様」
『お前を愛している』
「は、はい……」
『だから、私の腕で眠れ…』
「え?」
アウグスト様の左手が、わたしの胸に触れたかと思うと氷がわたしの体を貫いていた。心の臓から凍って、力が抜けていく……。変わらぬ優しい微笑がかえって寂しそうだった。
「どう、して……」
『魔女ルベリア、せめて私の氷で葬ってやろう。大丈夫、眠るだけだ……。永遠に覚めない夢の中で、一緒に居よう、ルベリア』
「嫌、だ……どうして……?」
『全てが炎に消えた。だから、魔女は処刑しないといけない、だろう?』
「うそ……嫌だ……いや……!」
『私が側に居る。だから、もう、全てを委ねて眠れ』
ぎゅっと抱き締めるアウグスト様の腕の中で、わたしの体は冷えていった。雪の華が……ちらちらと視界を舞う……。
「死にたく……ない……」
◇◆◇
「!!」
目を開けるとわたしはシーツの中にいた。
大きな鐘の音が響いている。
「は……!」
喉がカラカラで、随分と汗をかいていた。
ぎゅっと体を抱き締めると、呼吸が落ち着いてきた。夢だ、ただの、夢……。
「ああ、アウグスト様……。いやだ、いや……!」
死にたくない……。たとえ、アウグスト様にだとしても、殺されたくはない!!
「逃げないと……」
このままここに居ると殺されそうな気がして、わたしは急いで服を掻き寄せた。ここを発たなくてはいけない。すぐに思い浮かぶのは、やはり父の居る西部大森林だった。
たかが夢? いや、そうではない。あれはわたしが失敗した未来だ。
力を制御しきれずにこのアウストラルを炎で燃やし尽くす、災厄の予知だ。もう時間がない。
きっと、明日にでもわたしの力は一杯になってしまう。竜脈から吸い上げられる魔力は、わたしの体を通って陽の気を帯びる。その爆発的なエネルギーは見えないわたしの魔力羽に溜まり、そこから溢れ出す時には炎の嵐となってこの王都一帯を蹂躙するだろう。
そうなったら、ギュゼル様は! 奥様は、タンジー婆やは……!
他にもアデレードさんやイザヨイや、トマス殿だってまだ王都に留まっているのに!
誰も殺したくないし、殺されたくない、それが普通の考え方ではないだろうか。とにかく、ヒトの少ない方へ行った方が良いだろう。大災害を繰り返さないためにも。
「ルビー、起きてる?」
「!!」
アデレードさんの声に、一瞬身が竦んだ。
黙って出ていこうと思っていたからだろう、罪悪感がちくちくと胸を刺す。
「はい、起きています!」
「城から手紙だよ。ギュゼル様が成人されるんだってさ~」
「なっ……」
何故だ、とても、嫌な予感がする……!




