黒太子とお茶を ★
一時閉廷にはなったが、これ以上何を明らかに出来ようか。暗殺未遂の張本人も、責を負うべき長も死んだ。裁きは下されず死のみが降りかかった。
トマスは、これ以上ここに用はないと、アウグストの待つ隠れ屋敷に戻ろうとしているところだった。
変装である警備の格好のまま裁判の間を抜け出て、人目を避けるようにして移動する。本物の警備の者に声を掛けられたりしては面倒だからだ。そんなトマスの前に現れ、ふわりとスカートを摘み上げて一礼をしたのは黒髪の妙齢の女性だった。療術士の黒衣を身に付けている。
「リズボンか」
「はい。我が主人がお呼びです。こちらへ」
「……断れば?」
「愚かな判断だと存じます。今すぐ貴方を捕らえることも可能です」
きしり、とトマスの影が揺らいだ。
黒術だろう、これ見よがしに黒衣など身に付けていることからして相当の手練れだ。捕縛、拘束、昏倒付与……黒術を用いれば相手がヒトであれ魔物であれ、自由を奪うことは難しくない。
「……連れて行け」
「…………」
「無駄口を叩かず最初からそうすれば良いのに」と、顔に書いてある。小さく鼻を鳴らして、リズボン家の女はトマスより先行した。
◇◆◇
部屋に通され、トマスは一礼をしてみせた。
敬意はなくとも形式が大事だ。
立ち上がって出迎えたテオドールは、いつもの白を基調とした略礼装ではなく、黒地に白のラインをあしらった礼装だった。
白と黒は聖典色と呼ばれる貴い色で、テオドールはいつも白い服で過ごしている。その彼がいったいどんな心の入れ替えようだろうか。……まさかシャイロック伯爵の自害を気にしてのことではあるまい。
「呼び立ててすまないね、トマス」
「いえ、テオドール殿下。構いません」
「ふふ、君はいつもそうだね」
「……は?」
トマスはテオドールに勧められ、互いに向かい合って椅子に腰を沈めている。急に呼び出されて何の用件かと思っていたところに、訳の分からないことを言われて、トマスは礼儀正しい騎士の面をつい落としてしまった。
テオドールは嬉しそうに笑って言った。
「君は僕のことを嫌いでしょ? 一度として君が僕を『王太子殿下』と呼んだことがあったかなぁ?」
「………」
香り高い茶が運ばれてきて、二人の前に置かれる。テオドールがカップに口をつけ、トマスにも勧めた。何が入っているにせよ、飲まないという選択肢は存在しない。トマスは表情を変えずにお茶を口に含んだ。その温かさも慰めにはならない。
「どうかな?」
「自分には良さが分かりません」
「ふむ。まぁ、良いさ。本題に入りたいし」
肩をすくめると、テオドールは居ずまいを正した。
優しげな目を少し細めて、笑う。
「僕の望みは一つだ。ルべリアの身柄を引き渡してほしい。アウグストは彼女を離さないだろうから、君が拐ってくるんだ、トマス」
「なっ……」
トマスは驚きに目を瞠った。
「拐ってきて、どうするのです。そんな事でルべリアの心が貴方に向くとでもお思いか」
「まさか。そんな奇蹟なんて期待しないさ」
「それなら……!」
「ねぇ、楽しげに歌う駒鳥は翼をもがれても無邪気に囀ずるかな?」
「……なにを」
「ルべリアを檻に閉じ込めて鎖で繋いでも、彼女はあの気高さを保てると思う?」
「…………」
(ルベリアを飼い殺すつもりか……。この、気狂いめ!!)
嫌悪と同時に甘い毒がトマスの心に流れ込む。燃えるような紅い瞳に涙を浮かべて、鎖に繋がれるルベリアはさぞ美しいだろう。あの声で名を呼ばれたら……。抗い難い妄想を振り切り、トマスは頭を振った。
(いかん、何を考えているんだ、おれは……!)
「太陽は手の届かない場所にあって輝いているのも美しいけれど、輝きを失って手元まで堕ちてきた太陽も良いよね。
僕はね、トマス。玉に疵があっても愛でるのに問題にしない。まぁ、疵を弄りすぎて壊してしまうかもしれないけれど、それもまた、いいかもしれないね」
(疵のある宝石……? つまり、アウグストの手付きであっても構わない、と?)
あまりに自然に口の端に上る言葉に、トマスは寒気が止まらなかった。剣に手が伸び、背中に嫌な汗が滲む。テオドールの数人の配下も、トマスの様子に剣呑な空気を醸し出しつつあった。
ここで騒ぎを起こす気はない、気はないが……。
「嫌だなぁ、暴力はやめようよ」
「…………」
「ねぇ、トマス。僕がルべリアを拐ってしまえば、アウグストは諦めて王位を継いでくれるんじゃないかな?」
にこりと笑うテオドールは、この重い空気の中にあってもいつものように無邪気だ。
トマスの答えを待たずにテオドールは、まるで舞台上の役者のように台詞を繋げていく。
「僕はルべリアさえ貰えれば大人しく引っ込むよ? アウグストだって僕の頼みなら譲ってくれるかもしれないしさ。ルべリアを連れてきてよ、トマス。君はアウグストを玉座に座らせたいんだろう?」
「お断り、します」
「そう? 前はあんなに必死に裏工作していたじゃあないか」
「…………」
その通りだ。
そして理屈で言うなら、テオドールが隠遁すれば王位はアウグストのものであり、ルベリアが消えても王家の宝があればアウグストの体はもう大きすぎる陰の気に悩まされることはない。
王も他の継承者も全て葬り、アウグストが玉座に座れば……腐敗した貴族を排除してもっと良い国に出来る。国民の心に聖典の教える道を敷くのだ。
だが、それはもう捨てた野望だった。
アウグストはそんな未来を望まない。何より、アウグストから拐ってくる危険を犯すなら、こんな変態野郎にルベリアを渡さずに自分のものにする。
「申し訳ございません、『王太子殿下』の意には沿えそうにありません」
「…………。残念だな。なら帰って良いよ。あ、アウグストには秘密にしてね」
「…………」
トマスは無言で肯定すると、部屋の外へ向かった。
その背中に言葉が投げ掛けられる。
「君の気が変わるのを待っているよ」
(変わるものかよ。おれはお前が大嫌いだ……)
テオドールを無視して、トマスは急いだ。




