裁判
流血や殺人がございますので苦手な方はご注意下さいませ。
結局、朝になってもルベリアは見つからなかった。トマスの主人はかつてない程に動揺し、気を抜けば冷気がそこら中に撒き散らされるため、夜番の騎士は凍えないように毛皮を掻き合わせていたという。やれやれだ。
(雑草のようにしなやかな女だ、一晩くらい放置しても平気な顔をしているに違いない。ただ、まあ、騙されやすくはあるか……)
ルベリアが誰とも知れない男について行って手籠めにされかかる様を思い浮かべて、何故か心がざわめき立ち、手近なものを殴りたい衝動に駆られた。
「………?」
苛立ち? これは嫉妬か……?
いや、違う……筈だ。不埒者に対する正当な怒りであって、決して所有権を害されそうになった怒りではない。
第一に、ルベリアは主人であるアウグストの手中にあるべき女であり、他の誰にも渡すべきではない。第二に、…………。
しかし、トマスはそれ以外にルベリアへの想いを否定する言葉を持っていなかった。彼女の頭の弱さも、子どもっぽさも、男のような姿も、何一つ嫌だと感じないことに気付いてしまった。
(いかんな……。つい、狩猟の獲物を追うときのような気分になってしまう。あれは俺のものにはならないというのに)
執着してはならない。誰も彼も一皮剥けば血袋だ、命とは簡単に消え行く儚いもの……。あの娘も組み敷いて頸を掻き切れば物言わぬ虚ろとなる。
執着してはならない。己が主人のために聖典を捨てたあの日から、敵対する者ならば誰でもその首を落とすと誓ったのだから。
執着してはならない。血で穢れた手には最初から過ぎた代物だ。
(ルベリアが真っ直ぐすぎる所為だ。あれはおれがなれなかった真の騎士の似姿だから、それで妙な気分になるのだ。決して愛おしく思ったりなどしていない……)
こんな風に下らない考えばかりを追ってしまうのも、王太子暗殺未遂などという事件の裁判を傍聴して来いとの命令でつまらぬ場に居るからだ。ここに来るのがトマスでなければならないのは、国政の風向きを知ることが出来る者が部下に居ないからだ。
澄ました顔の王太子を見やれば、向こうも気付いてか意味深に微笑む。こちらは髪を下ろして警備の下級騎士に紛れているというのに、目敏いことだ。
(腹の黒い外面男が……!)
いつもと変わらぬ仮面だが、今日は心なしか翳りがあるような気がする。ルベリアはまだ手に入れていないようだ。この男のことはよく知っている。顔色で心の中を察せられるくらいには。
それは向こうも同じことで、トマスの顔色からアウグストが未だにルベリアを迎えていないことはテオドールに知られてしまった。
トマスとテオドールはよく似ているのだ。女の趣味も、考え方も。だからこそお互いの心が読めるし反発もする。
(あいつにだけは渡さん……!)
二人の間に一瞬だけ、目には見えない火花が散った。
◇◆◇
茶番は進む。
王太子を診ていた典医は昨日のうちに毒杯を呷って自決していた。診察も薬を調合するのも一人で行うので、それが正しいのか間違っているのかは他者には容易には読み取れない。典医の長は、施療記録によればおかしな箇所はどこにも無いと主張した。
ここで雄弁に己の体について語り出すのが王太子だ。曰く、成人してより大きな発作は出ていなかったというのに、あの日急に発作が差したのはおかしい、典医の薬を飲んだ後からだと。一晩中苦しみ、いつ死んでも不思議ではなかったと。
また、偶然、西の聖典教会で学んだ者が近くに居たために今まで知らなかった方法で施療を受けたこと。その施療のおかげで小康状態まで持ち直したが、大きな発作があってからは頻繁に小発作が起こり、施療を受けなければ歩くことも辛いこと。
「それに、国王陛下の病状も良くなるどころか逆に痩せ細る一方ではないか。よくもまあ典医の長と名乗れるものだ。そんな貴殿に触診も無しで施療記録から私の体の有り様を理解することなど、可能なのかな?」
あたふたと手をがさつかせる小男に、テオドールは畳み掛ける。
「貴殿は、セリーヌの生母である第三妃の実の弟であったか、ルマイヤーズ卿。私の典医は貴殿の推薦であったな。さて、貴殿が目をかけた典医が私の暗殺を企て、貴殿は国王陛下の病を放置している……。これは国への反逆行為ではないか?」
「ひっ! そ、そんな、わ、私は……、私は決してそのようなことは……!」
ルマイヤーズの目が泳ぎ、まるで助けを求めるかのようにダヴェンドリを、そしてセリーヌを見た。
「おや、誰を見ているのかな?」
「このような迂遠なやり取りは不要ですわ! 即刻この者の首を撥ねるべきです!」
キッパリとした態度で死を宣告したのはセリーヌだった。裁判に臨んでいる聴衆に動揺が走る。
「そ、そそそそんな! 殿下! どうか私の話を聞いて下さい!」
よろよろと証言台から降りたルマイヤーズは、テオドールの足元に縋り付いた。テオドールの眉がピクリと動く。ハリエットが暗器を掌に準備したことは誰にも見咎められなかった。
「違うんです! 私はただダ……!」
ごぽり、と小男の喉から血の泡が湧く。それはボタボタとやけに大きな音を立てて床に落ちた。女の悲鳴が空気を裂く。
いつの間に抜剣して近寄っていたのか、貴族席に居たはずのシャイロック伯爵の片刃剣がルマイヤーズの喉を背後から突き刺してしたのだ。
「王太子殿下、御無事ですか!」
いかにも暴漢から貴き人物を守ったように聞こえる言い回しだが、その実口封じであることは誰の目にも明らかだった。
「……僕の聖典礼装を血で穢したな? シャイロック、血は血で、命は命で贖え。この場で胸を突け」
「!!」
王太子の声と表情は、平淡であった。
成り行きを固唾を飲んで見守る聴衆。シャイロックは顔から滝のように汗を噴き出させながら、手にしたその剣をその胸にやる気配はない。テオドールの手が腰に刷いた剣に伸びるや国王陛下の声が待ったをかけた。
「尊き命が一つ喪われたのだ、もうこれ以上この場で血を流すことは許さん」
「…………はい、国王陛下」
テオドールの感情の抜け落ちた瞳が、怯えて震えるギュゼルの白い貌に向けられていた。コルネリウスが場を制したのは、この末の姫のために他ならなかったからだ。
「今は、な。分かっているだろう? シャイロック……」
「っ!」
テオドールの囁きにシャイロックは大きく肩を揺らした。一時閉廷の声に、皆は聖典に一礼をして解散した。ギュゼルは口を覆って啜り泣き、セリーヌは別の意味で蒼くなっていた。




