アウグストの誤算
アウグストは城に居た全ての配下を連れて城下町に下った。ダントン・ノレッジを閉じ込めておくのに使った隠れ屋敷を拠点に、ルベリアを脱獄させ、ガイエンからの船を待つのだ。
兄、テオドールと一触即発のところまで詰めたことも、城から締め出されたことも、アウグストにとっては些事だった。簒奪者の潜む城で国王が毒杯を呷ろうが、ギュゼルが首を括られようが知ったことではない。
己と同じく兄もまた城を去った。であれば兄はまだ命を拾っているはず。船が着けばセリーヌの首を落としてテオドールに国をくれてやれば良いのだ。城に残してきた大切なものはルベリアだけだ。
(セリーヌめ……! くだらぬ嫌がらせだ。ルベリアを魔女だなどと……。ああ、すぐに牢から出してやらねば)
とはいえセリーヌの告発は中身がどうあれ正当な手順を踏んでいた。アウグストがその場でしてやれることなど無いに等しかった。そして、その場に居る者を皆殺しにして逃げることをルベリアは良しとしなかったのだ。それどころか……。
『私の罪でアウグスト様にご迷惑をおかけしたくはありません。どうかお許しください、殿下』
アウグストの手を取り口づけて、ルベリアは大人しく連行されていった。それを見送るしか出来ないアウグストの胸の裡など知りもせずに。
(あれは優しすぎるのだ。私の隣に並び立つならば、相手が誰であろうと、敵対する者の首を掻き切るくらいの心構えが欲しいな……)
ルベリアがそれを聞けばどんな表情をするだろうか? 怒りか? 悲しみか?
アウグストはルベリアの泣き出しそうな困り顔を思い浮かべてほくそ笑んだ。
「アウグスト様、飲み物でもいかがですか?」
「ハリーか。いただこう」
アウグストの返事に首肯して、ハリーは木製の手押し車から温かな茶器を取り出すと小卓に並べ始めた。ほどなく二人分の茶が卓に載る。香り立つ湯気から良い品であると知れる。
ハリーは相も変わらず部下とは思えない気軽さでアウグストの向かいに腰かけると、唇を尖らせて持て余していた疑問をぶつけた。
「アウグスト様、魔女って何のことでしょうねぇ?」
「さあ……。寝物語にでも出てきそうな趣の言葉だな。遥か昔に聞いたことがあるような気がする。兄上ならば、知っていよう」
「あー……。聞くに聞けないですよねぇ」
「兄上もルベリアを狙っている以上、私に情報を渡したりなどしないだろうな」
「あっ、冷気収めてくださいね。バレちゃうんで」
「…………」
「トマスセンパイが居ないんだから、誰かがこうして止めなきゃいけないんですよ。僕が居て良かったですね!」
「ダントンが褒美にお前を所望したら惜しみなく与えるとしよう」
「ひどっ!? 非道くないですかね、それ!」
「フン……知ったことか」
アイスティーになってしまったカップの中身を啜り、アウグストはハリーの抗議を黙殺した。じきにトマスがルベリアを連れて来るだろう。今はこのような暇潰ししか無いが、ルベリアが戻ればこのささくれ立った心も慰められる筈だと、アウグストは嘆息した。
◇◆◇
「居ない、とはどういう事だ?」
「申し訳ございません。ルベリアの替わりにセリーヌ姫の侍女が衛士と共に牢に押し込められていました。おそらく、何らかの手段で脱出を……」
「ルベリアめ! っ、まさか、兄上が……」
「王太子殿下はまだ城下に居ます。ルベリアを手中にしていればさっさと領地に引き揚げているでしょう」
「何を根拠に……」
「自分ならば拐った女は安全な場所で我が物にするでしょうから」
「うわぁ……。センパイ、今のはちょっと」
「ふむ。一理あるな。私だってそうする」
「…………」
息の合った主従の会話に、お調子者であれ常識人を自認するハリーはついていけなかった。ルベリアがこの場に居れば「あの人はやめといた方が良い」と忠告を彼女の耳に囁いていたことだろう。
「城は今、ギュゼル姫の告発で騒がしく、当事者の王太子殿下は大っぴらには動けません。精々が私兵を放ってルベリアを探させるくらいでしょう」
トマスは手短にギュゼルの告発の内容を語った。
「ならば条件はほぼ同じ。トマス、お前も部下を率いてルベリアを探せ。必ず捕らえよ」
「アウグスト様? 捕らえるんですか!?」
「間違った……。丁重に連れてこい」
「えっ、変わってない……」
「傷つけず捕縛します」
「センパイ!?」
「あの娘ならどうするか……トマス、どう思う?」
「逃げ出したのですから、金も何も持っていないでしょう。しかし、どこでも寝られそうな娘ですから……、行き先が読めませんね」
トマスは真顔で言い放った。アウグストも頷く。
ハリーは一人何とも言えないといった表情をしていた。
「あの、ルベリアさんて、あの綺麗な背の高い女の人ですよね?」
「中身は少年だ、あれは」
「見た目で判断するな、ハリー。油断に繋がるぞ」
「…………。チチュ族に頼んでスラム巡りしてもらった方が確実だったり、して?」
「賢いな、ハリー」
「では、そのように手配致します」
トマスは一礼して部屋を辞した。ハリーも茶器を下げに行き、アウグストは一人、部屋の窓から通りを見下ろした。陽が落ちていくのが見える。
「じゃじゃ馬め……、大人しく待っていれば良いものを。この手に戻れば、泣くほど可愛がってやる」
言いながら指を噛むその表情は切なげに歪められていた。




