ルべリアの決意
さて、とうとう披露パーティーの日が訪れたわけなのだが、昼食も食べさせてもらえず準備に追われていた。まぁ、コルセットを着けるのに「食べてから」なんて言えない。さすがのわたしでもそれは吐く。
ドレスを着け終わり、一時的に暇になった今、わたしはお茶請けとして用意されていたサンドイッチを摘まんでいるわけだ。化粧と髪型は後回しだそうなので、座り方にさえ気をつけれていれば普段通りだ。高価な絹の靴下もまだ穿いていないし。裸足、万歳。おおっと、足を振ると室内靴が。
む、ハムが少ない。ちょっと食料棚から失敬して……
「なにしてんだい」
「ひっ!? べ、別に何も……」
「そのぺたぺたいう音、響くんだよ」
「くっ……」
室内靴は脱いでおくべきだったか!
わたしとしたことが抜かりましたね。
「なんでもないなら、城の台所から分けて貰ったテリーヌはいらんだろうなぁ」
「あぁっ、いります、いります! お願いします~!」
「明日、台所仕事を手伝ってもらおうかね」
「はいっ、喜んで!」
タンジー婆やも鬼みたいですが鬼ではないので、わたしにもテリーヌを分けてくださった。しかも特別にちょっと大きめに。口の中でほろほろと崩れる部分と、ねっとりと舌に旨味を届ける乾酪の風味がたまりません!
「ルベリア、ギュゼル様の着付けがじきに終わるよ」
「ふぇ? ひま行きまひゅ」
「飲みこんでから喋らんかね! この馬鹿娘が」
「……すみません」
タンジー婆やは先ほどのテリーヌ――標準サイズ――の載った皿や茶器を台車に移した。わたしがそれを押し、ふたりでサンルームへ向かう。開け放された扉からギュゼル様のお声が聞こえてきた。何事だろうか。婆やは飛び出そうとするわたしを手で制し、わたしたちは部屋の外から様子を窺うことになった。これはもしや、盗み聞きなのでは……。
「お母様、どうしてそんな事を仰るのですか」
「何度でも言いましょう。私には貴女様からお母様と呼ばれる資格はありません。私はただのメイドです。今日からギュゼル様は公の場に身を置かれる御方。ここでの振る舞いも改めねばなりません」
「そんなの嫌です! ……いやです」
ギュゼル様が黄金の髪をなびかせ頭を振る様は、歳相応の子どもに見えて、ひどく弱々しく感じられた。奥様のお顔はこちらからは見えないが、きっとお辛くていらっしゃるだろう。
「私の身分が低いために、貴女様にはこれからもずっと苦しみが待ち受けていることでしょう。恨むならばどうか、私をお恨みください。陛下は何も悪くないのです」
「そんな、頭を上げてくださいませ。私に出来ることならなんでもします……もう、我儘も言いませんから……!」
「ギュゼル様。では、お立場に相応しい振る舞いをされますようお願い申し上げます」
「お母様……、いえ、オーリーヌ。わかりました、私はこれから、陛下の娘として陛下に恥をかかせぬよう生きて参ります。ですから……どうかこれからもよろしくお願いします」
「ギュゼル様……」
オーリーヌ奥様は結局、妃の位を戴かないままにギュゼル様をお産みになられた。そのために立場は使用人のままなのだった。まだ幼いギュゼル様に、母を母と呼ぶことさえ許されぬことがあるのだと諭すことが出来なかった奥様の苦悩は推して測るしかない。隔離された環境にあった今までは、多少の目こぼしができていたのだが、これからはそうはいかない、ということなのだろう。
ギュゼル様も、奥様も、互いを想い合っていらっしゃる。お二人とも距離を保ったまま、抱き合うこともなかったけれど、心はきっと寄り添っていたのじゃないだろうか。
奥様のお立場が心許ないのは今さら言っても詮無いことだ。ならば、そのお心を晴らすためには何が必要なのだろう。ギュゼル様が社交界や公の場に出ても嫌な思いもせず、結婚を無理強いされることもないようにするには。そう、例えば誰か、大きな発言力を持つ方が後見人となってくださるとか……?
奥様の気がかりはすべて、ギュゼル様の今後にあるのだ。もしも上手いこと後見人が付けば、それですべて解決だ。もしかするとオーリーヌ奥様のことだって、今よりもっと、例えばパーティーに随伴できるぐらいにはなるかもしれない。
問題はどうやって後見人を見つけるかだが、幸運なことに今夜はこの国のほとんどの貴族が集まる披露パーティーだ。ギュゼル様が可愛らしく、賢く、将来性があり、そして可愛らしい(二度目)ということを見せつければ、誰かが味方してくれるかもしれない。
これは……勝負時というやつですね!
是非とも有力な殿方を釣り上げましょう。ふふふ、腕が鳴りますね。
「ギュゼル様、今夜は頑張りましょう! きっと、なにもかも上手くいく日が来ますよ!」
「ルべリア?」
「ギュゼル様をスケベ爺の餌食になどさせません。奥様も、いつかギュゼル様と並んで立てるようにしてみせます! だから、一緒に頑張りましょう!」
「ルべリアったら……。いきなりなにを言っているのか、よくわからないわ。でも、ありがとう。貴女の言葉がとっても嬉しい」
「ギュゼル様、わたし、ちょっと走ってきます。気合いを入れてきますね!」
「え、なにを……」
「なに言ってんだい。絹の靴下でさえアンタの給料の半分するんだよ、ドレスに傷がついたら、アンタ払えるのかい?」
「…………」
「分かったら大人しくしてな!」
「ハイ」
せっかく気合を入れようと思ったのに……。ううっ、忌々しいドレスめ!