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魔王子は女騎士の腕の中で微睡む  作者: 小織 舞(こおり まい)
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アウグストとテオドール

「くそっ!」



(腸が怒りのあまり千切れそうだ……)



 何に怒りを抱いているのかすら己の中で定まらないまま、アウグストの足は兄、テオドールの部屋へ向かっていた。



 何故ルべリアに触れた!?

 何故ルべリアもそれを許した!!

 求婚とはどういう事だ!



 一刻も早く問い質したい。テオドールの部屋を守る騎士を、制止する(いとま)を与えず氷礫(ひょうれき)で打ち倒し、アウグストは扉を蹴り開けた。



「兄上! いったいどういう……!!」


「ああ、アウグストか。駄目じゃないか、扉を蹴ったりして」


「……この、絵、は……?」


 入ってすぐの応接室は、テオドールの手によってアトリエになっていた。いくつもの絵が置かれている中、一際(ひときわ)目を引いたのは両手を広げたくらいの大きさのキャンバスに描かれた油絵であった。


 暗い室内の寝台に横たわるしどけない女性は、一糸纏わぬ姿で眠っており、丸みの少ない躰には少年とも少女ともつかない色気を漂わせている。燃えるような赤髪の裸婦は、白い肌にただ一つ、象徴的な太陽の首飾りを着けていた。



 アウグストは言葉もなく絵を凝視した。

 間違いなく、ルべリアだ。たかが油絵だというのに、そこには生命が吹き込まれていた。この小さな画面に彼女の生まれたままの美しさを落とし込んでいるのは、やはり画家の腕と、モデルに対する愛情ゆえに思われた。



 兄を(なじ)って責めることも出来た。

 だが、抱いていた怒りは急速にその波を静めてしまった。この絵から伝わる想いは痛い程にアウグストに訴えてくる。



「ルべリアを愛している」と……。



 アウグストは、ルべリアの恋人は自分だと信じていた。

 だからこそ、「横合いから手を出すな」と牽制しに来たのだ。だが、これはどういうことだ?



 こんな風に描かれても良いと思うほど、兄に心を許していたのか、ルべリアは。だとすると、あのように何かを言いたげだった態度にも納得がいく。邪魔者は、兄ではなく、己であったか……。



(まさかもう、二人は……!? いや、違う、違う筈だ……!)



 一瞬、嫉妬で頭が沸騰しそうになったが、ルべリアの態度から見て、そんな筈はないと思い直す。だが、だが……。



「いつから……」



 アウグストは口の中の乾きを感じた。

 急に体がぎこちなくなって、言葉を絞り出すのもやっとだった。



「分かるだろう? 君が遠征に行っていた間にさ。何があったかは詳しく知らないが、彼女は大分傷ついていてね。その隙間を僕が埋めたんだ。

 そう、その絵も、彼女は喜んで協力してくれたよ」


「………くっ!!」



 まるで胸に穴が開いたような虚無感。地に足を付けていられなくなりそうで、アウグストは拳を握り締めた。



 やはり、あのとき、ルべリアを……誇りを、心を、傷つけたからか……。だが何故だ、あの夜、確かに心を通じ合わせたと思ったのに…何故、愛していないならそう言わなかった。「愛して欲しい」などと囁いたのだ……!



「心当たりがあるって顔してる。ねぇ、大事に出来ないなら、僕が貰ってしまうよ?」


「兄上!」


「だって、ルべリアはまだ、君の物じゃない」


「!!」



 テオドールは外の様子に耳を澄ませると、上衣の隠しから何かを出して作業を始めてしまった。アウグストは(ないがし)ろにされた気がして、苛立ちながら、テオドールに食って掛かった。



「昔から、貴方はそうやって私の物に手を出すんだ! ルべリアのことも、私のだと分かっていてちょっかいをかけたのでしょう!!」


「そうではないさ。アウグストこそ、僕の気に入った物ばかり欲しがるんだから……」



 アウグストと話しながらも、テオドールは手元の紙に何やら書き付けるのを止めない。アウグストはもう一度テオドールに吠えた。



「兄上!」


「そう大きな声を出すものじゃないよ、アウグスト」


「ルべリアは私の物だ! 渡しはしない!」


「アウグスト……」



 「仕方ないなぁ」とばかりに微笑むテオドールの態度に、アウグストの怒りは心頭に発した。



「この……っ!」



 狂暴な(いん)()の塊が左手に膨れ上がっていく。制御など出来るかも分からない、莫大な力の奔流だった。



(今すぐ、これをこいつの顔面にぶつけてやりたい……!)



 物騒な思考が頭を支配し、アウグストは自分がそう思っているのか、それとも陰の気のせいなのか、分からなくなった。この力を抑える気になれない。早く解放したい……。



「兄上……」

「…………」



 テオドールは、怯むでもなく(わら)うでもなく、不機嫌そうに眉をひそめて立っていた。その余裕そうな表情を、焦りに変えてやりたい……!!



「…………」

「…………」



 アウグストとテオドールは睨み合った。

 テオドールが腰の突剣(サーベル)を抜き、そして、アウグストが動こうとしたその時、



「いけません、アウグスト様っ!」


「っ、ルべリア!?」


「ルべリア……」



 飛び込んで来たのは、赤い髪の女騎士だった。





◇◆◇





「いけません、このような事をなさっては……!」



 そう言ってルべリアがアウグストの手に触れると、先程まで部屋中の空気という空気を圧縮して集めていた奔流が緩やかに霧散していった。



「何故、ここに来た」


「アウグスト様をお止めするためです」



 ルべリアはアウグストを背に庇うようにしてテオドールの前に立ちはだかると、両手を広げた。



「お二人が争うなど、なりません。それに、ここを何処だと心得ておられるのか……!」


「……ふぅん、庇うのはアウグスト、か」


「?」


「惜しいな。もう少し時間があれば展開が違ったかと思うと、本当、残念だ」



 空気が変わった、とアウグストは感じた。

 兄はいつもと同じ微笑を湛えているのに、何故かそれは今、テオドールを模して作られた面のように見える。そして、いつの間にか油絵をその背に隠すようにして立っていたのを、絵を披露するかのようにその身を一歩、横にずらした。



 ルベリアの息を飲む音が聞こえる。



 アウグストは強引に半歩踏み出し、ルベリアに並び立った。


「どう……して……」



 そう絞り出すルベリアの声は震え、その貌からは血の気が引いていた。その様子のおかしさに、アウグストはルベリアの肩を引き寄せた。



「おい、大丈夫か……!」



 うなじに付いた痕が、アウグストの目に入った。それは明らかに誰かが付けた、口づけの痕だった。



「テオドール、様……。これは……?」


「余興だよ。どうだい、君をびっくりさせられたかな?」


「…………」


「ルベリア!」



 膝から崩れ落ちそうなルベリアを、腰を抱いて支えながらアウグストは思った。うなじにつけられた痕が語るのは、ルべリアが命令されて逆らえなかった可能性だ。



 そしてこの絵、これはルベリアさえ知らなかった事なのだと。

 つまり、絵に残すことを言わなかったか、もしくは意識のないルベリアを……。



「兄上、これは、どういう事だ。きちんとした説明を求めるぞ……」


「さぁ? 君に何か弁解するようなことは何もないよ?」


戯言(ざれごと)だ! ルベリアに何をした!?  これ以上この娘に触れさせはしない!」


「ふぅん、大した入れ込みようだね。だけど、いつまで続くかな?」


「何を……!?」



 二人の睨み合いを破る手は、何もルベリアだけではなかった。扉を乱暴に開けて入ってきたのは、城の警邏隊(けいらたい)を引き連れたセリーヌだった。



「あら、お二人とも! 城の中での乱闘騒ぎ、もはや見過ごすことはできませんわ!」


「チッ、……女狐が」


「やぁ、セリーヌ」



 勝ち誇る美姫(びき)

 その美しさは毒の華のようだった。

隠し=ポケット

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