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魔王子は女騎士の腕の中で微睡む  作者: 小織 舞(こおり まい)
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氷の魔王子

 アウストラル王国の第二王子アウグストに仕える騎士、トマス・オブライエンはひんやりとした空気の流れを感じ、眉をひそめた。



 これは良くない兆候だ。続いて硝子か陶器か、そういった類の物が壊れる音がした。これで予感は確実なものになった。アウグストの魔力が暴走し、周り中を凍りつかせているのだ。



 少し涼しくなってきたとはいえ、季節はまだ、夏だというのに……。



 怯えた様子の使用人たちが、アウグストのいる奥の間から逃げるようにして出てくる。トマスは彼らを蔑んだ目で睨みつけ言った。



「おい、急いで白術士(はくじゅつし)を呼びに行け」


「は、はい、ただいま」



 数人の使用人の内、一番身分の高い者が命令に応じて走っていった。



(腰抜けどもめ。言われずとも呼びに走るくらい出来ように……)



 トマスの主人であるアウグストは生まれついてよりずっと、病に侵されていた。それは決して治らぬもので、時折、今のように制御が利かずに暴走してしまうことがある。



 国中に何人もいない、優れた白術士の力でもってしても苦痛と暴走状態を和らげることしか出来ない。完治など望めるものではない。



 アウグストの身体を満たす魔力は、すべてを凍てつかせるほどに強力な(いん)()を帯びているのだ。それは己の体を壊すほど強く、長い間彼を苦しめてきた。



 魔力が強いだけの人間なら、多くはないが他にもいる。それなのにアウグストだけがこのようになってしまうのは何故なのか。それは誰にも解けない謎である。



 トマスはこれまで幾度となく抱いてきた無力感をまたも重石(おもし)のように胸に抱いた。アウグストの乳兄弟(ちきょうだい)として、生まれてからずっと側にいるのに、こんな時に自分は何も出来ない。魔術の才もない、打開する知恵もない、ただただ武力で以て敵を粉砕することしか出来ない。そんな己が情けなかった。



「アウグスト様、入ってもよろしいでしょうか」


「……くっ、今は、入るな」


「もうすぐ白術士が来ます。しばしお待ちください」


「ならお前は下がっていろ!」



 その言葉と共に、とうとう部屋の外にまで氷が張り始めた。ぴしぴしと音を立てて廊下が()てついていく。辺りの冷気も今までの比ではない。



「下がりません。火を入れましょう」



 火が側にあれば多少は苦痛が和らぐ。

 アウグストの舌打ちを聞こえない振りをして、トマスは部屋に足を踏み入れた。部屋の床を覆う毛皮を踏むと、さくさくと霜柱を砕くような音がした。



 寝台に横たわるアウグストの白い肌はさらに蒼褪め、形の良い額にほつれた黒髪を張り付かせている。礼服の首元を寛げることすらなく、息も絶え絶えといった様子だ。



 ここはアウストラル王国の沿岸部に位置する観光都市ゼイルード。アウグストの住まうこの城には様々な工夫がなされている。



 まず、氷が張っても出入り出来るよう、どの部屋にも扉がない。騎士たちの鎧も冷気が伝わりにくいよう硬い皮で出来ている。



 さらに、トマスは懐に油瓶と火打ち石を携帯し、万全の備えを欠かさない。全てはいつ発作が起きて陰の気をばらまき周囲を氷漬けにするかもしれないアウグストの為である。ようやく暖炉に大きく火が燃える頃には、白術士たちが到着し、その(じゅつ)で主人の苦痛を和らげるのであった。



「私は、何のためにここにいるのか……」


「アウグスト様?」


「また冬が来る。長く、苦痛ばかりが増す冬が」



 アウストラル王国は海に囲まれた温暖な気候の島国であるが、冬が訪れない年はない。北の大陸よりマシであるといえばそうだが、アウグストにとっては何の慰めにもならないことだ。



「この身など、さっさと命尽きてしまえば良いのだ。ここは魂の牢獄だ。痛みしか与えない生などなんの意味もない!」


「アウグスト様、貴方は我々にとってかけがえのない大切なお方です。貴方がいらっしゃるから、我々は生きていけるのです。そんなことを仰らないで、さあ、少し眠られてください」


「眠れるものかよ! こんな……苦痛と寒さの中で……! 誰も、私の苦痛など考えもしない……」



 トマスの手で毛布に包まれ、暖炉の熱に当たりながらアウグストは恨めしそうに呻く。



「いいえ。民は皆、貴方の為に祈っております。我々も。それくらいしか出来ないと分かっていながら、貴方の為にずっと祈りを捧げています。変なことを考えるのはよしてくださいね」


「…………」


「何より、貴方がもし御隠れになったら、自分も死にますので」

「はぁ……。分かった分かった。もうこの話はやめよう」


「はっ」



 トマスは深々と頭を下げた。



 何度となく繰り返されるやりとり。アウグストは嘆息した。側近であるトマスの忠誠心には救われもするが、苦々しく思うことも多い。まさしく、今の様に。自分の命を引き合いに出すとは、まるで脅迫ではないか?



 こうしてアウグストは発作が起こる度に、なぜ己がまだ死なないのかと自身に問いかけているのだ。底冷えするほどの陰気と耐え難い苦痛に身を晒し、その度に身体どころか心まで病み衰えていく。



 もう何度これまでだと思ったか知れない、もう何度命を絶とうかと考えたか知れない。このまま年齢を重ねていけば、きっと痛みと苦しみは増す一方だろう。己がどうすればいいのか、どうすべきなのか。答えはまだ出ていない。





◇◆◇





 アウグストが静かに絶望を殺噛みしている一方、トマスは己が主人が落ち着いたのを見計らい、本来の用事を済ませることにした。懐から取り出すのは丸められた羊皮紙である。



「知らせを持って参りました。妹君、二の姫様がご婚約にございます。披露宴が開かれ、アウグスト様も招待されています」


「招待? 強制の間違いだろう。……しかし、あの女狐が結婚か。無様をさらして破談にならなければいいが?」


「では、ご出席なされるのですね」


「まぁな。兄としては、妹を祝わなければ。……久しぶりの公務だ」


「では、礼服を新たに(あつら)えます。小物も靴も最新の流行を取り入れたものをご用意しなくては。では、自分はこれにて失礼します」


「いや、礼服はいらな……いない」



 いつものごとく話を聞かない部下(おさななじみ)である。なぜ男である自分がそこまでして着飾らなければならないのか。アウグストは大きくため息を一つ吐いて枕に突っ伏した。

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