ギュゼルとテオドール
朝食が終わるのを待って、テオドールはギュゼルが暮らす離れに行くことにし、人を遣って手紙を届けた。良き報せを運ぶ足は軽く、離れにはすぐに着いた。
ギュゼルの喜ぶ顔が早く見たい。
先触れには行く、という事だけを書いていたので、きっとびっくりするだろう。
ちなみに、テオドールの知らない事ではあるが、離れに住むギュゼルの所には客人なぞ来たことがなかったので、テオドールを迎えるために右往左往しながら必死に客間を整えたりお茶の用意をしたりするオーリーヌとタンジー婆やの努力があったのである。
離れを見上げると、変わらないその姿にテオドールの胸に懐かしさが込み上げてきた。
この二階建てで煉瓦造りの小さな家は、アウグストのために建てられた家であり、テオドールも行儀作法などの勉強から逃れては遊びに来ていたものだった。
小さい頃のアウグストは、自らに宿る力を使いこなせずに暴走させてしまう事が多々あったが、夏場は比較的安定しており、よく中庭で一緒にブランコをこいだものだ。
ギュゼルもこの庭で遊ぶのだろうか。そうであって欲しいとテオドールは思った。
一度だけ、かつて一度だけラグーナとセリーヌも入れて四人でこの庭で遊んだ事がある。それは遠い昔の、まだ完全にすれ違う前の忘れがたい思い出の一葉であった。
「セリーヌ……」
テオドールは高慢で、他人を思い通りに支配するのが好きな妹のことを思った。美しく、悪の化身のような妹のことを。
テオドールがギュゼル暗殺未遂についての話を国王と正妃にした後、セリーヌが二人に呼ばれた。彼女とどんな話をしたにせよ、国王の居室を辞したセリーヌの憎しみに歪んだ顔を見るに、心証は真っ黒だ。
陛下の言葉がセリーヌの愚行を留めるか、それともさらなる凶行に駆り立てるか、それは分からない。テオドールはただギュゼルの身を守るのみである。
獅子の頭のノッカーを叩くと、待ち構えていたようにすぐに扉が開いた。
◇◆◇
テオドールを出迎えたのは、いかめしい顔をした背の低い老女で、彼女はまったく緊張する様子もなく憮然とした様子でテオドールを客間に案内したので、逆にテオドールの方こそ己を招かれざる客のように感じ、恐縮してしまった。
客間には陽の光が差し込んでおり、中庭から涼しい風が入り込んでいた。ギュゼルは座っていた椅子から立ち上がり、テオドールを見てぱあっと花のような笑顔を咲かせた。
「テオドール……お兄様!」
「ギュゼル、急に訪ねてすまなかったね」
「いいえ、おいでいただけて嬉しく存じます」
「すっかり淑女だね、ギュゼル。礼儀作法の先生から、よく学んでいると聞いているよ。でも、今はただの兄と妹だよ、気を使わなくて良いんだからね」
「ありがとうございます」
壁に控えていた侍女が紅茶を淹れているのを見て、テオドールはこの女がギュゼルとよく似ているのに気づいた。そういえば実の母親が使用人として仕えていることを今更ながらに思い出す。
今回の話がギュゼルにとって幸せなものなのか、テオドールは急に自信がなくなってきた。
ひとしきり談笑した後、テオドールは本題を切り出すことにする。
「ギュゼル、城の中には君の部屋が用意してあるんだ、随分前から」
「え……?」
「離れでは色々不便なんじゃないかな。先日のセリーヌの婚約披露パーティーを機に、君は城に移るんだとばかり思っていたんだけど、どうだろう、今日明日にでも、城に来ないかい?」
「…………」
「陛下も母も、もっとギュゼルと食事を共にしたり、話をしたいと言っていたよ」
「勿体ないお話です、お兄様……。もし、陛下の望みとあれば、私、喜んでお城に参ります」
「ギュゼル」
テオドールはギュゼルの言葉に喜びの表情を浮かべた。ギュゼルは立ち上がり、スカートをつまんで一礼する。
「これからは、お妃様をお母様と思ってお仕えさせていただきますわ」
はっと、誰かが息を飲む音がして、客間は静寂に包まれた。秋の午後の光が急速に色を失っていくようだ。
「ギュゼル……?」
「はい、お兄様」
テオドールに小首を傾げてみせるギュゼルはまるで人形のように虚ろで、テオドールは先程の嫌な予感が当たってしまったことに気が付かされた。
表面だけを見ていてはいけない、そんな事、言われずとも分かっていたはずだったのに……!
「ギュゼル!」
テオドールは音を立てて椅子を離れ、ギュゼルの前に跪いた。
「すまない、陛下の名を出せば君が断れるはずがなかったのに! 無理をしてはいけない、嫌なら断って良いんだ、命令ではないんだよ」
「……あ」
ギュゼルは己の体を、折れそうなほどきつく抱きしめた。我慢していた涙が、ポロリと真珠のようにこぼれて落ちた。
「私、私は、我儘を言ってはならないんです。分かっているんです、いつかはここを出なくちゃいけないって……。でも……」
テオドールは、自信なげに手を伸ばすと、震えるその背を撫でた。ギュゼルは言葉を続ける。その声は、悲しみを振り絞るようだった。
「でも、そうしたらお母様は……? ルベリアや、婆やはどうなってしまうの?、 どこかに行ってしまう……私の知らないどこかに行ってしまうの……!」
「ギュゼル、ごめん。ごめんね。悪いことを言ってしまった。良かれと思ってのことだったが、君にはまだ早すぎたね」
「ふ、うぅ……、っく……」
「大丈夫、君から皆を取り上げたりなんかしないからね」
テオドールの優しい声に、とうとうギュゼルは泣き出してしまった。泣いて泣いて、大人びた仮面が剥がれ落ちるくらい泣いて、普通の女の子になってしまったようだった。
そんな我が娘の慟哭に、オーリーヌも目許を拭うのだった。
結局、ギュゼルは朝食から夕食までの間を城の中の部屋で過ごし、夜は離れに戻ってくることに決まった。オーリーヌはギュゼルの侍女として付き添い、騎士はルベリアの他に何人か付けられる事になった。
タンジー婆やは「仕事が減るから楽になるね」などと軽口を叩いていたが、彼女にしても孫のようなギュゼルの側にもう少しの間でも居られることは嬉しいらしく、珍しく満面の笑みを浮かべるのだった。




