残念女騎士と黄金の姫君
ある日のうららかな昼下がり、わたしは庭のベンチで林檎の皮を剥いていた。早採れの林檎が城にたくさん届いたので、こちらにもお裾分けが回ってきたのだ。
やや小ぶりで実のしっかりしたそれを、コンポートにするのと、パイにするのと、サラダに入れるのと、と分けていたのだがやはり新鮮なうちにそのまま召し上がっていただきたい。
……ちょっと不恰好になってしまったけれど、ギュゼル様はきっとお気になさらない、はず。
いや、笑って許してくださるに違いない。わたしが愛してやまないお姫様は、大変お優しくていらっしゃるのだから!
この「お姫様」というのは可愛らしい女の子に対して使う愛情のこもった呼びかけではない。
わたしがお仕えしているのは正真正銘、このアウストラル王国の三の姫なのだ。御年十歳、流れる黄金の髪に翠玉の瞳を持つ、お美しいわたしのご主人様……。その頬はまるで白桃のように白く円く、そのお声は転がる金の鈴にも似てわたしの耳に幸せを運んでくださる。ギュゼル様が名を呼んでくださるならば、いつでもどこにいても、わたしは風のように疾く駆けつけるだろう。
「ルべリア~!」
そう、ちょうどこのように。
わたしの夢想を打ち破るようにして裏庭に飛び込んできたのは、封筒を手にしたギュゼル様だった。息を切らせて、頬を紅潮させているばかりか、まだ結い上げていない自然のままの髪が乱れてしまっている。
「ギュゼル様、淑女がそのように走ってはいけません」
「だってぇ、とってもびっくりする知らせが届いたんですもの! 聞いて、ルベリア」
「もう、仕方がありませんね……」
ギュゼル様は大輪の花を咲かせるようににっこりと笑い、わたしもついついつられて笑った。
「あのね、二番目のお姉様、セリーヌお姉様のご婚約の日取りがとうとう決まったの。それで、その婚約披露パーティーに私も参加してもいいことになったのよ!」
「それは……ようございましたね」
「とても大きなパーティーになるのよ。病弱なテオドールお兄様も、いつもはお城にいらっしゃらないアウグストお兄様も、それにお父様のお妃様たちも皆参加されるの!」
「そうですか、それは大きなパーティーになりそうですね」
「うふふ、どんなドレスにしようかしら。とっても楽しみで今からワクワクしちゃう!」
このアウストラルの国王コルネリウス陛下には、ギュゼル様を含めて五人の王子、王女がいらっしゃる。第一王子で王太子のテオドール殿下、その妹ですでに他国へ嫁がれていらっしゃる第一王女ラグーナ姫殿下。側妃の産んだ第二王子アウグスト殿下、第三の妃の産んだ第二王女セリーヌ姫殿下、そして最後がわたしの主人である第三王女のギュゼル姫殿下だ。
「それでね、そのパーティなんだけど……貴女にも参加してほしいの、ルベリア」
「ええっ、わたしがですか?」
驚いて聞き返せば、ギュゼル様は大きな目をさらに見開いて、わたしを見上げてこられた。猫のような翠玉の瞳がキラキラ輝いている。
「だめ?」
「ぐ……」
もう、そんな風に見つめられたら、どんな願いでも叶えて差し上げたくなるではありませんか……!
しかし、しかしわたしはただの下級騎士であって、そうした場に随伴できるほどの身分などではないのであった! うう、わたしの頭がおバカでなければ~~!!
「ギュゼル様、その……」
「お母さまは参加できないのですって」
「あ」
ギュゼル様のお言葉に、ようやくわたしもこの‟お願い”の理由に思い当たった。
これはおそらく嫌がらせだ。
お妃たちから疎まれている奥様は、この披露パーティーに出席することすら叶わないのだろう。とすれば、未婚でしかも婚約者のいらっしゃらないギュゼル様にはエスコート役はいない。奥様は生家から縁を切られていらっしゃるのだから、当然お付きの貴婦人も無しだ。
「私には後見をしてくださる方はいないし、ひとりぼっちは心細いの。護衛ということなら、貴女だけなら連れてきてもいいって。だから、私……。もちろんルベリアが嫌じゃなければだけれど」
「嫌だなんてとんでもございません! 是非ともご一緒させていただきますとも!」
「ルベリア! よかった……ありがとう!」
ギュゼル様がわたしにギュッと抱きついていらっしゃった。
その背に手をやりながら、わたしはしばし沈んだ気持ちになってしまう。こんな小さなギュゼル様を苦しめようだなんて……!
それに、もうひとつ気にかかることがある。
これまでずっと無関心を貫いてきた国王陛下が、婚約披露パーティーだなんて華やかな場にギュゼル様を招くなんて、いったいどういう風の吹き回しなのだろう。今までにはなかったことだ。悪いことが起こらなければ良いのだが。
ひしひしと感じる嫌な予感に、わたしはギュゼル様の小さなお体をギュッと抱きしめた。
ただの護衛の分際で不遜なことながら、わたしはギュゼル様を妹のように思っていたのだ。もしもわたしに妹がいたらこんな風だろうか、と。
「ルべリア?」
「は、すみません。ギュゼル様のドレス姿はさぞかしお可愛いだろうなぁと考えておりました」
「まあ! ありがとう、ルベリア。そうね、とっても楽しみだわ!」
ギュゼル様はわたしに抱きついたまま、大輪の花のような笑顔を浮かべた。ああ、いつ見てもお可愛らしい!
「ところでルべリアは何をしていたの?」
「はい、おやつの林檎など用意しておりました」
「……置いてあるこれ、果物ナイフじゃないみたいだけど」
「はい。私の投げナイフですね」
「……それっていつも腰の後ろに挿してある」
「ええ。あ、ちゃんと酒精で拭きましたので清潔ですよ」
「る、る、る、ルべリア~!! もう、軍用武器をそういうことに使わないでっていっつも言ってるでしょ~!?」
ギュゼル様はぷりぷり怒ってしまわれて、タンジー婆やに叱ってもらうとまで仰ったので、わたし、ちょっとショックでした、はい。
背剣といっても腰のベルトの幅しかなく、刃まで含めても拳二つ分しかない大きさで果物ナイフと大差ないでしょうに。いつも使っていてよく手に馴染んでいるから問題ないと判断したが、もしかして諸刃だったのがお気に召さなかったのだろうか。
このあと、背剣のことも含めて、林檎を茶色く変色させてしまったことで「何とも情けない!」と、タンジー婆やにお説教をいただくことになるのだった。
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