ギュゼルのやきもち
離れの玄関が見えて、わたしはすっかりホッとした気分になった。……今日はもう、本当に疲れた。グッタリだ。
キンバリー伯爵には睨まれるし、第二王子殿下のところでは色々あったし……。
思わず自分の唇にそっと触れてしまう。
(キス……されてしまった……)
ハッキリと意識すると気恥ずかしさが込み上げる。少し冷たい唇の感触……初めてのことでどうすることもできなかった。
ストイックというお噂だったのに、王子というやつは手が早い……。いやいや、そんなことを考えては不敬かな?
それよりも気になるのは、わたしの様子に気づかれてしまったかどうかだ。わたしには秘密がある。誰にも言えない秘密だ。
…………わたしの髪は、女には珍しく陽の気が強く出た紅い色をしている。それだけなら、珍しいねのひと言で済むのだが、稀に魔力に反応して瞳の色まで紅に染まってしまうのだ。血の色のようなルビー・レッド……不吉な、魔物の色だ。
何故か、わたしの体の中には陽の気しか流れていない。女性ならば必ず流れている陰の気がない。これがどういうことかというと、術士から見たらわたしは完全に男、ということになる。
自分でも女らしくないことは承知してはいるけど、そんなのってあんまりだ!
有益な魔術は一切使えないくせに、わたしの魔力は強すぎる。女性を惹きつけすぎる性質も、変に光る紅い瞳も、この魔力のせいだ。ようやく手にした騎士職を失いそうになったのも、この陽の気が溜まりすぎてあるご婦人をおかしくさせてしまったせいだった。厄介極まりない。
いつもは体に流れている陽の気を発散させて、この瞳の色も茶褐色くらいまで落ち着いているけれど、あの御方に触れられたとき、体中の魔力が騒いだ。
見られていなければいい……。
こんな瞳の色なんて、キモチワルイ……。
◇◆◇
すぐに夕飯の時間になる。
服を替える時間も惜しいが、ギュゼル様や奥様の前でみっともない姿は見せられない。せめて顔を洗ってシャッキリしよう。
重く感じる腕でノッカーを叩くと、しばらくして内側の錠が外れる音がした。
扉を開くと予想に反してそこにいらっしゃったのはギュゼル様であられた。何故このような場所に? まさかわたしを待ち構えていらっしゃったわけでもあるまいに。
「ギュゼル様……?」
「ルベリア、遅かったじゃない!」
ギュゼル様は膨れっ面でいらっしゃって、わたしは思わず顔がゆるんでしまった。
なんて可愛らしい方なんでしょうか、わたしのご主人様は。
「笑いごとじゃないのよ! 何も言わずにいなくなるなんて、皆心配したんだから!」
「はい、遅くなってすみませんでした。ショコラが少しおかしかったようで、返して参りました」
「あら……。そう、残念だわ」
ギュゼル様のお顔が曇ってしまわれた。
うん、今日はもう遅くなってしまったから無理だが、明日はきっとショコラを買って参りましょう。
「せっかくエルンスト様からいただいたのに、次にお会いしたときに何て言ったら良いのかしら」
「ショコラを貰ったことに御礼を言えばよろしいかと」
「そうね……そうしましょう。ところで、ショコラを返しに行っただけではないのでしょう? アウグストお兄様からのお手紙が届いていたわ」
「手紙には何と?」
「ルベリアを借りるとだけあって、理由は書いて無かったの。ルベリア、大丈夫だった?」
「はい、大丈夫です」
「でも、今日は何だか様子がおかしいわ」
さすがギュゼル様です。
でも、出来ればアウグスト殿下とお話しした内容は隠しておきたいのです。貴女様には、特に……。
あのショコラのことも、第二王子殿下に引き抜かれそうになったことも。そしてあの御方との秘密の契約のことも。
「私には言えないことなの?」
「いえ、その。なんと言えば……」
「まさか、お兄様と何かあったの?」
「なにか、とは」
「き、き、キスとかしたりしたの?」
頬を真っ赤に染めるギュゼル様、可愛らしい!
などと心の中で叫んでいたら、思わず「はい」と唇が動いていた。
「いゃぁ! 破廉恥! お兄様のけだもの!」
「はれんち?」
「ルべリアのばかぁ~! 私だってルベリアとなら……うぇ~ん!」
「ギュゼル様? ギュゼル様~」
ギュゼル様は走っていってしまわれた。俊足である。まさに脱兎のごとし。
コルセットを着けていてあの速さであれば、体捌きを教えたらどうなるか。万一襲撃があっても敵の攻撃を避けて逃げられるかもしれない。今まで姫様であるからと、そのような訓練など考えたこともなかったのだが、仕込んでみるのも悪くない。
ところで、はれんちとは一体何のことだろうか。
◇◆◇
今日の夕飯は豆のスープや根菜の煮込みに加えて豚のあばら骨の部分を焼いたものが出て、それなりに豪華なものだったが、ギュゼル様が膨れっ面で口をきいてくださらないのであまり喉を通らなかった。
奥様も気にかけてくださってはいたのだが、披露パーティー以降は母として接することをお辞めになっていらしたので、どうギュゼル様をお諌めするべきか迷っていらっしゃるご様子。
結局、寝る頃になってもお声がかけていただけなかったので、わたしは痛む胃を抱えながら寂しく寝台に入るのだった……。
ううっ、ギュゼル様ぁ!




