番外編 ルべリアの人間観察
それはある日の昼下がりのことだった。トマス・オブライエンはルべリアを訪ねてその私室のドアを叩いた。普通は女性の部屋に男が一人で訪れることはないのだが、ルべリアの部屋にはいつでも誰かが居るためにトマスは先触れなしに行くことに気兼ねしていなかった。
軽く戸を叩くと、中の者に確認をする。
「入っても良いか?」
「どうぞ。開いています」
「………」
ルべリアは在室のようだ。だが、本人が答えてしかも開けに来ないのはおかしい。何か、手が離せないのだろうか。いつも口うるさく出入りを制限してくる婆やは、ハリーは居ないのだろうか。
考えはしたがそのまま入ることにした。案外ここに入り浸りのアウグストがルべリアの膝で昼寝でもしているのかもしれない。
部屋の中では、騎士服姿のルべリアが開け放した窓に足を掛けて逆さにぶら下がり、腹筋を鍛えている最中だった。
「何をしている」
「あ、その、鍛えているんです、腹筋」
どうして、とか、なぜ今なんだ、という疑問が浮かぶがきっと意味はないんだろう。
「まぁ、良い。どうしているかと思ったが、伏せっていなくて何よりだ」
「気にかけてくださっていたんですね。ありがとうございます、トマス殿」
「いや…」
こう、素直に感謝を向けられると、罪悪感がむくむくと沸き上がってくる。ここを訪れた目的はただルべリアを見舞うためだけではなかったからだ。
ルべリアは大陸の最北西端、氷に閉ざされた聖火国の凍土を少しでも無くすために、陽の気を魔法石に籠めて贈ろうとしていた。その実験中に気を使いすぎて倒れたのだ。おかげでアウグストの機嫌が最悪で、書類仕事が滞ると文官たちが嘆いていた。
腹筋運動をやめたルべリアは、トマスに座るように勧め、自ら紅茶を淹れようと準備を始めた。だが、前にそれをやらせたときに酷い代物がでてきたのを覚えていたトマスは、ルべリアに見ているように言い、手本に紅茶を淹れて見せた。
「トマス殿は器用ですね」
「アウグストと二人で過ごす時間が長かったからな。使用人に世話を任せられない時期もあった」
「そうですか…」
「さて、蒸らし終えた。砂糖や乳は入れるか?」
「はい、お願いします」
トマスは茶卓に盆に乗せた茶器を運んだ。お茶請けはタンジーが焼いたナッツぎっしりのタートである。表面がキャラメリゼされた、香ばしく味わい深い逸品だ。
「そうだルべリア、以前イザヨイにアウグストについて、海のように寛大だとか言ったらしいな」
「いきなりですね。どうしたんですか」
大きく口を開けて頬張り、一気に半分を食べたトマスが不意に振った話題に、カップを運ぶ手をとめたルべリアが聞き返す。
「なに、おれの蜂蜜入りの焼菓子を盗み食いした犯人に意趣返しがしたくてな。説教の種を探しているところだ」
「それって…」
「そうだ。以前、お前と調査のために赴いたショコラの店で買ったボンボンを勝手に食べたのと同じ奴だ」
「あはは…。それは、協力しないといけないようですね」
「そうしてくれ。…お前から見たアウグストは、いったいどんな男だ?」
「恥ずかしい……。ん、そうですね…」
ルべリアはしばらく考えていたが、やがて顔を上げて微笑んだ。
「聡明ゆえに他人の悪所が見えやすいのでしょうね。失敗には手厳しいですが、指導も的確で、立ち上がらせる力をお持ちです。そう、その包容力は冬の大樹ようだなと。この方についていけば安心だとそう思わせてくださる、そんなお方だと思います」
「包容力…」
あの冷たく狭量で子供っぽいアウグストが? 包容力? 安心?
これを聞いたらさすがにアウグストも仕事をきちんと片付けるだろうな…。
トマスは意地の悪い考えに浸りながら二切れ目のタートに手を伸ばした。
「…では、テオドールについてはどうだ」
「はぁ。まあ…。でも、どうしてですか?」
「気になってな」
奴にも聞かせてやれば薬になるかもしれん、とはルべリアには言えなかった。
「そうですね。あの方は、春の日溜まりのように暖かく優しい…。安らぎをもたらしてくださるお方です。しかし時には鋭く刺すような意見もお持ちですよね。
ヒトや物事をよくよく観察していらっしゃるんじゃないでしょうか。いつもあの方が刺されるのは不躾で下品で、迷惑をかけても何とも思わないような人間です。そう、無理やり手折る者を棘で追い払う白薔薇のようなお方だと思います」
「ほう…」
あの蛇のように陰湿で裏表のある腹黒いテオドールが、優しい? 春の日溜まり?
「お前の観察眼は全く信用ならんな」
「ええっ!?」
トマスの言葉にルべリアはショックを受けたようだった。しょんぼりと肩を落として紅茶に口をつけている。その仕草はトマスの部下の中でも年若い者がしているものに似て、髪は伸びてきたものの、無造作にうなじで括っているため騎士服姿だと男にしか見えなかった。
いつまで経ってもこいつは変わらないなぁと思い、トマスは自分の中にそれを喜ばしく思う気持ちがあることに驚いた。
「…そうだな。お前の中で、おれはどんな印象だ?」
「トマス殿、ですか? 本人に向かってそんな…」
「良いから」
「そうですね…。いつもひたむきに職務を遂行される貴方は、騎士の鑑です。優しさと厳しさを持ち、いつも穏やかで…。私は貴方の中にいつも理想の騎士を見出します。そして、貴方の中には熱い情熱もあるのでしょう、時々、怖いくらいに何かに打ち込んでいらっしゃる。貴方はまるで、夏の輝く湖面のような人だと思います」
「…………はぁ」
「え、どうされたんですか?」
「やはりお前の観察眼は当てにならない…」
「えー…」
いったい、どこまでニンゲンの善性を信じているのだ、この女は。
一度その紅い瞳を通して世界を見てみたいものだ。
「だが、アウグストを反省させる材料にはなるな。ふむ、有意義な時間と美味い茶菓子だった」
「よろしゅうございました。今度はトマス殿のためにショコラやクリームの入った焼き菓子を取っておきますね。物足りなかったようですから」
「…ああ、頼む」
(確かに甘みが足りずにショコラか何か齧りたくなったからな。しかしバレていたとは…)
ルベリアに礼を言ってトマスは部屋を辞した。入れ違いに入室したハリーが「タートが減ってる!」と叫ぶ声が聞こえた。そうか、あいつもサボりか。後で訓練メニューを増やしてやろう。
トマスは、先ほどのルベリアの評価を聞いて、面映い気持ちをうまく隠せていただろうかと自問した。…問題ないだろう。というか、気恥ずかしい思いよりも自己嫌悪の方が強い。もう一人、自分に良く似た男を思い浮かべて、トマスは嘆息した。テオドールには…効かんだろう、おそらく。
今日もまた平和に一日が過ぎ去って行くのを感じながらトマスは、訓練メニューを倍にするか、と自罰的になっていた。トマス・オブライエンを騎士の鑑だとルベリアが言うならば、そうなるように自分を律しよう、と。忠実にして一途なアウグストの騎士は頭を振りつつ、主人に説教をするために仕事に戻っていったのだった。




